HRCエグゼクティブ・アドバイザー 佐藤琢磨 インタビュー前編(全2回)
アメリカのインディ500に出場する現役ドライバーでありながら、ホンダ・レーシング(HRC)のエグゼクティブ・アドバイザーを務め、ホンダの四輪レース活動のサポートを行なう佐藤琢磨。世界最高峰フォーミュラカーレースのF1やインディカーで活躍してきた49歳が今、若手ドライバーの育成に力を注いでいる。
佐藤がプリンシパル(校長)を務めるホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS)からは角田裕毅や岩佐歩夢らトップドライバーが巣立っているが、彼らに続くドライバーは順調に育っているのだろうか? また、日本人が世界で活躍するために必要なものは何か? 6月末に開催されたオーストリアGPにて、F1フォトグラファーの熱田護が佐藤に直撃インタビューを行なった。
【世界で成功する要素を育む】
熱田護(以下、熱田) インディ500では現役ドライバーとして参戦している佐藤選手ですが、それ以外のお仕事について教えてください。
佐藤琢磨(以下、佐藤) ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS)で若手ドライバーの指導に携わっています。また、ホンダ・レーシング(HRC)のエグゼクティブ・アドバイザーとしては、四輪レース活動全般のサポートに携わるとともに、ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)の一員として国内外で世界を目指すドライバーの育成にも関わっています。
2019年に中嶋悟さんから鈴鹿サーキットレーシングスクール(現HRS)を引き継いで、プリンシパルに就任しました。その最初の卒業生が岩佐歩夢です。
熱田 今シーズン、レーシングブルズでリザーブドライバーを務めている岩佐選手ですね。
佐藤 これまでスクールを卒業した若手はホンダの育成プログラムであるHFDPに加入すると、スクール側からはその後の成長過程を見ることができなかった時代がありました。
そこでスクールとHFDPの連携をより深め、少なくともF4までは一貫した視点で選手を見ることができる環境を作りたいという話をさせていただきました。その結果、育成カテゴリーにおけるコミュニケーションは大きく改善されたと思います。少しずつですが、ひとつの流れとして形になってきたと感じています。
さらに現在は、海外とのコミュニケーションや交渉も含め、より一歩先を見ながら育成を進めることができています。ホンダ、HRCとしては単にカテゴリーを勝ち上がるだけでなく、世界の舞台で長く活躍できるドライバーになってほしいという視点を持っています。
熱田 ということは、HRSやHFDPに入るドライバーというのは、琢磨さんが基本的に全部見ているのですか?
佐藤 最終的にはHRCが判断することになりますが、現場でのサポートという意味で、とくに育成選手に関しては全員と関わりがあります。ただ、ホンダの場合は海外の育成プログラムのように、いわゆる有能な若手を発掘したり、ヘッドハンティングしてドライバー契約したりする形ではありません。HRSの理念としても、単に速いドライバーを見つけて育てるドライビングスクールではないのです。
HRSは、世界の舞台で活動していける、真のプロフェッショナルレーシングドライバーを育成することを目指しています。人材育成が目的ですので、あくまで選手が自分の意志でスクールに来てもらう形を取っています。
もちろん、レーシングドライバーにとって、速さは絶対的に必要な要素です。ただ、この世界で成功していくためには、ドライビングの技術だけでは十分ではありません。コミュニケーション能力、チームを引きつける力、スポンサーとの関係構築、そして周囲から応援される存在になるための人間力。そうした成功するために必要な要素を身につける準備期間として、スクールの存在があると考えています。
熱田 HRSはSFやSGTで活躍する国内の現役トップドライバーが特別講師を務めることが売りですよね。
佐藤 スクールでは野尻智紀を筆頭に、SFやSGTで活躍するホンダのトップドライバーが特別講師として力を貸してくれています。
生徒から見ても、現役プロドライバーが関わってくれることは大きな刺激になりますし、自分が目指すべき姿をイメージできる貴重な機会になっていると思います。スクールで我々が注目しているのは速さだけではありません。グローバルな舞台で活躍できる人材なのか、その選手の個性や成長段階に合わせてどのようなサポートが必要なのかを見極めることも、我々の役割だと思っています。
可能性がある選手は積極的に海外に送り出し、多くのF1ジュニア育成と同じような環境のなかで、欧州のレースを経験してもらっています。そのまま欧州に残り、さらに成長していく選手もいれば、日本に戻って活躍する選手もいます。しかし、どちらの道を選んだとしても、海外で厳しい環境を経験したことはドライバーとして大きな財産になります。
【キミ・アントネッリが飛躍できた理由】
熱田 ドライバーは上のカテゴリーに行けば行くほど、飛び抜ける人と、そうでもない人が出てきます。それは運や求心力など、いろんな要素が関与していると思いますし、つねにチームメイトと比較されて勝っていかなければならないこともあります。琢磨さんも数々の修羅場をくぐりぬけ、今の立場があるわけですよね。生き残っていくために必要なものとは何ですか?
佐藤 まず大前提として、当然、速くなければなりません。レーシングドライバーとして、スピードへのセンス、マシンを操る能力、それからレースクラフト(組み立て)の巧さ。
ただ、トップカテゴリーに近づけば近づくほど、それだけでは差がつかなくなってきます。F3のレベルまで来ると、ほとんどのドライバーが十分な速さを持っています。現実的にF1への登竜門となる重要な選手権ですし、ここに参戦しているドライバーの多くは、それぞれのジュニアカテゴリーでチャンピオンを経験してきています。もっと言えば、欧州のカート選手権や世界選手権を勝ち上がってきた選手ばかりです。
でも、ここから先はより厳しくなります。F2、そしてF1にステップアップできるドライバーと、そうでないドライバーに分かれていってしまう。もちろん、運やタイミングという要素もあります。しかし、それらのチャンスを自分のものにするための準備をしているか、そして周囲から「このドライバーに託したい」と思ってもらえる存在になれるかどうかも、ドライバー自身の力だと思っています。
たとえば、今年のキミ・アントネッリ(メルセデス)を見ても、デビュー2年目でここまでの成績を残すとは、多くの人が想像してなかったと思います。彼が今、あれほどのパフォーマンスを発揮しているのは、もちろん本人のたゆまぬ努力と成長力が大きいのですが、それだけではありません。自分自身の力を最大限に発揮できる環境を作り出す、人間的な魅力や求心力も大きな要素だと思います。
熱田 それは具体的にどういうところですか?
佐藤 自信に満ちあふれ、その状況を楽しんでいるということです。今年のメルセデスのマシンが速いという大前提はありますが、あのジョージ・ラッセルを相手に、毎回のように非常に高いレベルのパフォーマンスを発揮しています。ラッセル自身も、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)を追い詰めるほどの実力を持ったドライバーです。
ラッセルはF2参戦初年度にチャンピオンになり、圧倒的なスピードで勝ち上がってきました。そしてメルセデスの育成ドライバーとしてウイリアムズで3シーズンを過ごし、2022年にトップチームに昇格しています。ラッセル自身、今年は自分のシーズンにしたいという強い思いを持っていたはずですが、対してアントネッリがこれほどの速さを見せているということは、本当に驚異的なことだと思います。
でも昨年のアントネッリをよく見ると、ルーキーにありがちなミスを繰り返していましたし、現在見せているような完成度の高い強さを発揮できていたわけではありません。若い選手は、自分が劣っていることを認めるのが難しい時期があります。「こんなはずはない」という思いが強くなり、自分自身に過大なプレッシャーをかけてしまうからです。
でも彼の場合は、彼自身の魅力や人間性によって、彼を支えるすばらしい環境が自然と出来上がっていった。「自分らしくやればいいんだ」と気づいたことで、本来持っている能力を発揮できるようになった。それが今のアントネッリにつながっているのだと思います。
そもそもアントネッリはカート時代から驚異的な速さを見せていました。また、お父さん(マルコ・アントネッリ)がイタリアF4でチームを運営している環境もあり、早くからフォーミュラでトレーニングを積み、順調にステップアップしてきました。重要なのは、彼自身がその環境に甘えるのではなく、自分の力で評価を勝ち取ってきたことです。お父さんのチームでデビューしていないことも、そのひとつの表れだと思います。
周囲のサポートを受けながら、順調に勝利を重ね、フォーミュラ・リージョナルから飛び級で2024年にF2に参戦し、翌2025年には18歳でF1デビューを果たしました。でもF2では常勝チームのプレマに所属していながら、なかなか勝てなかった。
熱田 F2ではランキング6位に終わり、正直、期待外れの結果でしたよね。
佐藤 関係者はマシンが変わったことで勢力図が変化し、プレマが大苦戦に陥ったことを理解していました。しかし、ハミルトンやオスカー・ピアストリ、ラッセルのように、F2で圧倒的な強さを示してタイトルを獲得したわけではありません。ですから、ファンや一部のメディアから「連戦連勝していたわけでもないのに、なぜF1にステップアップするのか」と疑問の声が出るのも当然だったと思います。
でも、注意深く見ていくと、彼の周りには状況を正しく理解し、彼の可能性を信じている人たちがいました。もちろん、ハミルトンがメルセデスを離れてフェラーリへ移籍したことで、大きなチャンスが巡ってきたことは事実ですが、それだけの理由でF1ドライバーになれるわけではありません。
最終的には、本人が持つ才能や可能性を見抜いた人たちがいて、その人たちが「この選手を支えたい」と思えるだけのものをアントネッリ自身が持っていたということだと思います。圧倒的なスピードだけではなく、困難な状況でも成長し続けようとする姿勢、強い信念と将来性に加え、チャーミングな人間性と魅力を備えていたことはとても大きい。だから彼に関わった多くの人が彼の才能を信じ、応援したいという気持ちになるのです。
後編へつづく
<プロフィール>
佐藤琢磨 さとう・たくま/1977年、東京都生まれ。ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS)のプリンシパル(校長)、ホンダ・レーシング(HRC)エグゼクティブ・アドバイザー。1997年に20歳でHRSの前身である鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-F)を首席で卒業。その後、渡英して2001年にイギリスF3選手権でチャンピオンを獲得し、F1登竜門のマールボロ・マスターズF3、マカオGPも制覇。2002年にはジョーダン・ホンダからF1デビューを果たし、2004年のアメリカGPでは3位表彰台を獲得。2010年以降はアメリカのインディカー・シリーズへ転向し、2017年と2020年には日本人として初めてインディ500を制覇。現在も現役としてインディ500に出場。2026年もインディ500にスポット参戦し10位完走を果たす。



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