おもしろローカル線の旅~~JR高島線(神奈川県)~~

神奈川県の横浜市内を走るJR高島線。通る列車はほとんどが貨物列車だ。

湾岸を突っ切るこの短絡線があることで、東海道本線の横浜駅周辺の過密ダイヤを乱すこともなく、貨物列車が旅客ホームを通過する危険性が避けられている。たぶん多くの方が知らないと思われる路線ながら、有効に活かされているのだ。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅

そんな高島線だが、実は輝かしい歴史をもつ。横浜港に入港する国際航路の船客を連絡列車で送迎した、いまでいう空港アクセスラインの役目をもっていた。栄光の歴史の面影は、現在の沿線のみならず、ベイエリアの各所に残されている。今回はJR高島線の「今」と、国際アクセス路線として輝いた面影をたどろう。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑JR高島線はJR東海道本線の鶴見駅~新子安駅間で分岐(京浜急行電鉄生麦駅付近)、横浜の港湾部を走り、JR根岸線の桜木町を結ぶ路線だ。途中、東高島駅(貨物専用)がある。【沿線を歩いて回る時に必要なポイント箇所を図示しました】

【JR高島線の今】走る列車の大半が石油輸送列車

JR高島線は東海道本線の鶴見駅と根岸線の桜木町駅間の路線距離8.5kmの路線だ。営業キロ数は11.2kmとなっている。高島線は通称で、正式には東海道本線貨物支線に含まれる(貨物時刻表には「高島線」と明記)。

JR東日本が線路の管理運営を行う第1種鉄道事業者、線路を借りて列車を走らせるJR貨物が第2種事業者となっている。駅は東高島駅の1駅(起点・終点駅を除く)のみ。

東高島駅も旅客営業は行われておらず貨物専用駅だ。

列車は新鶴見信号場から根岸駅へと走る下り列車が日に21本(臨時・専用列車も含む・上りも同)。根岸駅から新鶴見信号場へ向かう上り列車が18本走る。大半が根岸駅に隣接するJXTGエネルギー根岸製油所からの石油輸送列車が多い。よって石油需要が高まる冬期、同線を走る列車本数が増える。

根岸駅を発車した石油輸送列車は、桜木町駅の先から高島線へ入り、鶴見駅の手前で東海道本線と合流。

新鶴見信号場、武蔵野線を経て東京の八王子駅、群馬県の倉賀野駅や栃木県の宇都宮駅、長野県の坂城駅(さかきえき)にある各地の石油経由基地へ運ばれていく。

路線は貨物列車以外にも、旅客列車の回送や団体臨時列車の運行に使われるが、その本数は少ない。


【高島線をたどる1】ビール工場での試飲を先にするか後にするか

さて早速、高島線をたどる旅をはじめよう。貨物専用線なので、電車には乗れない。そこで今回は歩きの旅だ。ただ、沿線の幹線道は歩道も広々していて歩きやすい。ウォーキング気分で気軽に楽しめる。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑高島線は京浜急行の生麦駅付近から桜木町駅へ向かう。大半が石油輸送列車と下りは「返空」とよばれる空のタンク列車だ。ほぼ同地点から東海道貨物線が地下へ潜る(写真左)

桜木町駅方面から歩き出すか、生麦駅から歩き出すか迷うところだ。ここでは、京急本線の生麦駅から歩き始めることにする。

◆高島線を歩くその1◆
京浜急行生麦駅 → 0.5km徒歩約6分 → キリンビール横浜工場 → 1.0km徒歩約13分 → 新子安駅入口 → 0.6km徒歩約7分 → 入江橋交差点 → 0.1km徒歩約1分 → 浜通り(富士見橋) *同区間2.2km徒歩約27分

生麦駅から南へ歩くと、まずは国道15号にぶつかる。こちらの通りは「第一京浜」または「一国」と呼ばれる通り。

それこそ東京と横浜を結ぶ重要な街道筋でだ。この道を横浜方面へ向かうと、ほんの5分で高島線のガード下をくぐる。

さて、ガードの手前左にあるのがキリンビール横浜工場だ。お酒好きには、どうしても気になるポイントだろう。工場見学も可能で、隣接してビールが楽しめるレストランもある。高島線をたどる行程のなかで、この工場やレストランを“ランチ地点”や“ゴール地点”にしてもいいかもしれない(飲みすぎにはご注意を)。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑生麦駅から高島線に沿って歩き始めると目に付くキリンビール横浜工場。工場見学が可能で(要予約80分・月曜休)、レストランも隣接する。首都高速が高島線と国道15号の上を跨いでいる

【高島線をたどる2】江戸前の魚を供給した子安浜を歩く

ビール工場を過ぎて国道15号を西へ歩く。しばらくは立入禁止の工場の入口や高速道路があり、容易に高島線に近づくことはできない。新子安駅で、ようやく高島線の姿が見える箇所がある。

国道15号の頭上を歩道橋がまたぐ。新子安駅から湾岸エリアの守屋町、恵比寿町に向かう神奈川産業道路沿いに設置された歩道橋で、同地区にある企業へ向かう通勤の人たちも目立つ。

歩道橋からは高島線が眼下に見える。この付近に高島線の途中駅、入江駅があった。駅からは新興駅(しんこうえき)へ支線が延びていた。現在、駅はなくなったが、守屋町の町内に支線の線路が残されている。新子安駅からも近いので、立ち寄ってみてもいいだろう。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑JR新子安駅から海側に歩き、国道15号、首都高速道路を越えた守屋町には、高島線から分岐、新興駅まで走っていた支線の跡が残る。同線は2010(平成22)年に廃線となった

新子安駅前に戻り、再び国道15号を横浜方面へ歩く。入江橋の信号から港側に歩くと入江川に富士見橋かかる。その先に高島線の踏切が見える。

この入江川沿いは、筆者お気に入りエリアだ。浜通りという名の小さな通りが入江川に沿って通っている。昔の漁村があった地区で子安浜と呼ばれる。このあたりは江戸時代に幕府に海産品を献上した土地とされる。船の係留用に使われる小さな倉庫や民家がずらりと並び、建物の間から遠目に高島線が走る様子が望める。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑東西約700mにわたり延びる子安浜。入江川に多くの漁船や屋形船が係留される。その風景は昭和の横浜そのものだ。町中から入江川越しに高島線の線路を望むことができる

【高島線をたどる3】歴史的な遺構が多く残る千鳥橋付近

◆高島線を歩くその2◆
浜通り(富士見橋) → 1.5km徒歩約20分 → 神奈川二丁目交差点・村雨橋 → 0.35km徒歩約4分 → 千鳥橋踏切 → 0.2km徒歩約2分 → 瑞穂橋梁 → 0.5km約6分 →東高島駅 → 1.7km徒歩22分 → 高島水際線公園 → 1km約12分 → 三菱ドック踏切 *同区間5.3km徒歩約66分

先へ向かおう。子安浜付近から高島線の沿線に入っても、道がつながっておらず線路沿いに歩くことができない。そこで国道15号と平行して通る裏道(浜通りに連なる一本道)を歩く。

国道15号の神奈川二丁目交差点(京浜急行の仲木戸駅に近い)・村雨橋付近から、始めて埠頭側へ足を向ける。運河に架かる千鳥橋を渡れば、高島線の千鳥橋踏切がある。この付近に、見どころが多い。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑千鳥橋から東高島駅を発車した石油輸送列車が入江越しに望む。牽引する本数は減ったが、EF65形式といった国鉄形機関車の雄姿も楽しむことができる

三井のシンボルマークを掲げる三井倉庫、瑞穂埠頭へ向かう引込線の跡、近くには海神奈川駅という駅もあった(後述)。さらに瑞穂埠頭の入口に瑞穂橋梁が架かる。この瑞穂橋梁は1934(昭和9)年に造られた鉄道橋で、日本で初めての溶接鉄道橋でもある。このようなところに、産業史上、重要な橋が残されていた。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑千鳥橋踏切のすぐ横に三井倉庫がある。「丸に井桁三」と呼ばれる三井のシンボルマークが時代を感じさせる。後ろに高層マンションがそびえるのも横浜ベイエリアらしい
横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑瑞穂埠頭の入口に架かる瑞穂橋梁は日本初の溶接鉄道橋だ。廃線ではあるが線路が残る。平行する道路橋の入口に「立入禁止」の看板が。ただ看板すぐ横の写真の位置付近までの立入は黙認されているようだった

瑞穂橋梁から逆戻りして高島線に平行した道を歩く。瑞穂大橋を渡ったら、再び高島線の踏切を渡り、東高島駅の入口へ向かう。東高島駅は貨物専用の駅のため、一般の人が入ることができないが、入口の前に古い鉄橋が架かる。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑東高島駅の目の前に架かる鉄橋。橋の先は何もなく、不思議な光景となっている。この先、線路が東神奈川駅まで延びていた。1959(昭和34)年に同線は廃止されている

この古い鉄橋は、東海道本線の東神奈川駅と東高島駅を結ぶ路線用に造られたもの。現在の高島線よりも歴史は古く、1910(明治43)年10月に敷かれたとされる。高島線の元祖といえる路線の跡だ。


【高島線をたどる4】横浜駅からも近い高島水際線公園

東高島駅からは、高島線に沿った道が再びないことから国道15号に戻る。あとは横浜の中心方面へ道なりに歩く。途中、栄町交差点では横浜駅方面へ向かわず、みなとみらいへ。下を遊覧船が通るみなとみらい大橋を渡れば、もうみなとみらい地区だ。

みなとみらい大橋を渡ると左側に高島線が見える。高島線は、この先、桜木町駅付近まで地下をくぐる。ちょうどその前に高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)が広がっている。公園へはみなとみらい大橋のたもとから下りていくことができる。高島線をまたぐお洒落な連絡橋も架けられている。この連絡橋付近は、高島線の撮影地としても人気のポイントでもある。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑撮影ポイントとしても知られる高島水際線公園の連絡橋から列車を撮る。横浜駅からも徒歩で10分ほどと近いこともあり人気のポイントだ。写真は下り根岸駅行きの返空タンク列車

高島水際線公園付近には、かつて高島駅という貨物駅があり、線路が広がっていた。さらに横浜駅のすぐ近くまで線路が敷かれていた。ちょうど原鉄道模型博物館が入る横浜三井ビルディングも高島駅の跡地を利用した建物だ。不思議な縁を感じてしまう。

さて、高島線は現在、みなとみらい地区を地下でくぐるが、どのあたりで地上に出てくるのだろう。桜木町駅側のトンネル出口が首都高速横羽線のちょうど下にあり、その先、トンネルを出てきた路線を歩行者専用の踏切が横切る。

この踏切の名前は「三菱ドック踏切」。このあたりには、かつて三菱重工業横浜工場が広がっていた。この踏切名は、この工場内にあった造船用のドック名が付けられたもの。踏切の名前が、いまはなきドック名のままというのが、横浜らしくおもしろい。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑みなとみらい地区をトンネルで抜けた高島線の貨物列車は、桜木町駅手前で歩行者用の三菱ドック踏切を通り過ぎる。手前の高架線が根岸線、奥が旧東急東横線の高架線

ここまで全行程を歩くと約7.5km、約1時間半かかる。ただし、高島線の良いところは、どのポイントもJRの路線や京急本線、みなとみらい線の駅が近いこと。興味深い箇所のみを選んで歩く方法もある。

次は高島線の旧線(通称・横浜臨港線)が残る桜木町駅から、山下公園までを歩いてみよう。こちらにも興味深いポイントが多く残っている。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑横浜市内を走る神奈川臨海鉄道本牧線のコンテナ列車。横浜港に陸揚げされたコンテナが同路線を経て根岸駅へ。さらに高島線を経由して東京貨物ターミナル駅へ運ばれる

【高島線をたどる5】昭和40年まで臨港線の路線整備が続いた

ここで高島線の歴史にふれておきたい。

ご存知のように横浜の開港は鎖国が解かれた江戸時代末期のこと。新橋駅~横浜駅(現・桜木町駅)を結ぶ路線が日本初の鉄道として1872(明治5)年に開業した。しかし、横浜港を結ぶ鉄道路線の開業は、意外なことにだいぶ後のことだった。

その理由は、船と岸壁間の輸送の主役だった艀(はしけ)の権益が強く主張されたため。また横浜港の整備や拡張・増設に時間がかかったためだった。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑大正時代に発行された「横浜新桟橋」の絵葉書。同ポイントは新港埠頭3号岸壁でクレーン下に引込線が確認できる。現在は赤レンガパークが広がるところ(絵葉書は筆者所蔵)

横浜港に鉄道が初めて延びたのは1911年(明治44)年のこと。東神奈川駅と海神奈川駅(現在の千鳥橋踏切と瑞穂橋梁の間にあった)間に線路が敷かれた。

ちょうどその年に、横浜駅(現・桜木町駅)と横浜港荷扱所の間、0.8km間の路線(横浜臨港線とも呼ばれる)が開業した。以降、横浜港を巡る路線は徐々に整備されていき、1917年(大正6)年に鶴見駅~高島駅間の路線が開業し、現在の高島線が全通している。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑昭和40年代の横浜東部の地図を見ると、港は横浜駅近くまで入り込み、また高島線の線路(臨港線)も山下埠頭へ延びていた(国土地理院「横浜東部」2万5千分の1、昭和42年10月10日発行)

上の地図は昭和40年代のものだが、1965(昭和40)年に横浜港~山下埠頭間の路線が開業、この当時が、最も横浜港を巡る線路網が充実していた時代でも合った。同臨港の輸送量が、国内の鉄道貨物輸送量の1割近くを占めるまでに延びたとされる。

その後、鉄道貨物輸送からトラック輸送へのシフトが始まり、昭和50年代も半ばに入ると、港湾部の路線がどんどん廃止されていく。

1989(平成元)年に、横浜市制100周年、開港130周年を祝い「横浜博覧会」が開かれた。この博覧会の期間中、桜木町から先の路線(横浜臨港線)を走る特別列車が運行された。これが臨海部を走る最後の列車となった。

その後、臨海部の路線はどうなったのだろう。旧路線跡をたどった。


【高島線をたどる6】ウッドデッキが敷かれた汽車道を歩く

◆高島線を歩くその3◆
桜木町駅 → 0.2km徒歩約2分 → 日本丸 → 0.65km徒歩約7分(汽車道) → ホテルナビオス横浜 → 0.5km徒歩約6分 → 旧横浜港駅 → 0.5km約6分 → 山下埠頭線プロムナード → 0.5km徒歩6分 → 山下公園 *同区間2.4km徒歩約30分

高島線(横浜臨港線)は、かつて桜木町駅から先、港湾部まで線路が延びていた。その線路が今も残されていて、廃線跡を偲ぶことができる。

臨港線では桜木町駅からまず2つの人工島を造って、途中の艀が通る水路部分に鉄橋を架けた。そのルートを生かしたのが「汽車道」と名付けられた遊歩道。線路が敷かれたままで、線路にはウッドデッキがかぶせられ、歩きやすくなっている。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑桜木町駅から続く臨港線の路線跡は遊歩道「汽車道」となっている。橋桁に付く銘板を見ると1907(明治40)年、アメリカン・ブリッジ製とあった
横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑臨海パークから見た汽車道。横浜臨港線は艀(はしけ)の出入りを考慮。大岡川河口に2つの人工島を造り、さらに橋で結ぶという手間のかかった路線造りを行った

試しに汽車道に残された線路の幅をメジャーで測ってみると1067mm! つまり在来線の線路幅のままだ。

ここを列車が走ることはもうないだろうが、桜木町駅や最寄り駅から意外に遠い施設もあり、歩くとかなり距離がある。将来、ライトレールと呼ばれる現代風の路面電車を走らせたらおもしろいだろうに、とふと感じた。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑汽車道には線路も残されている。ウッドデッキで覆われているので歩きやすい。試しにメジャーで測ったら1067mm。在来線の線路幅のままだった
横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑汽車道を通る線路は横浜赤レンガ倉庫方面に延びている。みなとみらいに立つホテルナビオス横浜の下は大きく開けられ、下を線路と遊歩道がくぐっている

線路が残る遊歩道はホテルナビオス横浜の建物をくぐり、万国橋交差点まで延びている。

さらに港側へ歩いて行くと、商業施設「MARINE & WALK YOKOHAMA」と「横浜赤レンガ倉庫」の間に旧横浜港駅プラットホームがある。ホーム近くには線路も残っている。

ここは新港と呼ばれる地区で、1911年(明治44)年、臨海部初の路線が敷かれた。旧横浜港駅へは旅客列車も運行され、国際航路を乗船した人たちが、ここから列車に乗車して横浜駅や東京駅を目指した。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑新港にある旧横浜港駅プラットホーム(旅客昇降場)。1920(大正9)年には同駅へ向けて東京駅発の汽船連絡列車も運転が始まった。往時のプラットホームは長さが140mもあったと伝わる

旧横浜港駅のプラットホームからは赤レンガパーク越しに、現在、旅客船が多く寄港する横浜港大さん橋国際客船ターミナルを望むことができる。大さん橋に横付けされた巨大で美しいクルーズ船。時代の変貌ぶりが強く感じられるポイントだ。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑旧横浜港駅プラットホームがある赤レンガパークから、横浜港大さん橋を望む。国際客船ターミナルがあり、写真のような世界を旅する大型クルーズ船も寄港する

臨港線の線路は、旧横浜港駅の横に立つ横浜赤レンガ倉庫の前を抜けて、さらに山下公園へ延びていた。

横浜赤レンガ倉庫の先に架かる新港橋に併設された遊歩道用の鉄橋は、旧臨港線の線路だったところ。ここにも線路が残っている。さらにその先の象の鼻パークからは高架線が山下埠頭へ向けて延びていた。この高架は遊歩道となり、山下公園の入口まで「山下埠頭線プロムナード」の名で整備されている。

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑横浜赤レンガ倉庫の南側に架かる新港橋。写真でわかるように線路が敷かれたままで、ウッドデッキが付けられる。臨港線の路線は写真の手前側、山下埠頭まで延びていた
横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅
↑臨港線の旧高架線は山下埠頭線プロムナードとして整備される。写真の正面に見えるみなとみらい地区は、高島線の高島駅や東横浜駅、三菱重工横浜工場の跡地が整備され造成されたものだ

汽車道や山下埠頭線プロムナードを多くの人たちがのんびり散策している。歩いている人たちのうちどのぐらいの方が、かつて、この遊歩道を旅客列車や貨物列車が走っていたことを知っているのだろう。

横浜の変貌ぶりに驚くとともに、鉄道好きにとっては、ちょっと寂しさを感じる臨港エリアでもある。