※本稿は、島村恭則『恐怖の民俗学』(SB新書)の一部を再編集したものです。
■日本中にいるはずの「妖怪」が存在しない島
日本文化において、「恐怖」を代表する存在として広く知られているものの1つが「妖怪」です。私たちは、「カッパ」とか「一つ目小僧」といった「妖怪」の話を小さい頃から見聞きしてきました。
「妖怪」とは何かについては、後の章で触れますが、簡単にいうと、日常の秩序からはみ出す自然の脅威を「怪しい」「異常だ」と人間優位の立場でジャッジし、命名・分類したもののことです。つまり、そこには対象を自分たちの都合に合わせて値踏みするような、人間の「上から目線」が潜んでいます。
さて、この「妖怪」については、いろいろな種類のものが紹介されています。本屋さんに行けば、「妖怪」ばかりを集めた「妖怪事典」が何種類も売られていますが、それを見ると、「妖怪」は、日本中にいるらしいことがわかります。このことは、私たちが「恐怖」について考えるにあたり、「妖怪」ははずせない存在であるということを意味しています。
ところが、恐怖の「代表」であり、日本中どこにでもいるはずの「妖怪」が、なぜか存在しない、もしくはその影が薄い場所がこの日本にあるのです。それは、沖縄県の宮古島です。
■沖縄本島と隔てられた独特の自然文化
宮古島は、那覇とか首里のある沖縄本島から南西に約300キロの海原を隔てたところにあります。飛行機だと那覇から約1時間です。
この宮古島は、日本列島の中でも独自の文化を育んできた場所です。大規模な都市化や急激な社会変動を経験してきた本土や沖縄本島と比べて、どちらかというと古い素朴な文化が残っているといってもよいような雰囲気の島です。
その背景には、島の人びとが長きにわたって、大地や海とともに生きる第1次産業を生活の基盤としてきた歴史があります。
高度な都市文明や科学的合理主義が浸透する以前の、自然と人間が密接に関わり合う素朴で力強い文化体系が、ここでは途切れることなく現代へと継承されてきたといえるのです。そのため、民俗学の領域において、宮古島はしばしば日本列島、あるいはアジアの文化の深層を探るための重要なフィールドと目されてきました。
■島滞在の夜、天井から落ちてきた“モノ”
私は、大学4年生のとき、この宮古島の北のはずれにある狩俣という集落で、3カ月半ほど、空き家を借りて住んでいました。民俗学の卒業論文を書くためです。
狩俣には、古くから伝わるたくさんの精霊についての伝承(言い伝えなど、人から人へ、世代から世代へと伝達・継承されるもの。また、伝達・継承の行為自体も伝承と呼ぶ)が存在し、またその精霊をカミとして祀る秘儀的な祭りが行われてきました。
さらに、カミと交信することができると人びとから信じられてきたシャーマンも暮らしていました。
住み込み調査は、1989年7月1日にスタートしました。狩俣に着いて空き家に住み始めた日の夜、8時過ぎのこと。畳の上で横になっていると、天井から何かがバタンと落ちてきました。古い家だから何か落ちてきたのかな、と思って目をやると、相当に長いニョロニョロとしたものが座敷の隅のほうを這っています。
ヘビでした。悲鳴こそあげなかったものの、即座に家を飛び出しました。どうしたらよいか混乱しましたが、とりあえず、集落の中央にある購買店(共同売店)に駆け込んだのです。購買店には、店先にいすを出して酒盛りをしている30代の人たちが何人かいたので、彼らにいま起こったことを話しました。
すると、その中の一人が、「それは大変だ。きょうは、うちに泊まればいい」と言ってくれ、急きょ、その人のお宅に避難することに。
■「片目のヘビはカミである」という神話
家族のみなさんに挨拶をし、ヘビが落ちてきた話をしたところ、70代のお父さんは、「そのヘビの目は片目だったか、両目だったか」と私に聞いたのです。仰天していてヘビの目は見ていなかったため、わからないと答えましたが、お父さんは、「もしも片目だったら、そのヘビはカミである。両目だったら普通のヘビである」と言い、狩俣の創世神話を語ってくれました。それは次のような話です。
狩俣では、太陽の神様を“ンマティダ”と呼ぶ。“ンマ”はお母さんで、“ティダ”は太陽の意味だ。大昔、まだ人間がいない頃、ンマティダという女神が、天から狩俣のフンムイ(大森)という森に降りて来た。そして、住むのにふさわしいところを見つけようと歩き始めた。
しばらくすると、羽がぬれたカラスが飛び立つのが見えたので、そこに行ってみた。すると、そこには泉があった。水は生きていくために欠かせないので、ンマティダはそのすぐそばに住むことにした。
しばらく暮らしていると、ある晩、若い武士がやって来て、以後、毎晩、通って来るようになり、やがてンマティダは身ごもった。「いったいあの武士はどこからやって来るのだろう」と疑問に思ったンマティダは、ある日、麻の糸を針につけて、それを相手の武士の髪の毛に刺した。
武士が帰ったあと、その糸をずっとたどっていくと、ンマティダが発見した泉の中に続いている。そこで中を見てみると、そこにはヘビがいて、片方の目を糸のついた針で刺されていた。武士の本当の姿は、なんとヘビだったのだ。
■毎週1回以上カミを祀る儀礼が行われる
その後、ンマティダはこのヘビとの間の子を出産した。この子が狩俣の人びとの先祖であり、従って、片目のヘビは、狩俣の人びとを生んだ父神“アサティダ”(アサは父、ティダは太陽)である。いま、ンマティダとアサティダは、狩俣のウプグフムトゥという拝所(宗教的聖地)で祀られている。
実は、太陽の女神とヘビとの婚姻の話が、狩俣で創世神話として語られていることはよく知られていました。私も狩俣調査に当たっての事前準備の段階で、この神話の存在を知っていました。
また、同様の神話は、宮古島ではほかに、宮古島市の市街地にある聖地・漲水御嶽に関しても語られています。しかし、まさか調査初日にヘビに遭遇し、さらにそのことに関して、狩俣の創世神話を直接耳にするとは思いもしませんでした。
神話の中でも語られているように、ヘビのカミとその妻となったンマティダは、ウプグフムトゥという聖地で祀られています。そして、狩俣にはこれ以外にもたくさんの聖地があり、そこで多くの種類の精霊/カミが祀られています。
いまは、かなり簡素化されてしまったのですが、私が滞在していた頃には、これらの聖地で、たくさんの精霊/カミを祀るための儀礼がさかんに行われていました。その数は、おびただしいもので、小規模のものを入れれば毎週1~2回は何らかの儀礼が行われていました。
■50~100のカミの名を歌う高齢女性
この儀礼は、神役と呼ばれる女性たちによって取り仕切られていました。神役の女性は、だいたい50歳くらいから60をすぎたくらいまでの住民の中から選ばれます。その選び方は、精霊/カミの前で行われる神聖なる「くじ」によるものです。
神役たちが精霊/カミを祀る方法は、神歌と呼ばれる神聖な歌を歌うというものです。神歌の歌詞は、先輩の神役から後輩の神役へ、口頭で伝えられてきました。神歌の種類は多く、またそれぞれの歌の歌詞も膨大なものですが、その歌詞の大部分は、精霊/カミの名前から構成されていました。そこに登場する精霊/カミの名前は、50とも100ともいわれています。
たまたま、手元に神歌を記録した資料があるので、そこから精霊/カミの名を取り出してみます。
アサティダ、ンマティダ、イスツ、ティンヌマツカニ、ティンドウ、テラヌプウズ、ウンツカサ、ヤマヌフシライ、クルマカン、ソバアギ、ウイヌピャー、トゥガマル、マヤヌマツメガ、スマヌヌス、ニッジャカニドヌ、タラマウプツカサ…………
たくさんある精霊/カミの名のごく一部です。
■自然への恐怖と感謝からカミが生まれた
さて、これだけたくさんいる精霊/カミですが、なぜ、狩俣ではこんなにたくさんの精霊/カミが祀られているのでしょうか。それは、宮古島の人びとの「自然に対する恐怖(怖れの気持ち)」と関係があります。
宮古島は、東シナ海に浮かぶ小さな島です。夏に台風がやって来ると、暴風雨がものすごい勢いで吹き荒れます。現在は水道が完備されていますが、かつては水不足にも苦しめられました。日照りになると作物が実らず、自給自足だった昔の宮古島では、それが死活問題だったのです。いまはリゾート開発で減らされてしまっていますが、かつては手つかずの森もあちこちに存在していました。
このような環境の中で、人びとは農業を営み生きてきたため、彼らにとって自然の存在は非常に大きなものでした。自然に対しては、基本的に「怖ろしいもの」という感覚が存在していました。「自然の猛威」という言葉がありますが、彼らは文字通りそれを実感して生きてきたのです。
同時に、その中での豊作はことさら貴重であり、自然への感謝の気持ちも芽生えました。これが、宮古島の自然観です。島民が便利な暮らしを享受するようになった現在でも、この感覚は根付いています。
そんな宮古島の人びとは、「むき出しの自然」にそのまま向き合うのではなく、人間が理解可能なものに変換して受け止めようとしてきました。恵みをもたらす一方で、猛威を振るう自然。これは一種の「カオス(混沌)」です。このカオスにただ翻弄されるばかりでは生きていけません。
そこで、本来はカオスであるとわかっていながらも、自然をなんとか理解可能な「ノモス(秩序)」に変換しようと試みたのです。その際に行ったのが、自然を「カミ」として祀ることでした。
■カミは人間にプラスにもマイナスにも働く
「自然がカミ」とは、どういうことでしょうか。まず、人びとは自然には人知を超えたパワーがあると感じ、それを「霊力」として認識しました。植物が成長することや、泉から水が湧き出ることは、この霊力によるものだと信じたのです。
そして、この霊力が凝集して固まったものが「霊魂」といえます。ちょうど、水が固まって氷になるようなイメージです。
霊魂自体は、意思や個性を持ちません。しかし、その霊魂が意思や個性を持つようになる場合があります。そうして生まれたものが「精霊」です。精霊とは、霊力が固まって霊魂になり、それが意思や個性を持つようになったもの、つまり「人格化」したものを指します。
精霊は姿かたちが想像される場合もあれば、漠然とした存在とされる場合もあります。精霊は自然の中にはもちろん、人びとが暮らす集落の中にも多数存在していると感覚的に捉えられてきました。
精霊は、人間に対してプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある「善悪未分化」な存在だと信じられてきました。この性格は、まさに自然そのものです。恵みをもたらす一方で猛威を振るう自然の性質が、そのまま精霊の性格に表れているのです。
人びとは、この精霊をなんとか対話可能な存在にしたいと望みました。そこで、精霊を「カミ」として祀り上げることにしたのです。
■カミは人間が生み出した「生存のための知恵」
カミとして祀るためには、決められた日時に、専門の神役が専用の衣装を着て儀礼を行います。
たくさんの供え物をし、精霊をカミとして讃える神歌を歌いますが、この歌の中で精霊たちの名前をどんどん歌い上げていきます。この営みを、宮古島の言葉で「カンナーギ」、すなわち「神名挙げ」といいます。こうすることで、精霊の名前はカミの名前となります。このことは、精霊がカミとして祀り上げられたことを意味します。
こうした営みは、カオス(混沌)であり恐怖の対象であった自然に対し、カミとしてはっきりと名前をつけ、分類したということにほかなりません。このように、自然という圧倒的なカオスを秩序立てることが「ノモス化」です(ピーター・L・バーガー『聖なる天蓋―神聖世界の社会学』薗田稔訳 筑摩書房)。
また、こうしたノモス化以前の、カオスがもたらす恐怖とは、圧倒的な大自然の猛威のような、人間の知性や論理が一切通用しない「見えない闇」に対して私たちが本能的に抱いてきた根源的な「怖れ」としての「原初的恐怖」ということができるでしょう。
ところで、ここで注意しておきたいのですが、この「原初的恐怖の源泉としてのカオス」を「ノモス化」するという行為自体は、自然に名前を与えて人間に理解可能な枠組みに変換しているという意味で、一種の「人間中心的な営み」に違いありません。
しかし、これは決して自然を支配したり、見下したりする「人間優位の営み」ではありませんでした。大自然の圧倒的な脅威の前に身を震わせながら、人間がなんとか生き延びるために紡ぎ出した「生存のための知恵」なのです。
■自然への「上から目線」からカミは生まれない
そこには自然への絶対的な畏怖がしっかりと存在しています。つまり、精霊やカミを設定するという意味でのノモス化においては、人間の側に自然をジャッジするような精神的ゆとりはなく、そこには「上から目線」など一滴も混ざってはいないのです。
カオスとしての自然とは対話不能でも、ノモス化されたカミとなら、なんとか対話が可能になると人びとは考えました。そこで、お供え物を用意して一定の手順を踏む、つまり儀礼を行う中でカミの言葉を聞き、さらにはこちらからのお願いも伝えるようになりました。
漠然とした自然そのものと対話することは困難ですが、カミとして祀り上げることで、こちらの願いを聞いてもらえる、さらには自分たちを守ってくれると期待するようにもなったのです。このように、人びとは自然をカミに変換することで、自然との対話をなんとか実現してきました。
以上をまとめると、「自然→霊力→霊魂→精霊→カミ」という流れを指摘できます。そして、この5段階の途中を省略して表現すれば、「自然とはカミである」と言い換えることができます。畏怖の対象である自然をカミとして祀り上げ、ノモス化(秩序化)することこそが、この信仰の核心なのです。
----------
島村 恭則(しまむら・たかのり)
関西学院大学社会学部長・教授、現代民俗学会会長
1967年、東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。専門は、現代民俗学、民俗学理論。著書に『韓国の都市伝説』(ちくま文庫)、『これからの時代を生き抜くための民俗学入門』(辰巳出版)、『昔話の民俗学入門』(創元社)、『みんなの民俗学』(平凡社新書)、『民俗学を生きる』(晃洋書房)、『〈生きる方法〉の民俗誌』(関西学院大学出版会)、編著に『引揚者の戦後』(新曜社)、『現代民俗学入門』(創元社)など多数。
----------
(関西学院大学社会学部長・教授、現代民俗学会会長 島村 恭則)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
