証券アナリスト・エコノミストとして携わった後、頼れる身寄りのない高齢者の課題解決に努めている黒澤史津乃が、現役世代に向けて「親の介護に直面する前の心がまえ」の第一歩を解説。今回のテーマは「男の美学と終活」。

終活からはつい目を背けたくなりますが、「人として全うして終わる」ためには向き合い、備える必要があります。


「男の美学」が終活を直視できなくさせる?人として全うして終わ...の画像はこちら >>

1.人生訓「男の美学」とは

 とある町で「男の美学」と題され掲出されている人生訓をご存じでしょうか。各所の壁面に描かれたり、ポスターとして掲示されたりしています。


男の美学

・20代30代は「男に成りたい」
・40代50代は「男でありたい」
・60代70代は「男で死にたい」
・80代90代は「男として全うして終わりたい」


 今や、「男だから」とか「女だから」とか区別すること自体がナンセンスな時代ですが、あくまでも筆者のこれまでの経験に基づく分析ということで、本稿においてのみご容赦いただけましたら幸いです。


 筆者がこれまで関わってきた方たちの中には、普段は「男の美学」を地で行くような男気を振りかざしているにもかかわらず、こと「終活」といわれる分野に関することになると、真正面から向き合わず、目をそむけてしまいがちな男性が数多くいらっしゃいました。


 しかし、ついふたをしてしまいたくなる「終活」こそが、この「男の美学」の最終章「男として全うして終わりたい」を実現するために最も重要なツールなのです。


2.「終活から逃げたい男性」の四つの常とう句

 男性読者の皆さん、または皆さんの父親が次のようなセリフを口にしていたら、それは「終活」から逃げたいサインです。近い将来、病気や認知症、そして死亡という局面が自分自身に訪れることに対して、真正面から向き合うことを避けたいという気持ちの表れです。


1.「どうせ俺の方が先に逝くんだから」

 ご夫婦の場合に頻繁に耳にします。夫が病気や認知症を経て亡くなるという時間経過の中で、その間、妻がずっと心身ともに健康な状態で夫の面倒を見るという前提のセリフです。順番が逆になって妻が先に亡くなったり、妻が途中で認知症を発症したりすることで、夫の思い描いていた前提が崩れてしまった場合については、想像することすら全力で拒む傾向があります。


2.「ボケたり死んだりしたら、どうせもう俺は分からないんだから」

 認知症になった後や亡くなった後は、もう自分自身は耄碌(もうろく)しているのだから困ることはないとおっしゃる方は、意識がある間の苦痛、不便さ、恐怖感や孤独感に対し、総じて耐性が弱い傾向があります。


3.「体も頭も鍛えているから、大丈夫」

 老いにあらがう努力を惜しまないことは素晴らしいことですが、人間は致死率100%、必ず健康でなくなる時期が訪れます。「自分が健康でなくなるはずはない」「自分だけは認知症にはならない」という自信は、健康でなくなった状況を想像したくない気持ちの裏返しでしょう。


4.「金はあるから、誰にも迷惑はかけない」

 病気、認知症、死に対して向き合いたくない、わざわざシミュレーションをすることを通じて、本来なら想像もしたくないものに備える行動をしたくないという気持ちから、「資金の準備さえあれば、その時になってからでも何とかなるだろう」と自らを思い込ませて発するセリフでしょう。


 このような発言によって、まさに「臭い物にふたをする」感覚で、「終活」に対してあえて無関心になってしまうケースが、なぜか女性よりも男性に圧倒的に多いと感じるのは筆者だけではないと思います。


3.認知症の夫と、夫の言動に苦悩する妻

「終活」に無関心なまま年を重ねた男性たちのまわりでは、その後、いったいどんなことが起こっているのでしょうか。


 長年にわたり数多くの相談事例に対応している筆者が、最近、目に見えて増えてきていると感じているのは、認知症の夫の言動に苦悩して心身のバランスを崩す妻、そんな高齢両親の変わり果てた様子にどう対応したらよいのか分からず困惑する子世代、という家族像です。


 長年勤めていた会社を定年退職後、実家のある広島県で暮らしていた両親は、父親83歳、母親80歳。長男のヒロシさん(50)は、パート勤務で働く妻(48)、大学受験と高校受験を控えた長女・長男とともに埼玉県で暮らしています。ヒロシさんには妹(46)がいますが、アメリカ人の夫と海外暮らしをしており、日本に戻ってくることはほとんどありません。


 もともと家では口数が少なく、仕事以外での他者との交流を好まなかった父親が、65歳で定年退職した後は自宅に閉じこもりがちの生活をつづける一方で、社交的な性格の母親は近隣住民との交流や地域のボランティア活動にも参加して過ごしており、ヒロシさんは両親が問題なく広島でゆったりした老後を過ごしているものだと安心しきっていました。


 そんな父親が、大腿(だいたい)骨骨折による入院を契機に認知症の症状が一気に進んでしまいました。普段は相変わらず口数が少ないものの、突然豹変(ひょうへん)して目つきが変わり、母親に対して声を荒げて怒鳴る、杖を振り回すといったことが頻繁に起こるようになりました。


 体の大きな父親の乱暴な言動に対して、母親は言いようのない恐怖を感じ、常にビクビクして過ごすようになりました。週に数回は介護保険を利用してヘルパーに来てもらうようになりましたが、それ以外は父親の面倒を全て母親が見ていたところ、母親も次第に活力が低下し、声を荒げる夫の様子を知られたくない思いから、近所づきあいにも消極的になっていきました。


 決定的だったのは、父親が興奮して母親を突き飛ばしてしまったこと。

ヒロシさんもその時点で母親の苦悩を知ることとなり、両親を東京に呼び寄せて、父親を介護付有料老人ホームに入居させ、老年期うつ病と診断された母親とは自宅で同居することにしました。


 すると今度は、うつ症状がある義母との同居に、ヒロシさんの妻が強いストレスを感じるようになってしまいました。ただでさえ受験期の子どもたちの世話に過敏になっていた妻を、義母との同居のストレスから解消させるには、母親も高齢者施設に入居してもらう他に方法はないとヒロシさんは考えていますが、次は経済的問題です。


 サラリーマンだった父親と専業主婦だった母親の年金を合わせても、現在の父親の施設利用料を支払うのが精いっぱいで、母親を新たに老人ホームに入居させるには、両親のわずかな蓄えを取り崩していかなければなりません。


 しかし、あと何年つづくのかという計画が立てられない、広島の実家を現金化しようにも父親に成年後見人をつけなければ売却すらできないなど、資金繰りのめどを立てることができません。


 足りなくなったらヒロシさん自身が負担しなければならないと考えていたところで、妻からは「こちらがこんなに苦労をしているのだから、お金のことは米国の妹が負担すべき」と一触即発の発言もあり、ヒロシさんは、何をどこから対応すべきなのかの道筋が見えず、途方に暮れる毎日です。


4.定年退職後の30年の人生を経て、「人として全うして終わりたい」

 こうしたケースは、とてもひとごとで片付けられることではありません。今後、団塊の世代が80代に突入するにつれて急増するのではないでしょうか。


 厚生労働省の推計によれば、85歳男性の平均余命は6.31年、つまり現時点で85歳をむかえた男性は平均で91.3歳まで生きるということです。65歳で定年退職するとしたら、その後25~30年は人生がつづくと想定しておかなければなりません。


 それだけの期間が残されているにもかかわらず、「どうせ先に逝くから」「どうせ分からなくなるから」と目を背けていたら、65歳までにどんなに立派な仕事を成し遂げたとしても、果たしてその人の尊厳が保たれたまま人生のラストスパートを駆け抜けることができるのでしょうか。


 誰でも自分自身の体や頭が衰えていくことを想像するのは嫌なものです。


 だからこそ、「男の美学」を思い出してください。「男として全うして終わりたい」を実現するためには、「終わり」から目を背けずに学び、そして備えること(終活)が必要です。


 これはもちろん、男性だけに当てはまることではありません。女性だって同じです。


「人として全うして終わりたい」、まさに「人間の美学」と言った方が良いのかもしれません。


(黒澤 史津乃)

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