本日22日(水)に発売されたHKT48の13thシングル『3-2』。そのセンターに立つのは、4期生の運上弘菜だ。
これほど重要なポジションを任されるのは、彼女にとって初めてのことだ。北の国からやって来た21歳は、いかにしててっぺんに上り詰めたのか。

去る3月7日、動画配信サービス「SHOWROOM」にて、HKT48は13枚目シングルの選抜メンバーを発表した。選抜メンバーは16人。メンバーにはすでに伝えられていたようで、初選抜の上島楓、久しぶりに復帰することになった神志那結衣山下エミリー、地頭江音々の名が発表されると、ネット上のファンはリアルタイムで喜びを表現していた。

センターが発表されるのは16人目。
ということは、15人目が発表された時点で、センターが誰なのか、判明するといってよい。14人目、15人目に豊永阿紀、地頭江が呼ばれると、運上のセンターがほぼ確定。ネット上は、「なっぴキターーーー!」と歓喜に沸いた。選抜メンバーに呼びこまれた新センターは思わず涙ぐんだ。発表が終わると、選ばれなかったメンバーから続々とLINEが届いたそうだ。

そんな運上は北海道の出身。
その珍しい苗字は北海道を中心にみられるようだが、全国には200~300人しかいないというデータがある。本人も家族以外の運上さんに出会ったことはないという。

運上の育った場所は、コンビニまで歩いて30分以上かかる田舎町。小学校の全校児童はわずか20人。運上の学年には4人しかいなかった。小さなコミュニティの中で育ったから、友達とは生来の人見知りが顔を出すこともなかった。


アイドルを好きになったのは小学校の頃。AKB48前田敦子がキラキラして見えた。ただの「好き」が「なりたい」に転じたのは、中3の時。AKB48にチーム8が結成されると知ったからだ。チーム8は各都道府県から1名が選出されて活動すると聞いて、「それなら私にもチャンスがあるかも」と現実味が増した。初めてオーディションに応募した。
将来の夢は何もなかった。夢がないのがコンプレックスだった。アイドルになれたら人生が変わる。そう願って受けたものの、最終審査を通過したのは、現在も同チームの北海道代表として活動している坂口渚沙だった。

高校に入学した運上は、すっかり夢を忘れかけていた。アイドルのことはまだ好きだった。
その頃、憧れていたのは指原莉乃。その指原がいるHKT48が4期生オーディションを開催すると知った。まだ将来の道を決めかねていた運上は一念発起。人生を変えようと試みた。兄の反対を押し切って受けたオーディションの結果は吉と出た。高校3年生の2月、ようやく進路が決まった。


合格して福岡にすぐ移住したわけではなく、しばらくは通いだった。福岡在住の同期に水をあけられていると焦っていた。なぜなら、飛行機移動が多いため、ダンスレッスンに割く時間が少なくなってしまうからだ。ただでさえ振り覚えもよくないのに、このままだとヤバい。焦りは募るばかりだった。入ってしばらくすると、同期が選抜メンバーに大抜擢された。その頃には福岡に移住している。すべてをかなぐり捨ててやって来た福岡の地で、自分は何の結果も残せていない。しかも、同期の中では年長者。若いメンバーの売り出しが優先されているように感じて、余計に焦っていた。

同期が選抜入りした直後、運上は荒巻美咲とのコンビ「fairy w!ink」で「AKB48グループユニットじゃんけん大会」で優勝を遂げた。彼女の名前が広く知れ渡り、先を走る同期に少し近づけた気がした。北海道の田舎町にもその吉報は届いていた。地元では翌日のスポーツ新聞を持ち寄って、井戸端会議に花を咲かせ、両親も声をかけられることが増えたそうだ。

じゃんけん大会直後、メディアに取り上げられる機会も珍しくなくなった。私もじゃんけん大会直後に取材をしているが、自信なさげに話すのが印象的だった。取り上げられる自分にまだ戸惑っているようだった。

彼女はまだ悩んでいた。持ち前のかわいさと透明感を褒めてもらえることはあったが、明るく楽しい雰囲気に満ちているHKT48に自分がフィットしていないのではないか、という悩みが消えないままでいた。HKT48を体現していたのはバラエティの王者・指原であり、松岡はなであり、なこみく矢吹奈子田中美久)だった。グループの雰囲気に合わせようとしたこともあった。無理に自分を繕っていたのだ。そうしないと選抜に入れないと考えていた。

しかし、その迷いをスパッと断ち切った。繕っていても自分を追い込むだけだったからだ。グループカラーにフィットしなくても、ありのままの私で勝負しよう。そう誓うと、自然と握手会にファンが増えてきた。他のメンバーは、「なっぴ(運上の愛称)は結果を出している」と認識するようになった。明るいグループの中にあって、おとなしい美少女でいることが個性として際立つようになったのだ。

じゃんけん大会で優勝した翌年(2018年)、シングル『早送りカレンダー』で初選抜入りすると、ますます握手会人気は上昇。こうしてファンに見つかった。その結果、センターの椅子に座ることになった。

2018年の暮れ、運上は地元・北海道の新CMキャラクターに抜擢された。珍味の販売を中心に手掛ける企業「江戸屋」の「鮭とばシリーズ」のCMに出演することになった。テレビでオンエアされるようになると、オーディションに反対していた兄は妹を認めるようになったという。それまでは妹の活動に興味を示さなかったのに、帰省するたびに服を買い与え、ご飯をご馳走してくれるようになった。

「それはそうですよね。HKT48に入ったといっても、今まではどんな活動をしているかさえ、調べないとわからない存在だったから……」

先月、何度か取材した中で、運上はそうつぶやいた。ファンの期待だけでなく、家族の期待を背負って活動していかなくてはならない。2か月に一度、福岡の自宅に来てくれる母親は、部屋のどこかに北海道で買ってきたお土産を隠し、それを娘が探すのが恒例になっている。お土産を見つけた21歳の娘は家族のぬくもりを感じて、ガランとした部屋で毎回涙する。

運上弘菜は愛される条件をいくつも満たしている。HKT48というグループがより愛されるために、指原卒業後初となるシングルで彼女がグループの顔になることは必然だったのかもしれない。