第2次世界大戦で、ドイツとイタリアは枢軸国として連合国と戦った。イタリア在住コラムニストのヴィズマーラ恵子さんは「戦後の歴史観は大きく異なる。
ドイツには国家ぐるみの強い贖罪意識がある。一方、イタリアでは『自分たちも被害者だ』という意識があり、ムッソリーニの功罪を切り分けて評価する余地が残った」という。なぜ歴史観が真逆になったのか。ドイツ在住作家の川口マーン惠美さんとの共著から紹介する――。(第2回)
※本稿は、川口マーン惠美、ヴィズマーラ恵子『誠実な日本人が信じるドイツ神話にイタリア幻想』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■「贖罪意識や反省などまったくありません」
【ヴィズマーラ】イタリアには第二次世界大戦に対する贖罪意識や反省などまったくありません。というのも、イタリアにとって第二次世界大戦からの「解放」とは、「ナチス・ドイツの傀儡(かいらい)となったムッソリーニの『サロ共和国(イタリア社会共和国)』を、自らの手『パルチザン』で打倒した歴史」という解釈をとっているからです。
イタリア人は戦後、ファシズムを「イタリア史の普遍的な罪」ではなく、「歴史の不運な脱線(一時的な病気)」として処理しました。そして、ファシズムに抵抗した「レジスタンス(パルチザン運動)」の記憶を、あたかも「第二のリソルジメント(民族再統一運動)」のように位置づけました。結果として、「私たちは被害者(ファシズムの圧政から解放された側)でもある」というロジックが成立し、ドイツのような国家ぐるみの強烈な贖罪意識は薄れたのです。
第一次世界大戦でも、第二次世界次大戦でも、イタリアは途中で同盟関係をひっくり返していますよね。
第一次世界大戦前、イタリアはドイツ・オーストリア=ハンガリーと「三国同盟」を結んでいました。
しかし開戦すると、「本当に参戦するべきか」をめぐって国内で意見が割れ、最終的には連合国側(イギリス・フランス側)から「戦後に領土を与える」という約束を受けたことで、1915年にオーストリア側へ宣戦布告し、それまで同盟相手だった側と戦うことになりました。
■2度もドイツを裏切った国の言い分
【ヴィズマーラ】第二次世界大戦でも、イタリアはムッソリーニのもとでヒトラーのナチス・ドイツと同盟を組み、枢軸国として参戦しました。しかし戦況が悪化し、1943年にムッソリーニ政権が崩壊すると、新政権は連合国側と休戦します。その結果、イタリア国内では「ドイツ側につく勢力」と「連合国側につく勢力」が分裂し、内戦状態に近い混乱になったのです。
つまりイタリアは、二つの世界大戦で、いずれも「最初に組んだ陣営から離脱し、別の側についた」国で、他国からは「裏切者」扱いです。しかし、イタリア国民の感覚からすれば、「無能な王室と狂った指導者(ムッソリーニ)が始めた無謀な戦争から、国家と家族を救うための最善の現実的選択(特殊主義)をとった」となる。
そのため、イタリア人には「国家の栄光のために戦う」という感覚は希薄ですが、同時に「自分たちのアイデンティティが戦争犯罪で全否定された」という深いトラウマもありません。
■かつてメローニ首相もムッソリーニを高く評価
【川口】ドイツはヒトラーとナチス・ドイツに全責任を押し付けて現在に至りますが、イタリアはムッソリーニに責任を押し付けながらも、全否定はしていませんね。
【ヴィズマーラ】はい、ムッソリーニを「貧しい市民の味方であった優れた指導者」と肯定的に評価する自由がいまだに残されています。
メローニ首相は若い頃、ムッソリーニを有能な政治家だったと評価する発言をしたことがあります。現在も党ロゴには、戦後ネオファシスト政党MSI以来受け継がれてきた『三色の炎』が使用されています。
罰則規定はあるものの、極右勢力による「ローマ式敬礼(右手を斜め上に挙げるファシスト党の敬礼)」を伴う集会は毎年恒例となっており、ファシズムを想起させる政治文化が一部に残っていることも事実です。
さらに右派の年配者の中には、「一部の右派支持者の間には、現在でも枢軸国時代を懐かしむ声が見られます」「あの時(枢軸国から)抜けるべきではなかった」と公言する人たちも存在します。
イタリアでは、ムッソリーニの統治を「独裁と戦争の罪」と「近代化の実績」に切り離して評価する土壌が、戦後早くからずっと存在していました。
■湿地を干拓し、バチカンと和解
【ヴィズマーラ】イタリアでは今なお「Mussolini ha fatto anche cose buone(ムッソリーニにも良いところはあった)」という言い回しがしばしば議論の対象になります。たとえば以下のような功績が言われています。
● ポンティーナ湿地帯の開墾:何世紀もの間、マラリアの温床だったローマ近郊の広大な湿地帯を干拓し、近代的な農業都市を建設した。

● 社会保障・インフラの整備:年金制度、雇用保険、労働者向けの余暇組織の創設や、鉄道の電化、高速道路(アウトストラーダ)の建設を急速に進めた。

● カトリック教会との和解(ラテラノ条約):リソルジメント(統一)以来、ずっと冷え切っていた教皇庁との関係を修復し、バチカン市国を独立させることで、イタリア社会の最大のトゲを抜いた。
イタリア国民にとって、これらは「ファシズムというイデオロギー」への賛同ではなく、「自分たちの生活を便利にし、国家の形を整えてくれた具体的な恩恵」として記憶されているのです。
【川口】本来ならドイツでも「ヒトラーも良いことはした」と言えるはずです。でも、ドイツではヒトラーを「すべてが悪かったわけではない」と少しでも相対化して評価しただけで、刑法に引っかかる可能性があります。当然、発表する機会も限られるから、ヒトラーを研究対象とする学者も出てこない。
■ドイツのナチズム研究に足りない視点
【川口】本当にナチズムを反省するなら、悪いところも良いところも徹底的に研究するべきです。
ちなみに、AfD(ドイツのための選択肢)の政治家の中には、「ナチに『絶対悪』などというレッテルを貼って思考停止するのは欺瞞だ」と考えている人たちがいるようで、それを既存の政治家やメディアが察知して、「ナチ」だと叩く理由の一つにしているわけです。
【ヴィズマーラ】イタリアでは、1946年の段階で、ムッソリーニの熱狂的な信奉者や旧サロ共和国の幹部たちが集まり、「イタリア社会運動(MSI)」というネオ・ファシズム政党を堂々と結成しました。
憲法上は「ファシスト党の再建」は禁止されていましたが、彼らは名前を変え、民主主義のルールに従うふりをすることで、戦後政治の中で一定の議席(数%~10%程度)を維持し続けているのです。
なぜかというと、冷戦期もイタリアならではの「サバイバル(現実主義)」が働いているからです。
■ヒトラーとムッソリーニの決定的な違い
【ヴィズマーラ】西側最大の共産党(PCI)を抱えるイタリアにおいて、与党の中道右派「キリスト教民主党」や、その背後にいたアメリカにとって、MSIという右翼勢力は「共産主義の拡大を防ぐための、いざという時の防波堤」として、あえて完全に潰さずに生かしておく価値があったのです。
このMSIの系譜が、のちに穏健化のグラデーションを経て、現在のメローニ首相率いるFdI(イタリアの同胞)へと直結しています。
もう一つの大きな要因は、ムッソリーニのファシズムが、ヒトラーのナチズムに比べて「思想的な純血主義や狂信性が著しく低かった」こともあるかと思います。
ナチズムの本質は「人種主義(ユダヤ人の絶滅)」という普遍的なドグマでした。しかし、ムッソリーニの初期のファシズムは、国家の権威、「国家至上主義」を重んじるものの、人種論は中心にありません(ただし、後年、ヒトラーとの同盟後に反ユダヤ法を導入したため、これがイタリア人にとって「最大の汚点・脱線」とみなされることになりますが)。
■ムッソリーニは「ただの独裁者」
【ヴィズマーラ】ファシズムの弾圧の対象は主に「政治的ライバル(共産主義者など)」であり、一般国民に対しては「ファシスト党のバッジさえつけていれば、私生活や教会の信仰、あるいは地方の伝統までは干渉しない」という、よくも悪くもイタリア的な「緩さ」がありました。
イタリア人にとって、ムッソリーニという存在は「一人の怪物」ではなく歴史に登場する「強力な専制君主」の20世紀版にすぎませんでした。
「独裁者としては残虐だったし、大国(ドイツ)の甘言に乗って戦争を始めて国を滅ぼした暗愚な指導者(ホノリウス帝の再来)だが、一方で湿地を開墾し、バチカンと和解し、イタリア人に一瞬でも『大国の夢』を見せてくれた有能な政治家(フェデリーコ2世の幻影)でもある」のです。

この生々しく引き裂かれた評価を、イタリア社会は「普遍的な正義」で裁き切るのではなく、「それもまた、我が国の特殊な歴史の一幕である」として、自愛を込めて抱え込み続けているのです。メローニ首相の台頭は、戦後80年をかけて、イタリア国民がこの「二面性」を完全に日常の政治として消化した(タブーでなくなった)瞬間の現れと言えるかもしれません。
■ドイツでは完全に「ヒトラーの仲間」
【川口】非常に興味深い! 実はAfDの重鎮のアレクサンダー・ガウランドという政治家が「ドイツは素晴らしい歴史を持った国であり、ヒトラーの12年間は、その歴史の長さを鑑みれば鳥の糞のようなものだ」という意味のことを言って、大騒ぎになったことがありました。
ガウランドは時間の比較をしただけなのに、メディアも政治家も、「ヒトラーの悪行を鳥の糞のように些細なものだと言った」と(自分たちに都合よく)曲解して、ガウランドをナチ礼賛者に仕立てたのです。ちなみに、ガウランドは1941年生まれの政治家で、1973年から2013年まで、40年間もCDU(キリスト教民主同盟)の党員であった人です。
ムッソリーニに関しても、ドイツではもちろん彼の良いところは言わず、完全にヒトラーの仲間扱いです。だからムッソリーニというと、よく見かけるのはヒトラーと並んでいる写真で、「2人のファシスト」といったイメージが定着しています。ドイツのこの状態に比べると、イタリアの緩さというのは悪くないですよ。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)

作家

日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科卒業。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。
ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。2026年には、第46回エネルギーフォーラム賞にて『原子力はいる? いらない? 原発大国フランスと脱原発ドイツ』(ワニブックス、山口昌子との共著)が優秀賞を受賞。

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ヴィズマーラ 恵子(ヴィズマーラ・けいこ)

翻訳者・コラムニスト

福岡県出身。日本茶舗「MATCHA STORE」代表取締役。中学校の美術科教師を経て2000年にイタリアへ渡り、フィレンツェ留学後ミラノに移住。ミラノ郊外にて抹茶ストアと日本茶舗とスーパーカー並行輸出コンサル会社を経営する。在イタリア邦人の視点で現地から生の声を綴る。文化放送「おはよう寺ちゃん」コメンテーター。著書に『イタリアからの警告』(ワック)。

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(作家 川口 マーン 惠美、翻訳者・コラムニスト ヴィズマーラ 恵子)
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