1971年7月30日午後2時すぎ、岩手県雫石(しずくいし)町の上空で、全日空58便のボーイング727と、航空自衛隊のF-86F戦闘機が空中で接触した。旅客機は空中分解し、乗客155名、乗員7名の合わせて162名が死亡した。
今から55年前のことである。
旅客機と接触したのは、訓練飛行中だった2機の戦闘機のうち、訓練生が乗っていた1機だった。ベテランの教官が前を飛び、訓練生がそれに追従する編隊飛行の訓練中で、その訓練機に、南下してきた全日空機が追突する形で事故が起きた。
訓練機は衝撃で失速し、機種を下げ、らせんを描いて高速で回転しながら落下する危険な「きりもみ状態」になったが、訓練生は機体から脱出し、何とか生き残った。教官機は直接事故に巻き込まれなかったので、無傷で基地に帰投した。
自衛隊の訓練で、民間機に多数の犠牲者が出た。自衛隊のパイロットは2人とも生きている。誰かが責任を取らなければならない――そういう世論が急速にできあがっていった。警察が動き、検察が動き、2人は刑事被告人になった。(島崎敢(近畿大学教授・安全心理学))

「衝突前に“見えたはず”だ」という論理

一審は、2人とも有罪としたが、訓練生には控訴審で無罪が言い渡され、最終的に有罪になったのは、衝突していない教官だけだった。訓練生が全日空機を見ることができたのは接触の2秒前で、「避けようがなかった」と判断されたからである。
一方、有罪となった教官の罪名は業務上過失致死。過失の中身は、見張りを怠ったことである。
判決には、この日の訓練空域が民間機の航路に近接していたことも書かれている。
当時の戦闘機の訓練は、有視界飛行――パイロットが自分の目で外を見ながら飛ぶ方式で行われていた。他機との衝突を避けるのも、目視が頼りである。教官が有罪となった理由は、「きちんと周囲を見張っていれば全日空機に気づき、訓練生に回避を指示できたはずだ」というものだった。
教官が見張るべき範囲は、自機の進行方向の左右それぞれ60度あまりと、訓練機の方向の左右それぞれ60度あまりだと判決は認定した。首を振って無理なく見える範囲ということである。
そして接触に至る飛行経路を逆算すると、接触の44秒前から27秒前までの間、全日空機はその範囲の中にあった。教官機から見て右斜め上方、距離にして約8キロから約3.8キロ。理論上は肉眼で捉えられるだけの大きさになっていたはずだ。このとき教官が全日空機を見つけ指示を出していれば訓練生は10秒程度で回避でき、事故は防げていたはずだというのが裁判の結論だった。

求められた「10本の指で20個の鍵盤を押さえる」

これに対し弁護側は、人間の視覚の専門家による鑑定書を提出していた。人間の目と脳の働きから見て、教官が全日空機を視認するのは「極めて困難だった」という内容である。
鑑定書はこう述べる。
教官の視線は、右後方を飛ぶ訓練機と、自機の進行方向との間を、絶えず速く行き来していた。全日空機は、その視線が通る軌跡から離れた場所にあった。目を動かし続ける筋肉も疲労する。そうした条件が重なるため、全日空機を見つけるのは、不可能ではないにせよ困難である――。
さらに別の鑑定書は、視線の移動速度が毎秒50度を超えたり、目標が視線の軌跡から上下に30度以上離れていたりすると、それを見落とす可能性は大きくなる、と指摘した。
それでも、裁判所は、視線の移動速度や軌跡が、視認を困難にするほど重要な要素だったとは認めなかった。
理由はこうである。全日空機の見かけの大きさは十分に大きかった。教官の見張りは繰り返し行われるものである。そして、そのような見張りの方法は「教官に対して通常の任務として課せられていたもので、特に見張り困難による危険があるとは考えられていなかった」
しかし、よく考えてみるとこの理屈は論点がずれている。
専門家が「人間の目の能力から考えて見つけるのは難しい」と言っているのに、裁判所は「義務だからやるべきだ」「仕事なんだからできるはずだ」と返しているのである。
人が一度に注意を向けられる量には限りがある。
訓練中の教官は、自分の機を操縦し、進路と高度を保ち、計器を見て、そして何より、初めて難しい隊形に挑む訓練生の動きを追い続けなければならない。この時点でかなりのマルチタスクであるのに、これに加えて裁判官は「それでも空の全方向に目を配れ、なぜならそうすべきだからだ」と言ったことになる。
これは「10本の指で20個の鍵盤を押さえろ、それができないのは、奏者が義務を怠っているからだ」と言っているようなものだと思う。
そもそも、この事故で問題だったのは「全日空機が見えたか」とか「避けられた可能性があるか」ではなく「なぜ、旅客機が通る民間航路のすぐそばで、戦闘機の編隊訓練が行われていたのか」であるはずだ。ところが、この事故の根幹に目を向けると、事態は急に不透明になる。

急ごしらえで設定された空域

ここからは、足立東氏の著書『追突』(1993年/日本評論社)の記述に沿って見ていく。同書は、5通の判決文と事故調査報告書を突き合わせて、この事故の空域をめぐる経緯を検証した書籍である。
事故が起きたのは「盛岡」と呼ばれる訓練空域だった。この空域は、事故当日の朝になって、急ごしらえで設定されたものである。
その朝、使う予定だった空域のひとつが、別の部隊に取られて使えなくなった。空域が足りない。訓練空域の割り当てを担当していた飛行班長補佐の三佐は、代わりの空域を急いで用意する必要に迫られた。彼はブリーフィングルームの壁に貼られた航空図の前に立ち、手の平を航空図の上に置き「ここに設定する」と指示した。
それが臨時空域「盛岡」である。
このとき部屋にいた者たちが見ていた航空図には、民間機の航路が描かれていなかった。「盛岡」を指定した三佐も、後に「航路のことは頭に浮かばなかった」と証言している。実際には手のひらで示された訓練空域のど真ん中には、民間機の航路が貫いていたのだが、その場にいた誰からも、そのことは指摘されなかった。
なぜ、民間航路の描かれていない図を使って空域を決めたのか。なぜ、この問題を誰も指摘しなかったのか。気づかなかったのか、あるいは気づいていたが指摘できなかったのか。どうすれば、民間機と同じ空域で訓練するという事態は防げたのか。次の事故を防ぐために解決しなければならないのは、この部分である。
ところが前述の通り、この経緯は、明らかになるどころか、かえって見えにくくなっていく。

「なぜこんな図になったのか分からない」

事故のあと、事故調査報告書と刑事裁判で使われた「盛岡」空域の図は、当日の朝に手のひらで示されたものとは、別の形をしていた。民間機の航路とその周囲の制限空域を、ぎりぎりのところで避けた形になっていたのである。境界線が制限空域の縁とぴたりと一致する、精巧な図だった。

この図は不自然である。空域を指示した当の三佐自身も、法廷で「なぜこんな図になったのか分からない」と証言している。事故調査委員会の委員長も、図を区切る線について「もともと非常にあいまいで、存在したかどうかもはっきりしない」と述べているし、民事一審の判決でも「この図は事故の後になって、制限空域を考慮して作図されたものと推測される」と述べられている。
足立氏はさらに以下のような突っ込んだ推測をしている。
当日の朝に指示された空域は、実際には民間機の航路を含んでいた。それが明るみに出れば、責任は空域を設定し、承認した組織の側にまで及ぶ。それを避けるために、事故のあとで、航路を避けた形の図が作られたのではないか――。
要するに、上層部はきちんと指示を出していたのに、現場の教官が入ってはいけない空域に侵入して訓練をしたから事故になった」という話に作り替えられたのではないか、という見立てである。
証拠はない。教官はこの件について、その後、固く口を閉ざしたままであり、真偽を確かめる術はない。
だが、仮にそうだったとして、なぜそんなことをしなければならなかったのか。それは責任を追及されていたからである。
誰かが責任を問われるという状況になれば、人も組織も身を守ろうとする。都合の悪いことは語らず、記憶はあいまいになり、私たち第三者には「本当のこと」が分からなくなる。

責任追及は事故の「原因」を見えなくする

再発防止のために私たちが知らなければならないのは、誰が悪いのか、誰を罰するべきかではない。なぜ、事故が起きたのか、どうすれば防げたのかということである。
事故のあと、生き残った自衛隊員2人には世論の非難が集中し、警察の捜査が始まり、刑事責任の追及が現実のものになった。そうなれば、当事者も組織も、自分たちを守らざるを得ない。その結果、どういう経緯で危険な空域が生まれ、どうすればそれを防げたのかという最も重要な経緯が、隠されてしまったのだ。
このような事態を防ぐために、航空事故の調査については、国際的な取り決めがある。シカゴ条約の付属書13は、事故調査の唯一の目的は将来の事故の防止であって、罪や責任を割り当てることではないと定めている。調査と処罰は切り離す考え方である。
事故調査で集めた証言や記録を、刑事裁判の証拠として使わせないという原則も、そのためにある。原因を突き止めるために話したことが、自分を罰する材料になるのであれば、誰も本当のことなど話さなくなるからだ。
日本はシカゴ条約の締約国である。それでいて、この原則を今も守っていない。航空事故が起きれば警察が乗り出し、業務上過失致死傷の容疑で現場を押さえ、関係者を取り調べる。それが日本では当たり前になっている。だが世界の航空関係者から見れば、これは当たり前どころか、信じがたい光景である。
2024年の羽田空港の事故のときも同様のことが起き、国内外からただちに批判の声が上がった。事故のたびに警察が“犯人”を探す国。国の事故調査の結果が、そのまま人を罰する証拠になる国。そして原因究明や再発防止よりも、犯人探しと責任追及が優先される国。それが日本である。この悪しき慣行が本格的に始まったのが、雫石の事故だったといえるだろう。

再発防止に「何の貢献もしていない」裁判

雫石の事故の直後、政府は、民間の航空路と自衛隊の訓練空域を完全に分けるという方針を打ち出した。すべての航空機を管制の下に置く方向にも舵を切った。のちには、航空機同士の接近を自動的に検知してパイロットに警告する衝突防止装置が開発され備えられていく。どれも、「人は見落とす」という前提に立った対策である。
これらの対策の結果、現在では同様の事故が起きる可能性はほぼなくなったと言って良い。
しかしこのような事故リスクを下げる取り組みに対して、パイロットの責任の有無にこだわり続けた捜査や裁判や判決は何の貢献もしていない。それどころか、本当の原因を闇に葬ってしまった可能性すらある。
事故が起きるたびに、私たちは誰が悪いのかを問い、責任を負わせて、それで終わりにしたくなる。そしてそういった世論が、日本の「悪しき慣行」を後押ししている部分もある。しかし、犯人を見つけ責任を負わせることと、二度と同じ事故を起こさないことは、まったく別の話である。
誰かを見つけて責めたところで、空は安全にならない。55年前の岩手の空が、いまも教えているのは、そのことである。
■島崎敢
1976年東京都生まれ。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教、防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学特任准教授、近畿大学准教授を経て、近畿大学教授。元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など、多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者。著書に「心配学~本当の確率となぜずれる~」(光文社)等があり、学術的知見を現場へ還元する実践の場として、トラックドライバー応援Podcast「プロフェッショナルドライブ」を配信中。


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