三井化学<4183>は、日本を代表する総合化学メーカーの1社だ。しかし、現在は従来の石油化学メーカーではなく、「グローバルスペシャリティカンパニー」への転換を掲げ、事業ポートフォリオの大規模な組み替えを進めている。
歯科材料を成長事業に位置付けた理由
三井化学は1997年、三井グループの化学事業再編の一環として、三井石油化学工業と三井東圧化学が合併して誕生した。長らく収益基盤は石油化学や基礎化学品だった。
一方で、石油化学事業は景気変動や原料価格の影響を受けやすく、設備を増強する中国企業との国際競争にもさらされている。そのため同社は2010年代以降、高付加価値製品を中心とするスペシャリティ化学へ軸足を移していった。
この方向性を象徴する案件が、2013年に約543億円を投じた独Heraeusグループの歯科材料事業の買収だ。三井化学はすでに子会社サンメディカルを通じて歯科材料事業を展開していたが、欧州大手の事業取得によってグローバル展開を一気に加速。2026年6月には米大手歯科材料メーカーUltradent Productsを約1443億円で買収し、欧米で同事業の基盤を固めている。
歯科医療は先進国の高齢化や新興国の生活水準向上を背景に、安定した需要が見込める。特に義歯やインプラント、修復材などの市場は、高齢化に加えて審美歯科需要の拡大や新興国の所得向上を背景に成長が期待されている。さらに歯科材料は、三井化学が得意とする高機能樹脂や接着技術、光硬化材料などの応用分野でもある。
歯科材料は全く新しい事業ではなく、既存の化学技術を高付加価値市場へ展開できる領域なのだ。同材料は比較的小型で輸送効率が高く、グローバル展開しやすいという特徴もある。上流の素材メーカーが川下領域へ進出するには絶好のM&Aだったといえる。
実際、Ultradent買収額は同社の近年のM&Aでは最大規模となった。投資規模から見ても、歯科材料事業が現在の三井化学の成長戦略の中核に位置付けられていることがうかがえる。
汎用素材事業は整理・売却へ
三井化学のM&A戦略は買収だけではない。スペシャリティ化学への参入に踏み込んだ2010年代以降は、事業売却や子会社譲渡も積極的に実施している。2012年には食品ラップフィルム事業を展開する三井化学ファブロを、リケンテクノスへ譲渡した。2014年には有機酸事業を扶桑化学工業へ譲渡している。
同年には合成樹脂接着剤を製造する東北ユーロイド工業を売却するなど、競争優位性が限定的な事業やシナジーの薄い事業を整理してきた。これらの案件は短期的な売却益を目的としたものではなく、経営資源を成長分野へ振り向けるためのポートフォリオ再編だった。
買収だけではなく提携型M&Aも活用している。2015年に韓国SKCとのポリウレタン材料で事業統合を実施した。
これを手始めに、2021年9月には明治グループと農薬事業を、2023年2月には旭化成と不織布事業を、同年6月にはレンゴーグループと包装フィルム事業を、2025年12月には住友化学と汎用樹脂のポリプロピレン(PP)、ポリエチレン(PE)などの国内ポリオレフィン(PO)事業を、それぞれ統合している。
化学産業では設備投資負担が大きく、単独でのグローバル展開には限界がある。こうした事情から海外企業との提携による規模拡大は有力な選択肢となる。事業ごとに最適なパートナーを選びながら、収益力向上を図る手法だ。
成長分野の強化に向けた大型TOB
2017年には約403億円を投じて自動車向け試作・金型製造や設計解析サービスを手がけるアークに対するTOB(株式公開買い付け)を実施した。狙いは自動車開発プロセス全体への関与だった。
CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)の進展によって自動車業界は大きな転換期を迎えている。樹脂メーカーにも軽量化や設計支援能力が求められるようになった。アーク買収は、素材メーカーからソリューション企業への転換を象徴する案件といえる。
2020年には半導体材料や特殊化学品に強みを持つ本州化学工業に対してTOBを実施。5G(第5世代移動通信システム)やAI(人工知能)、データセンター投資の拡大によって半導体材料市場は中長期的な成長が期待されている。そこで本州化学工業の子会社化により、ICT関連事業の競争力強化を図った。
三井化学は長期経営計画「VISION2030」において、事業ポートフォリオ改革を最重要課題に位置付けている。中でも今後の成長を期待している「ライフ&ヘルスケア」「モビリティ」「ICT」の3領域を重視している。同計画の中で成長領域について「M&Aや提携を含む積極的な資源投入を行う」と明記している。
今後のM&Aが医療・ヘルスケア材料や半導体・電子材料、モビリティ関連素材、高機能材料などのスペシャリティ分野が中心になる可能性が高い。
半面、石油化学を中心とする「ベーシック&グリーン・マテリアルズ事業」については再構築を進めている。2025年には同事業の分社化検討も公表した。競争優位性の低い汎用品事業については、売却や提携による再編が続くとみられる。
(M&A Online作成)
ポートフォリオ組み換え型M&Aの課題
三井化学のM&A戦略は、「買収による規模拡大」ではなく「事業ポートフォリオ変革」が本質だ。同社は2030年に向けてグローバルスペシャリティカンパニーへの転換を掲げており、その実現には今後もM&Aが重要な役割を果たすとみられる。
もっとも、ポートフォリオ改革が順風満帆とは限らない。近年買収した歯科材料や半導体材料などのビジネスは、従来の石油化学事業とは顧客基盤や収益構造が大きく異なる。大量生産型の素材メーカーから高付加価値型のスペシャリティ企業へ転換を進める中で、買収した企業をグループ内に取り込むだけでなく、事業運営や人材面を含めた企業文化の転換も求められる。
M&Aでは歯科材料分野への大型投資が目立つ。
歯科材料、半導体材料、自動車関連材料など成長分野として強化している事業は、それぞれ有望市場ではあるものの、事業間のシナジーが必ずしも明確とはいえない。今後は「何を買うか」だけではなく、「買収した事業群をどのようなポートフォリオとして機能させるか」が問われることになる。
一方で、石油化学を中心とするベーシック&グリーン・マテリアルズ事業の再構築も道半ばだ。成長事業への投資と既存事業の再編を同時に進めなければならず、経営の難易度は高い。三井化学がグローバルスペシャリティカンパニーへの転換を実現できるかどうかは、今後のM&Aそのものよりも、その後のPMI(M&A後の統合プロセス)やポートフォリオ運営による価値創出にかかっているといえそうだ。
三井化学のM&A年表(リーマンショック以降)
公表日内 容スキーム取引総額2008年11月グループ会社の三共アグロが殺虫剤「イソキサチオン剤」事業を保土谷化学工業へ譲渡事業譲渡非公表2012年3月食品ラップフィルムメーカーの三井化学ファブロをリケンテクノスへ譲渡株式譲渡非公表2013年4月ドイツHeraeus Holdingの歯科材料事業を買収株式取得約543億円2014年3月合成樹脂接着剤製造子会社の東北ユーロイド工業を群栄化学工業へ譲渡株式譲渡非公表2014年7月有機酸事業を扶桑化学工業へ譲渡事業譲渡約10億円2014年12月韓国SKCとのポリウレタン事業統合を発表、合弁会社「Mitsui Chemicals & SKC Polyurethanes」設立会社分割・事業統合非公表2017年11月自動車向け試作・金型大手アークにTOBを実施株式取得(TOB)約403億円2020年11月本州化学工業にTOBを実施し子会社化株式取得(TOB)約97億円2021年9月明治グループの農薬事業(MMAG)を三井化学アグロへ統合会社分割・事業取得約422億円2022年5月旭化成からフォトマスク用ペリクル事業を取得すると発表会社分割約74億円2022年8月シンガポールのフェノール事業会社Mitsui Phenols Singaporeを英国INEOSへ譲渡株式譲渡約451億円2023年2月旭化成との不織布事業統合を実施会社分割・事業統合非公表2023年6月包装フィルム事業を手がける三井化学東セロとレンゴーグループのサン・トックスを経営統合合併約109億円2024年6月土木・建築資材メーカー三井化学産資を前田工繊へ譲渡株式譲渡約55億円2025年2月遺伝子受託解析のDNAチップ研究所にTOBを実施し子会社化株式取得(TOB)約64億円2025年12月住友化学の国内ポリオレフィン事業を、出光興産との共同出資会社プライムポリマーへ統合会社分割・事業統合非公表2026年6月米国歯科材料メーカーUltradent Productsを買収株式取得約1443億円文:糸永正行編集委員
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