リゾートホテルに入社した理由
和歌山のみかん農家に生まれた森田梨那が、栃木・那須のリゾートホテルへの入社を決めたのは、地元で見てきたある現実がきっかけでした。農家の高齢化が進み、後継者が見つからない。豊かな土地と技術が、担い手のないまま細っていく。
「農家さんの高齢化や後継者不足という問題がある中で、リゾナーレ那須なら農業×観光というコンセプトのもと、お客様と一緒に農業を楽しむことができる。農業に興味を持ってもらえるきっかけを生み出せるんじゃないかと思ったんです。」
それが、リゾナーレ那須への配属を希望した理由でした。
2020年4月、リゾナーレ那須に入社。入社直後はコロナ禍の影響で業務が制限され、最初の2年間はフロントと夕食業務が中心でした。施設内の農園「アグリガーデン」に関わるようになったのは、3年目のことです。待っていた時間も、無駄ではありませんでした。ホテルの仕事を覚えながら、アグリガーデンのスタッフたちが少しずつ農業の知識を積み上げていく様子を、森田は見ていました。
アグリガーデンで作業をする森田
「収穫して、終わり」では足りなかった
2024年7月、施設内でひとつの呼びかけがありました。アグリツーリズモリゾートというコンセプトを生かした、リゾナーレだからこそできるユニークな体験を作りたい ——その思いに共鳴した5名のプロジェクトチームが発足しました。企画の起点となったのは、既存のアクティビティ「ファーマーズレッスン」への小さな疑問でした。種まきから収穫まで、農作業の工程を体験できるこのプログラムは、開業当初から続く定番です。ただ、収穫したら終わり、になってしまっていました。
ファーマーズレッスンの様子
「実際にお客様が収穫したお野菜をおいしく食べてもらえたのかが、ちょっと分からないなと思っていて。収穫した野菜をその場で食べる体験はなかなかないので、目の前で調理する特別感やワクワク感を、自然の中で感じてほしいという狙いがありました。」
農業体験ができる場所は各地にあります。しかし、自分で収穫した野菜をその場でシェフに調理してもらい、すぐに食べるという体験は、当時ほとんど見当たりませんでした。農園とダイニングの両方を持つリゾナーレ那須だからこそ実現できる体験だと、チームは考えました。
発想のベースになったのは「Farm to Table(農園から食卓へ)」。生産者が直接レストランや消費者に野菜を届けるという考え方で、それを逆転させ「食卓を農園に運ぶ」という方向に転換しました。
「Table to Farmでもよかったんですけど、なんかもう少しひねりたいなというのがあって。実際に屋台を畑に持ってきて、そこで調理までしてしまおうということになりました。
田んぼの畔で始まった、自然との泥だらけの戦い
キックオフから、秋の本格始動までの準備期間はわずか3ヶ月。リーダーとなった森田率いるチームを待っていたのは、自然の猛威と、次々に立ちはだかる壁でした。最初に議論になったのが、会場の場所でした。
「名称がファームなので、最初は畑の中に席を作りたいと思っていたんですけど、調理場のスペースを作るのが難しいなど、現実的な問題がありました。」
理想を追う森田たちでしたが、最終的に選んだのは畑から少し離れた「田んぼの畔(あぜ)」でした 。那須連山が正面に見え、季節によって表情が変わる田園風景を望む、結果として最高のロケーションでした。
初年度のトライアルの様子
そこで直面した最大の敵は、「那須おろし」と呼ばれる山からの強風でした。設営したテントが激しい風で何度も吹き飛ばされてしまいます。重りをつけても容赦なく吹き飛んでしまい、テントを丸ごと買い直す羽目になったことも。天気が急変すれば、屋外の設営をすべて中断し、必死の思いでレストランでの提供に切り替えるドタバタ劇が繰り返されたといいます。
追い打ちをかけるように、会場の裏側でもトラブルが発生します。調理場はメインレストランから離れており、繊細な食器類を車に載せて運ぶ必要がありました。車1台がやっと通れるほどの砂利のでこぼこ道を進まなければなりません。ゆっくり運転していても、道が荒れているために「ガシャーン!」と食器が割れる音が響き渡り、頭を抱えることもたびたびありました。
また、無農薬で育てた野菜が、猿に食べ尽くされて全滅するという獣害にも見舞われました。それでも、アグリガーデンのスタッフが地道にデータに基づいて収穫時期を管理し、対策を強化したことで、年間を通じて安定した新鮮な野菜を供給できる基盤を執念で整えていきました。
屋台での調理の様子
「また来たい」が、次の季節を作る
こうした苦労を経て迎えた、2024年・秋の本格実施 。ゲストの反応は、チームの不安を吹き飛ばすものでした。「色々と課題も多くて、スタート前は本当に大変だったんですけど、お客様が収穫した野菜をその場で食べていただいているときの笑顔がすごくよかったり、本当に美味しいですって言ってくださるのがすごく嬉しくて。やってよかったというのが一番の思いです。」と森田は話します。
料理への満足度はもちろん、「景色が最高」「次の季節にもまた来たい」という声が届き、1日3組限定の予約枠は、断らざるを得ない日も出るほど人気の体験になっています。強風など自然との戦いはまだまだ続きますが、泥だらけで耕したこの「畔の屋台」は、今も進化を続けています。
2026年の春からは、自分で摘んだハーブでハーブティーを作る体験が加わり、秋には目の前に広がる田んぼで収穫したお米を使ったメニューの提供も計画されています。
そして森田は今春、リゾナーレ那須を卒業しました。次の職場は故郷・和歌山で柑橘類の生産、搾汁、加工、販売までをを手掛ける会社です。みかんの生産を軸に、ジュースやジャムなどの加工品開発、みかん畑でのイベント企画に携わる予定だといいます。
「YATAI to FARMも、収穫という体験を通じて農業の魅力を伝える企画でした。ここで培ったことを生かして、地元を盛り上げていきたいと思っています。」
アグリツーリズモは、農業と観光をつなぐ旅のかたちです。ホテルのスタッフとして農業の魅力をゲストに届けてきた森田が、次は違う視点で農業に携わります。YATAI to FARMが生まれた田んぼの畔は、そんなひとつの旅の出発点でもありました。