SMAP「解散報道」は実のところ、ジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長が結果まで想定して仕掛けた、壮大な「マネジャー追い出し計画」だったということがわかりつつある。

 昨年1月、メリー副社長は週刊誌上でSMAPのチーフマネジャー・飯島三智氏について「対立するならSMAPを連れて今日から出て行ってもらう」と発言したが、「あれで飯島さんは“独立するなら今”だと感じたはず」とテレビ関係者。



 この関係者は、長くSMAP出演番組のスタッフとして働き、飯島氏からは“ちゃん付け”で呼ばれるほど親しかった。そのため、昨年夏にはすでに独立の動きをキャッチしており、「独立の動きが固まったのは昨年夏で、8月には各方面に働きかけていた」と明かす。

「飯島さんは定年間近で、そのまま退職すれば自分には何も残らないことに焦りがあった。でも、メリーさんが『(対立するなら)SMAPを連れて今日から出て行ってもらう』と言ったから、その通りに動いた。でも、それは負け戦の始まりだった」(同)

 問題は、SMAPの商標から楽曲の著作権まで、SMAPに関わる権利関係の一切をジャニーズが握っていたことだった。

「もしメリーさんが本気でSMAPの独立を促していたのであれば、飯島さんとメンバーにこの権利関係の売却を交渉するはず。
でも、そうはしなかった。飯島さんが独立しても、実質的にSMAPの活動ができないのは明らかだった。コンサートを開いても『世界に一つだけの花』も『夜空ノムコウ』も、ジャニーズの許可が下りなければ歌えない。実は、メリーさんはそうした権利関係を熟知している人で、郷ひろみあたりの頃からきちんと管理するようになっていた」と関係者。

 しかし、それでも飯島氏は一度切ったかじを元には戻すことができず、たとえSMAPの名称が使えなくなっても一緒にやるかを、メンバーに確認したという。

「12月上旬、その意思が確認できて、いよいよとなったんだけど、誤算だったのは木村拓哉の反旗だった」(同)

 メリー副社長は、飯島氏の独立する動きを見越して「今日から出て行ってもらう」発言をしていたが、一方で権利関係を押さえながら、さらに親しい工藤静香にそのことを伝え、木村を思いとどまらせたとみられる。
この流れが事実であれば、飯島氏が“造反者”のレッテル付きでひとりジャニーズ事務所から追い出される形になり、まさにメリー副社長の思惑通りだったということだ。

 そこまでしてメリー副社長が飯島氏を排除したがったのは、娘のジュリー氏を次期社長に据えるに当たり、会社を一枚岩にする必要があったという見方があるが、その仕掛け自体は「強権というより、ジャニーズ全体の総意でもあった」と前出関係者。

「確かにに飯島さんはSMAPを成功に導いた功労者だが、なんでもひとりで決めてしまうから、事務所への報告がすべて後回し。事務所側が何度言っても聞き入れず、彼女への不満は膨れ上がっていた。また、剛腕すぎて、テレビ界でも不評はあった。テレビマンが、飯島さんに土下座ばりの謝罪をすることはしょっちゅう。
それに比べるとジャニーズ事務所は、よほど敵対しない限り、食い違いがあっても物腰柔らかい役員が関係改善に努めてくれるし、メリーさんも普段は笑顔で許容してくれる人。そういう姿勢の違いもあって、内外とも飯島さんに味方する人は少なかった」(同)

 いずれにせよ飯島氏が、グループが独立する際に不可欠なSMAPの商標など権利関係を持ち出せなかった時点で、独立失敗は目に見えていた。ある筋からの情報では、飯島氏に手を差し伸べようとしていた大手事務所も、それを知って手を引いたという話だ。

「年末年始に飯島さんがメンバーだけに敗北宣言をしたらしいが、一番ショックを受けていたのは中居正広だったと聞く。半ば覚悟を決めていたから、ハシゴを外された気分だっただろう」(同)

 謝罪会見の最後、木村が「ただ前を見て進みたいと思います」としたことを、関係者は「『前を見て』というのは、過去との決別を意味している。つまり、飯島さんとの絶縁宣言」と見た。


 メリー氏は1月21日発売の「週刊新潮」(新潮社)でのインタビューで「私は4人を追い出したわけでも、受け入れないと言ったわけでもありません」と話しているが、飯島氏については、その例外だったようだ。ジャニーズ内ではSMAPの後任マネジャーの人選に「心の恋人みたいに入れ込む女性ではなく、男性のほうがいいのでは」という声もあるという。
(文=片岡