日米のプロレス界でトップレスラーとして活躍した元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが亡くなった。85歳だった。

 世界最大の団体「WWE」が4日、公式サイトで伝えた。WWEは、公式サイトで「WWE殿堂入りを果たし、多大な影響力を持つレスリング・トレーナーでもあった氏の訃報に接し、深い悲しみを覚えています」と追悼した。

 ドリーさんは、世界のプロレスを変えた革命児だった。

 幼い頃から父親でプロレスラーのドリー・ファンク・シニアさんの教えを受け、正統的なレスリング技術を学び、1963年1月にデビューした。

 それまでは、“鉄人”ルー・テーズをのぞき、米国マットは、パワーを駆使した荒々しいファイトを売りにするレスラーが人気を呼び、リング上を席巻していた。

 しかし、ドリーさんは、父から薫陶を受けた洗練されたレスリング技術と巧みな試合運びで新しいプロレスラー像を築いた。

 パワー一辺倒のプロレスに物足りなさを感じていたファンは、ドリーさんのプロレスに新しい時代を感じ、一気に魅了され、結果、デビューからわずか6年後の69年2月11日、フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り、当時、世界最高峰のタイトルだったNWA世界ヘビー級王座を28歳で獲得した。

 これは世界のプロレスの潮流を変えた革命的な出来事だった。

 当時、ドリーさんのレスリング技術で観客を魅了するスタイルにあこがれを抱いた日本人レスラーがいた。

 アントニオ猪木さんだった。

 60年9月に力道山の日本プロレスでデビューした猪木さんは、力道山の厳しい指導を受けながら成長。63年12月に師匠の没後に初めて米国へ武者修業を行い、帰国後に66年10月に旗揚げした東京プロレスへ移籍。

同団体がわずか3か月で崩壊すると日本プロレスへUターン移籍した。

 日本プロレスは、ジャイアント馬場さんが絶対的なエースに君臨。身長2メートル9センチ、体重145キロの圧倒的な体格から繰り出す躍動感あふれるファイトに猪木さんは、持ち前のレスリング技術でファンにアピールしたが馬場さんの存在感と人気には、かなうことはできなかった。

 馬場さんの大きな壁に迫ったのがドリーさんとの一戦だった。

 69年11月に初来日したドリーさんと猪木さんは12月2日に大阪府立体育会館で対戦。60分3本勝負の一戦は、60分フルタイムで引き分けとなった。ドリーさんは防衛に成功したが、この一戦で当時、世界最高峰のテクニックを持つドリーさんと互角の勝負を展開。さらに60分でほとんどロープワークを使わないレスリング技術だけで観客を魅了し「アントニオ猪木」の実力を満天下に示した。

 ドリーさんは、猪木さんとフルタイムで闘った翌日の3日には東京体育館でジャイアント馬場さんと同じく60分フルタイムで連続防衛した。馬場さんが猪木さんと同じフルタイムで防衛したことで「ジャイアント馬場」「アントニオ猪木」のBI砲は、両雄が並び立つ礎となった。

 猪木さんは、2022年10月1日に79歳で亡くなった。

 私は、晩年、猪木さんに「生涯のベストバウトは?」と尋ねた。

 猪木さんは答えた。

 「いろんな試合があるけど、真っ先に浮かぶのがドリーとの試合になる」

 理由を「馬場さんと比較される条件がそろった中で俺の試合が評価されて、俺にとって節目になる試合だった」と明かした。

 世界のプロレス界に絶大な功績をのこしたドリーさん。「アントニオ猪木」を覚醒させた達人でもあった。

(福留 崇広)

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