イチローが米大リーグのシーズン最多安打記録を262安打に更新。アメリカでは誰もが認めざるを得ないスーパースターになった。
ところで、イチローよりはるか以前にアメリカのスポーツ界で活躍した人物がいたのをご存知だろうか。その人の名は森寅雄。かの北辰一刀流「千葉道場」四天王の一人、森要蔵の孫である。彼はアメリカでは「タイガー・モリ」として知られる存在。直訳すれば「タイガー・ウッズ」である。
昭和12年、22才の時で剣道の普及のために単身渡米。普及活動をしながらフェンシングを学び、ついにはフェンシングの米国オリンピックチーム監督になったという達人だった。むちゃくちゃな展開だけれど本当の話である。
渡米翌年にはフェンシングのカリフォルニア大会で早くも優勝、全米フェンシング大会で決勝戦まで勝ち進んだ。が、決勝戦では、審判の誤判定により破れて準優勝に終わりオリンピック代表を逃してしまった。全米が「タイガー・モリ」に熱狂したのは言うまでもない。
その後日米関係の悪化によって森寅雄は日本に帰国。戦後再び渡米し昭和35年にはオリンピックローマ大会に米国フェンシングチーム監督として参加した。以前「トリビアの泉」で剣道とフェンシングが対決したら勝つのはフェンシング、というのがあったけれど、森寅雄が剣士として剣道VSフェンシングの試合をしたら剣道が勝ったかも、と思うのは私だけだろうか。(こや)
日本人としてはうれしい限りであります。
ところで、イチローよりはるか以前にアメリカのスポーツ界で活躍した人物がいたのをご存知だろうか。その人の名は森寅雄。かの北辰一刀流「千葉道場」四天王の一人、森要蔵の孫である。彼はアメリカでは「タイガー・モリ」として知られる存在。直訳すれば「タイガー・ウッズ」である。
昭和12年、22才の時で剣道の普及のために単身渡米。普及活動をしながらフェンシングを学び、ついにはフェンシングの米国オリンピックチーム監督になったという達人だった。むちゃくちゃな展開だけれど本当の話である。
渡米翌年にはフェンシングのカリフォルニア大会で早くも優勝、全米フェンシング大会で決勝戦まで勝ち進んだ。が、決勝戦では、審判の誤判定により破れて準優勝に終わりオリンピック代表を逃してしまった。全米が「タイガー・モリ」に熱狂したのは言うまでもない。
その後日米関係の悪化によって森寅雄は日本に帰国。戦後再び渡米し昭和35年にはオリンピックローマ大会に米国フェンシングチーム監督として参加した。以前「トリビアの泉」で剣道とフェンシングが対決したら勝つのはフェンシング、というのがあったけれど、森寅雄が剣士として剣道VSフェンシングの試合をしたら剣道が勝ったかも、と思うのは私だけだろうか。(こや)
編集部おすすめ