HRCエグゼクティブ・アドバイザー 佐藤琢磨 インタビュー後編(全2回)

 F1で表彰台に上がり、世界三大レースのインディ500を2度制した佐藤琢磨。49歳になった今も現役ドライバーとしてインディ500に出場する彼が今、力を入れているのが若手ドライバーの育成だ。

 ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS)のプリンシパル(校長)を務めながら、ホンダの若手ドライバーの活動をサポートするために世界中を飛び回っている佐藤。世界で戦う厳しさを誰よりも知る男に、旧知の間柄であるF1フォトグラファーの熱田護が直撃インタビュー。角田裕毅に続くドライバーは順調に育っているのか? 日本人が世界で活躍するために必要なものは何か? 6月末、オーストリアGPが開催されたレッドブルリンクで話を聞いた。

【勝てるドライバーに共通するのは人間的魅力】

熱田護(以下、熱田) メルセデスのキミ・アントネッリが活躍できている大きな要因となっているのは人間性だと言うのはよくわかります。彼はメルセデスの関係者だけでなく、ルイス・ハミルトンやマックス・フェルスタッペンをはじめ、みんなにかわいがられていますよね。

佐藤琢磨(以下、佐藤) そうですね。あのマックスだって10代でF1にデビューした当初は、あまりにドライビングが攻撃的すぎて、インタビューでも決して簡単に謝るようなタイプではありませんでした。メンタリティも非常にアグレッシブだなという印象でしたが、実際に接してみると、すごくチャーミングな一面がありますよね(笑)。

熱田 そうなんですよね(笑)。

佐藤 ミハエル・シューマッハも同じでした。勝利に対する執念は並外れていましたし、レースは冷徹な戦い方をしていました。ファンの間では彼のスタイルについてはさまざまな意見があったとは思いますが、本当のミハエルを知っている人たちは、彼が非常に人間味のある、愛すべきキャラクターだったと言います。

 彼は完璧主義者である一方で、つねに危機感や不安を持っていたドライバーでした。

だからこそ、夜遅くまでエンジニアと議論を重ね、「勝つためにまだ何かできることはないのか」「自分はもっと成長できるのではないか」と追求し続けていたと聞いています。真っ暗になったパドックから帰るタイミングがよく一緒になることがありましたが、それほどまでに勝利への準備を徹底していたのだと思います。

 そんな彼の勝利に対する並々ならぬ情熱に共感し、チームプリンシパルのジャン・トッド、技術部門を取りまとめるロス・ブラウン、マシン設計を手がけるロリー・バーンをはじめ、多くの優秀な人材がフェラーリに集まり、あの黄金時代を築き上げていきました。

熱田 シューマッハがフェラーリに所属した1996年から2006年までの11シーズンで、フェラーリは6度のコンストラクターズタイトルを獲得し、シューマッハ自身も2000年から2004年にかけて前人未到のドライバーズタイトル5連覇を達成しています。

佐藤 では「ミハエルと同じことを日本人がどうやればいいのか」と聞かれたら、もちろんドライビング技術という部分だけで言えば、日本人でも世界で戦える能力をもった選手はいます。でもミハエルや現在のアントネッリのように、とてつもない信念を持ち、周囲の人を動かすエネルギーや求心力を持てるかどうか。そこが非常に大きいと思います。

 モータースポーツは、決してドライバーひとりだけで結果を出せる世界ではありません。エンジニア、メカニック、チームスタッフ、スポンサー、そして多くの人たちが「このドライバーのために力を尽くしたい」と思える環境を作れるかどうか。それが最終的には大きな差になると思っています。

 それは頭がいいとか、運転技術が優れているとか、そういう話とは少し違う次元にあるんです。自分が信じる方向へ進むために、どのような環境を作り、周囲とどのようにコミュニケーションを取りながら最大限のパフォーマンスを発揮するのか。

そこがこのスポーツでは非常に重要であり、そのためにはコミュニケーション能力だけではなく、人間的な魅力が必要になるんです。

 ただ、スクールに来る若い選手たちは、まだ人生経験も少ないですから、最初からそれを理解しているわけではありません。だからこそ、本人が自分自身で気づき、成長できるような導き方を大切にしています。

【若い日本人ドライバーへの期待感】

熱田 今回、レッドブルリンクのF3にはホンダの若手ドライバー育成プログラム、ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)に所属する加藤大翔(たいと)選手を視察に来たと思います。加藤選手をどう評価していますか? 

佐藤 大翔は本当に頑張っていると思います。ただ世界のトップで戦っていくためには、まだまだ学び続けなければいけないことがあります。自分自身を振り返っても、当時は若さゆえの未熟な部分もたくさんありましたから、失敗も数多く経験しました。

 ただ、そのなかでもつねにチームと向き合い、「自分たちに何が足りないのか」「どうすればさらに高いレベルへ行けるのか」ということを、エンジニアやスタッフと徹底的に議論しながら進んでいました。

 大翔は若いながら大人びた部分がありますし、コミュニケーション能力も高い選手ですが、もっと自分から貪欲に成長を求めてほしいと思う部分もあります。自分のなかで納得できないことがあると、そこに意識が引っ張られてしまう傾向もある。

 トップレベルで戦うためには、うまくいかない状況も含めて受け入れながら、そこから何を学び、次にどうつなげていくかという力が必要になります。コミュニケーションスキルはすでに持っていますが、さらに高いパフォーマンスを発揮し、マシンから最大限のポテンシャルを引き出すためには、エンジニアとの関係性をもう一段深めていく必要があると思います。自分が気になった部分についてはアドバイスをしていますが、最終的に道を切り拓くのは本人自身です。

 今振り返ると、自分はつねに崖っぷちにいるような感覚だったからこそ、必死でした。できることは何でもやるという気持ちで、ドライビングスキルだけでなく、英語、フィジカル、チームとのコミュニケーションなど、自分に足りないものをひとつずつ埋めていきました。

 もちろん時代も違いますし、今の若い選手たちと単純に比較することはできません。現在の選手たちは幼少期からカートを始め、非常に高いレベルの環境で育っています。運転技術という部分では、昔よりもはるかに成熟していると思います。ただ世界で戦うためには、技術だけでなく、考え方や姿勢、そして自分自身を成長させ続ける日々が必要です。その部分では、まだまだ伸びしろがある選手も多いと感じていますね。

熱田 そこを突き抜けて、F1まで行ってほしいですよね。

佐藤 育成というのは、決まった答えがある世界ではないですからね。だからこそ、我々もつねに学び続け、挑戦し続けるしかないと思っています。毎年、強い意志を持ってスクールを受けにきてくれる選手がいます。そのなかから、持っている可能性を開花させ、世界で戦えるドライバーへと成長してくれることを願っています。

 レーシングブルズのリザーブドライバーを務める岩佐歩夢は、今回(オーストリアGP)もFP1(フリー走行1回目)で非常にいい走りをしていましたね。彼は自分がHRSプリンシパルとして就任した最初の年(2019年)に出会った選手ということもあり、とくに印象に残っています。彼がスクールを卒業した翌年は、新型コロナウィルスの世界的なパンデミックが起こり、非常に難しい状況のなかでヨーロッパに渡り、フランスF4に挑戦することになりました。

 当時は、現在のように自分たちが現場に行って継続的にサポートできる環境ではありませんでした。リモートでアドバイスを送ることはできましたが、基本的には自分自身で海外の厳しい環境に飛び込んでいかねばならなかった。しかし、そこで彼はしっかりと結果を残し、フランスF4でチャンピオンを獲得しました。

 その後、レッドブルの育成プログラムという非常に競争の激しい環境に入り、自分自身の立場を築いてきました。F2にステップアップしてからも、速さを示すだけでなく、チームスタッフと信頼関係を築きながら、フランスのダムスをトップ争いのできるチームへ押し上げ、上位争いを演じました。2024年に日本へ戻り、スーパーフォーミュラに参戦すると、2年目にはチャンピオンを獲得。そして現在もレーシングブルズのリザーブドライバーとして、F1への可能性を追求しています。

 今では、ホンダのサポートだけに頼るのではなく、自分自身の力で評価を勝ち取り、世界の舞台で存在感を示しています。非常に頼もしく感じています。

もちろん、ここからレースシートを獲得するためには、実力だけではなく、タイミングや巡り合わせという要素もありますが、チャンスをつかめる機会に恵まれることを願っています。

 歩夢の強みは周囲を引きつける力と、つねに吸収し、学び続けようとする姿勢だと思います。もちろん、自分の立場としては、HRSの卒業生一人ひとりを平等に見ていますが、歩夢にはこれまで積み重ねてきたものを生かし、ぜひ大きなチャンスをつかんでほしい。

【自身の経験を若手に還元していきたい】

熱田 今年のF3には、ホンダ育成の加藤選手、トヨタ育成の中村仁選手に加え、山越陽悠選手、りー海夏澄選手の4人が参戦しています。将来が楽しみですね。

佐藤 そうですね。今、ヨーロッパで頑張っている日本人選手に対しては、メーカーの枠組みは関係なくみんな応援しています。彼らにはお互いに刺激し合って、少しでも高いレベルを目指してほしい。自分がヨーロッパでF3を走っていた時も、金石年弘や福田良がいて、それぞれが強く意識しながら戦っていました。

熱田 2001年シーズンは、琢磨さんはイギリスF3、金石選手はドイツF3、福田選手はフランスF3でそれぞれチャンピオンになりましたね。

佐藤 いい意味でのライバルから受ける刺激というのは、ドライバーにとって絶対に必要です。今、F3で戦っている選手たちは、昨年のFRECA(フォーミュラ・リージョナル・ヨーロッパ)からみんな一緒にステップアップしてきましたが、現場に来ると日本人同士がグリッド前後で固まることが多くて「全日本選手権だな。

わざわざヨーロッパまで来てやらなくてもいいのに」って言うんだけど(笑)。でも、互いにレベルを高め合って勝ち上がってきてほしいですね。

 F3やF2といったジュニアカテゴリーで本当に光る走りを見せている選手であれば、国籍やメーカーの枠を超えて、F1へ進むチャンスは必ずあると思います。それくらいのレベルまで到達してほしいです。

熱田 最後に、若手ドライバーの育成という仕事はやりがいがありますか?

佐藤 人生のチャレンジのひとつとして、今でも現役ドライバーとして挑戦を続けられていることは本当に幸せなことだと思っています。その一方で、今まで自分が経験してきたことを次の世代のドライバーたちのために生かせる立場になったことも、大きな意味を感じています。

 自分自身が心身ともに高いモチベーションを持っている限り、インディ500には全力で挑み続けたいと思っています。挑戦できる場所があり、それを支えてくださる方々がいるということは決して当たり前のことではありません。そのプロジェクトを実現するために、多くの方々からサポートをいただいていることに心から感謝しています。

 そして、これまで自分がレースの世界で学んできたことを、若いドライバーたちへ少しでも還元していきたい。それが、現在の自分に与えられた役割のひとつだと思っています。

終わり

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<プロフィール>
佐藤琢磨 さとう・たくま/1977年、東京都生まれ。ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿(HRS)のプリンシパル(校長)、ホンダ・レーシング(HRC)エグゼクティブ・アドバイザー。1997年に20歳でHRSの前身である鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-F)を首席で卒業。その後、渡英して2001年にイギリスF3選手権でチャンピオンを獲得し、F1登竜門のマールボロ・マスターズF3、マカオGPも制覇。2002年にはジョーダン・ホンダからF1デビューを果たし、2004年のアメリカGPでは3位表彰台を獲得。2010年以降はアメリカのインディカー・シリーズへ転向し、2017年と2020年には日本人として初めてインディ500を制覇。現在も現役としてインディ500に出場。2026年もインディ500にスポット参戦し10位完走を果たす。

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