100万人もの市民が殺されたと言われるルワンダ虐殺を描いた映画『ホテル・ルワンダ』(04)は日本を含め、世界各国で予想外の大ヒットを記録した。『ホテル・ルワンダ』の成功によって、アフリカ各国で起きている内紛の実態を世界に知らしめたのが、北アイルランド出身のテリー・ジョージ監督だ。

脚本家時代に手掛けたダニエル・デイ=ルイス主演作『父の祈りを』(93)は、テロ容疑で逮捕されたアイルランド青年の冤罪を訴えた実録もので、こちらも高い評価を得ている。数々の社会派ドラマを撮り上げてきたテリー監督の最新作が『THE PROMISE 君への誓い』。第一次世界大戦中にオスマン帝国(現在のトルコ)で起きた、アルメニア人虐殺を題材にした歴史大作だ。150万人ものアルメニア人が犠牲となった20世紀初のジェノサイドはなぜ起きたのか? なぜ人類はその後も大量殺戮を繰り返すのか? 大量殺戮が起きるメカニズムを、テリー監督が解き明かした。

──テリー監督が手掛けた『父の祈りを』や『ホテル・ルワンダ』は感動作として胸に刻まれています。『THE PROMISE』も史実に基づいた大変な力作ですね。


テリー ありがとう。日本に来て、多くの若い記者たちから「あなたの作品に感動しました、刺激を受けました」と言ってもらえる。こんなにうれしいことはありません。きっと、マイケル・ベイ監督には味わえない喜びでしょう。もちろんハリウッドで成功を収めている彼のほうが、私よりずっとお金持ちですがね(笑)。

──確かに『トランスフォーマー』(07)で「感動した!」という人はあまりいないでしょうね。
『ホテル・ルワンダ』は渋谷の小さな映画館から火が点き、口コミによって日本でも大ヒットしました。あの映画でルワンダの内情を多くの人が知ることになった。ルワンダの人々、そしてテリー監督にとっても特別な作品だったのではないでしょうか?

テリー 映画は人を動かすパワーを持っていることを改めて証明できた作品でした。『ホテル・ルワンダ』が公開されたことによって、かつて植民地支配していたアフリカで起きた内乱を静観していた欧米諸国も、ダルフール紛争を見逃すことができなくなったわけです。アフリカの惨状を描こうと考えた企画当初は、製作費が集まらず苦労しました。でもルワンダのホテルマンだったポール・ルセサバギナの体験談を知り、「彼こそ、我らが模範とするべきブルーカラー・ヒーローだ!」と感銘し、ベルギーでタクシー運転手をしていた彼に会い、映画化をOKしてもらったんです。
主演のドン・チードルたちと「製作予算も少なく、公開規模も小さいかもしれないけど、ぜひやろう」と話し合って完成させました。公開すると、思いのほかの反響でした。ジョージ・ブッシュ大統領(当時)は『ホテル・ルワンダ』を2度も観ており、ポール・ルセサバギナに勲章を贈っています。問題の多かったブッシュ政権ですが、アフリカ外交だけは評価できたと思っています。

──ルワンダ虐殺についてのリサーチ中に、100年前に起きたアルメニア人虐殺について知り、『THE PROMISE』の企画を思い立ったそうですね。大量虐殺を題材にした作品を2本も撮るのは、精神的にも大変じゃないですか?

テリー 映画監督として自分がいつも意識していることは、「みんなを楽しませる映画を作ろう」ということなんです。
映画を楽しむことで、観客のみなさんにもさまざまな映画体験をしてほしい。私はこれまで多くの映画にインスパイアされてきました。『アラビアのロレンス』(62)、『ライアンの娘』(70)、『シンドラーのリスト』(93)、『レッズ』(81)、『キリング・フィールド』(84)……。そういった映画を観ることで私自身も主人公と同じような感情を抱き、その歴史を共に生きたわけです。そんな映画体験を、今の観客にもしてほしいという意識で『THE PROMISE』を撮りました。田舎からコンスタンチノープルに上京してきたアルメニア人の医大生ミカエル(オスカー・アイザック)、フランス育ちの美しい女性アナ(シャルロット・ルボン)、そして米国人記者クリス(クリスチャン・ベイル)という3人の恋愛ドラマを観客には楽しんでもらい、やがて彼らが遭遇する大虐殺も主人公たちと一緒に体感してほしい。
彼らが抱いた憎悪、怒り、痛み、生きる喜びをみんなにも感じてほしい。そんな想いで撮り上げたんです。

■ヒトラーは言った、「虐殺なんて、誰も覚えてはいない」と。

──ルワンダ虐殺は、植民地時代に宗主国(ベルギー)が統治しやすいようにフツ族とツチ族を争わせたことが歴史的要因としてあったわけですが、アルメニア人虐殺のいちばんの要因は何だったとテリー監督は考えますか?

テリー アルメニア人虐殺のトリガーとなったのは、当時のオスマントルコの与党にいた政治家タラート・パシャや過激な思想を持った哲学者たちが生み出した“空気”でした。オスマントルコはすでに衰退化しており、第一次世界大戦をきっかけに帝国を立て直そうと考えていたんです。その際にスケープゴートにされたのが、オスマントルコ内での少数民族だったアルメニア人でした。

非ムスリムである彼らは、国家に対する忠誠心がないと叩かれました。アルメニア人は砂漠地帯へ強制移住させられた上に虐殺され、ギリシア人やシリア人も国外追放されていったんです。ヘイトスピーチによって「あいつらは国家に対する裏切り者だ」と扇動され、排除されていったんです。

──ナチスドイツによるホロコースト以前に起きた、国家による初めての組織的な大量殺戮がアルメニア人大虐殺だったということですね。

テリー そうです。ユダヤ人が虐殺されたホロコーストにも言えることですが、アルメニア人虐殺にも経済的な側面もありました。アルメニア人は商才に優れ、コンスタンチノープルなどの都市部で経済的な成功を収めた裕福な中流階級が多かったんです。アルメニア人を裏切り者扱いすることで、彼らが持っていた土地や財産を奪ったわけです。特定の少数民族に対して、「裏切り者のあいつらは同じ人間じゃない。ドブネズミ、ゴキブリだ」といったヘイトスピーチが広まり、そんなレトリックが非知識層であるマジョリティーを抱き込んで、大量殺戮という大きなうねりが起きる。アルメニア、ホロコースト、ルワンダ、ダルフール……、すべてのジェノサイドに共通する構造です。

──自分が生まれ育った故郷や民族性を大切に思うことは素晴しいけれど、行き過ぎた愛国心、ナショナリズムは恐ろしい事態を招きかねない。

テリー 20世紀初頭、ナショナリズムという考え方がどのようにして生まれ、広まったかというと、過激派によるレトリックのためのツールとして利用されてきたものだったんです。また、私が生まれ育ったアイルランドでもそうでしたが、少数民族は宗教や教育などの自由や平等な市民権を求めるものです。それは自分たち民族の文化を守りたいという自然な気持ちなのですが、国家はそれを危険なナショナリズムだと決めつけ、迫害しようとするわけです。政治的なツールとして利用されるナショナリズムという言葉は、充分注意するべきです。

──100年前に起きたアルメニア人虐殺ですが、過去の悲劇ではなく、現代社会につながる問題でもある?

テリー アルメニア人虐殺の際、オスマントルコ政府は国勢調査の結果を使い、メディアも使い、電話も使い、近代的な軍備も使い、あらゆる最先端のツールを駆使して、大量殺戮を行なったわけです。そういう意味でも、現代的なジェノサイドの始まりが、アルメニア人虐殺でした。それから20年後、ヒトラーも同じことを行ないます。ヒトラーはポーランド侵攻の際にドイツ軍に対し、「アルメニア人殺戮のことを誰が覚えていようか」という言葉を発しています。誰も覚えていないんだから、思いっきりやってしまえとドイツ軍の兵士たちをけしかけたんです。同じようなレトリックで、ボスニアでも、中央アフリカでも、カンボジアのクメール・ルージュでも、ジェノサイドが起きています。そして現在のミャンマーではロヒンギャが迫害され、中央アフリカでの内紛も続いています。ヘイトスピーチによる憎悪の政治が展開されていけば、それがジェノサイドの種となる。そのことには気をつけなくてはいけません。

──『THE PROMISE』はハリウッド資本ではなく、アルメニア人のひとりの実業家の出資によって完成した映画。出資した実業家は映画製作中に亡くなったそうですが、映画が無事に公開されることで、映画監督としての約束を果たすことができたと言えそうですね。

テリー 亡くなった実業家カーク・カーコリアンが、そう思ってくれたらいいなと思います。きっと多くのアルメニア人も、世界中の人々がアルメニア人虐殺について語り始めることを喜んでくれるでしょう。いちばん恐ろしいのは「虐殺があった過去なんて知らない」ということなんです。日本での公開も決まり、プロモーションのために訪ねた日本でいろんな取材を受け、私も多くの刺激を受けることができました。映画をつくり続けてきて、こんなにうれしいことはありませんよ(笑)。
(取材・文=長野辰次)

『THE PROMISE 君への誓い』
監督/テリー・ジョージ 脚本/テリー・ジョージ、ロビン・スウィコード 
出演/オスカー・アイザック、シャルロット・ルボン、クリスチャン・ベイル、ジェームズ・クロムウェル、ジャン・レノ
配給/ショウゲート 2月3日(土)より全国ロードショー
C)2016 THE PROMISE PRODUCCIONES AIE-SURVIVAL PICTURES,LLC. ALL Right Reserved.
http://www.promise-movie.jp

●テリー・ジョージ
1952年北アイルランドのベルファスト生まれ。英国内でアイルランド人が不当な扱いを受けている実情を描いた『父の祈りを』(93)や『ボクサー』(97)の脚本を担当。『Some Mother’s Son』(96)で監督デビュー。続く『ホテル・ルワンダ』(04)は世界各国で大ヒットを記録し、米国アカデミー賞で主演男優賞、助演女優賞、脚本賞にノミネートされた。その後も、轢き逃げ事故で息子を失った被害者側と事故を起こした加害側との葛藤を描いた『帰らない日々』(07)などの社会派ドラマを生み出している。