【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第7回 竹井祐貴(JR東日本)前編

【マラソン】「どうしても出たい」わけではなかった箱根駅伝 亜...の画像はこちら >>

 箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。

本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

 第7回は、竹井祐貴選手(JR東日本・26歳)。2025年7月のゴールドコーストマラソンを2時間07分33秒の大会新記録(当時)で制すと、続く2026年2月の大阪マラソンで2時間06分24秒の好タイムをマークし、MGC出場権を獲得した注目ランナーだ。インタビュー前編では、強豪校出身ではない竹井選手が、亜細亜大4年時に関東学生連合の一員として箱根駅伝に出場するまでの道のりを振り返る。

【レベル的には"ある程度走っている高校生"】

 竹井祐貴が陸上競技を始めたのは中学生の時だった。

「最初はバスケ部に入りたいなと思っていたのですが、小学校の持久走大会でけっこう走れていましたし、姉が陸上をやっていたこともあり、『まぁ、陸上でいっか』という軽い感じでスタートしました」

 中学時代は練習すればするだけ記録が伸びた。それが単純に楽しかった。ただ、高校進学にあたっては、陸上をメインには考えなかった。鹿児島実業や鹿児島城西、鹿児島工業といった強豪校ではなく、将来の選択肢を増やすべく、進学校の鹿児島中央高校に進んだ。

 高校でも陸上部に入部したが、都大路(全国高校駅伝)にはそれほど興味が湧かなかった。

「どれだけタイムを伸ばせるか、どれだけ自己ベストを更新していけるか、というのが僕は面白かったんです。それが競技に取り組むうえでのモチベーションでした」

 陸上部の長距離部員は先輩が3、4人、そして同学年にはひとりだけ。1、2年時は他の部活から助っ人を募って駅伝に参加したものの、3年時はチームを組めなかった。

「当時はそれでいいと思っていたんです。駅伝に興味がなかったわけではないのですが、その一方で、特別な思い入れもなかったので。ただ、個人としては、ちゃんと時間を割いて競技に向き合っていました。高校の監督同士が知り合いということで、水曜と土曜の週2回、鹿児島工業の練習に参加させてもらいました。駅伝でどこどこの高校に勝ちたいというよりも、個人で誰かに勝ちたいという意識が強かったんです」

 強度の高いポイント練習は鹿児島工業で行ない、つなぎのジョグは部活や自主練でこなした。その結果、徐々に走力が上がり、高3になると、5000mの記録会で14分50秒を切った。迎えた南九州大会では、井川龍人(九州学院→早稲田大→旭化成)、手嶋杏丞(宮崎日大→明治大→旭化成)らも出場した5000mで9位だった。

「レベル的には"ある程度走っている高校生"です。南九州(大会)までは行けるけど、インターハイには行けない。それもあって、高3になった時は、卒業後の進路を悩みましたね。勉強して地元の(国立大学である)鹿児島大学に行くのか、それとも上を目指して陸上を続けるのか」

【「なぜ亜大?」驚かれた進学と、箱根予選会の苦い記憶】

 その進路選択の決め手になったのは、高2の冬に走った鹿児島県下一周駅伝だった。鹿児島では、毎年2月に5日間全53区間(全500km以上)で襷をつなぐ、全国でも類を見ない駅伝が開催されている。竹井はそこで区間賞を獲得した。

「この駅伝がけっこう楽しかったので、最終的には陸上を続けるのもアリだなって思ったんです。また、ちょうどそのタイミングで鹿児島に視察に来ていた亜細亜大の佐藤(信之)監督(当時)に『練習会に参加しなよ』と声をかけていただいたんです。そして、トラックでのポイント練習が終わると、『今日来てくれたから君を取るよ』と言われました。めちゃくちゃ急展開ですけど、なんか面白そうだなと(笑)。直感的に、ついていこうと思いました」

 だが竹井は、亜大が2006年に箱根駅伝を制した伝統校であり、低迷期を経て名門復活を目指していることを知らなかった。そもそも箱根駅伝についてもそれほど興味があったわけではなかった。「この区間を走りたい」「どうしても出たい」ではなく、「出られるなら出たい」程度だった。

「それでも箱根に出られるならいいなと思い、佐藤さんに『箱根に出られますか?』と聞いたんです。スカウトなら普通はどんなに難しくても、『頑張れば出られるよ』とか『可能性はあるよ』とか言いますよね? でも、佐藤さんは『いや、わからない』と(笑)。すごく正直というか、それが逆にいいなと思ったんです。人間的なところに魅力を感じました」

 その後、ある箱根常連校の監督が県大会の視察に来てくれた際、「(進学先は)亜大を考えています」と伝えると、「なぜ亜大?」とかなり驚かれた。確かに、当時の亜大は8年連続で箱根駅伝出場から遠ざかっていた。

それでも竹井は「可能性はゼロではない」「目指すなら佐藤さんと一緒に挑戦したい」と、最初に声をかけてくれた亜大への進学を決めた。

 亜大入学後の初めての寮生活は楽しかった。先輩も優しかった。そんななか唯一、面食らったのが練習だった。

「高校時代と比べ、一気に練習の量と質が上がったので、最初はついていくのが大変でした。ようやく夏頃には慣れてきて、箱根予選会のメンバー選考の段階までは残れたのですが、レース3週間前に右脚のシンスプリント(すねの内側の痛み)を発症し、出場はかないませんでした。チームもあと一歩のところで予選会通過を逃し、すごく悔しかったです」

 竹井の1年時の予選会は、記念大会のため上位11校が本戦の出場権を得られた。亜大は11位の上武大から2分03秒差の13位だった。続く2年時の予選会は22位(竹井の個人順位は190位)、3年時は20位(同83位)、そして、ラストチャンスとなる4年時も22位(同35位)に終わった。

「(最終年を前に)同期とは自分たちの代が引っ張っていけるようなチームにしようと何度も話し合いをしました。でも、結果を出せなかった。うまくいきませんでしたね」

【関東学連で走った箱根は「切実な感じがなかった」】

 ただ、4年間でしっかりと力を伸ばした竹井個人は、予選会での順位と記録を評価され、関東学生連合のメンバーに選出。

迎えた2022年の第98回箱根駅伝、竹井は復路の9区に起用された。

「走りたい区間は5区でした。目立つし、面白そうじゃないですか。でも、予選会の結果などを見ても、5区だと(走力的に)うまく走れないと思ったので、基本的にはどの区間をまかされても、自分の走りをするだけだと考えていました。9区だと言われた時の感想は、『そうか。(23.1kmは)ちょっと長いな』くらいです(笑)」

 復路当日、戸塚中継所の待機所にいる間も、特に緊張はしなかった。16位相当で襷を受け取ると、前を行く明治大の背中を追って走り始めた。

「箱根は(沿道に)めちゃくちゃ人が多かったです。『これって、他の駅伝ではできない経験だよな』って思いながら走っていました。途中からは、応援しにきてくれた友人を探していました。『あいつが来てる!』とか。23.1kmという距離はちゃんと苦しかったですが(苦笑)、すごく面白かったです。

 ただ、走り終わってから思ったのは、(関東学生連合ではなく)単独出場校のメンバーとして、シード権ギリギリの順位とかだったら、あんなに楽しんで走れなかっただろうなということです。関東学生連合も襷をつなぎますけど、切実な感じがなかった。それでも、ずっと一緒に練習をしてきた(亜大の)後輩たちが、その後、箱根を目指すうえでのひとつの指標にはなれたのかなと思います」

 竹井は、9区で区間6位相当のタイムをマークし、最初で最後の箱根を終えた。この経験はその後の競技人生にどんな影響を与えたのだろうか。

「僕は全中もインターハイも出ていないし、大学4年で箱根駅伝を走るまでは、多くの人が注目するような大会に出たことがありませんでした。そういう大きな舞台でどのくらい戦えるのか、どんな結果を出せるのか、まったく予想できないなかで、実際に走ってみて、区間ひとケタにまとめて走れた。その経験と自信は、マラソンで世界を目指している今も大きな財産になっています」

(つづく)

後編を読む>>>アジア大会補欠の竹井祐貴「日本代表のユニフォームを着て走りたい」 来秋MGCを勝ちきりロス五輪へ

竹井祐貴(たけい・ゆうき)/1999年生まれ、鹿児島県出身。鹿児島中央高から亜細亜大に進み、箱根駅伝は4年時に関東学生連合の一員として9区を走って区間6位相当。大学卒業後はJR東日本に入社。2025年7月のゴールドコーストマラソンを2時間07分33秒の大会新記録(当時)で制すと、2026年2月の大阪マラソンでは2時間06分24秒(日本人3位、総合7位)をマークしてMGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。マラソン以外の自己ベストは5000mが13分51秒91、10000mが28分32秒16、ハーフマラソンが1時間03分11秒。

佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

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