黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(9月28日放送)に福聚山・慈眼寺住職、大阿闍梨の塩沼亮潤が出演。出家をするまでの経緯と修行の基本について語った。
塩沼亮潤 / 慈眼寺住職 大阿闍梨
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。9月27日(月)~10月1日(金)のゲストは福聚山で慈眼寺住職、大阿闍梨の塩沼亮潤が出演。2日目は、出家をした経緯と修行の基本について
黒木)数々の荒業を成し遂げた大阿闍梨の塩沼さんなのですが、当時はいまのようにネットもなかった。ただテレビをご覧になって、修行をしている酒井雄哉さんを観て「自分もやりたい」と言ってお寺に入られたということですが、いかがでしたか?
塩沼)入ったときにいちばんきつかったのは、人間関係だったと思います。1つの社会ですので、社会の影響を受けた人たちが、まだ悟りきっていない人たちが集まるので、そのなかで社会と同じ、悶々とした「どうしてなぜ」ということに囚われるのです。「これでは駄目だ、自分を見つめ直そう」ということで厳しい修行の世界に入るのですが、いまになって仏教を勉強した一般の人から、「塩沼さん、釈尊は苦行を否定しているではないですか、でもなぜいまこのようなことをしているのですか?」と聞かれることがあります。
黒木)一般の方から。
塩沼)でも、「昔はネットがなかったから知らなかったのです」と言ってしまうのですが、和尚さんとか先輩の言われることに、「自分がそうだな」と思っても思わなくても、言われたことを敬意を払って実践して行くなかに、あらゆる囚われから解き放たれて行く自分がわかるのです。それはもう理屈ではないのです。頭で考えると迷路に入って行ってしまうかも知れません。
黒木)18歳で出家しようと考えて吉野のほうに行かれて、それから23歳で千日回峰行を始めるわけですよね。その5年間の間は何があるのですか?
塩沼)小僧の修行とお坊さんの基本を学ぶのですが、和尚さんや先輩は何も教えてくれないのです。
黒木)本当ですね。特に、塩沼さんはお母さんからとても厳しい躾があった。最初にものをもらった友達がお礼もしないということをお母さんに伝えたら、「そんなことは当たり前だ」と。「なぜお礼を期待するのか」と。
塩沼)はい。「一切、見返りは求めるな、人に尽くすときには見返りを求めるな」と、一段高い価値観を植え付けられたわけです。
黒木)ご本を読ませていただくと、本当におっしゃる通りなのです。しかし、それを自分ができているのか、ということなのですよね。
塩沼)意外と人間は当たり前のことは、なかなか言及しないらしいです。
黒木)人として生まれて大切なことを3 つ挙げるとすると、「感謝と反省と思いやりの心」と書いてあり、私は全部に線を引いています。
塩沼)ありがとうございます。
黒木)大峯千日回峰行をされて四無業をされて、そしてその後にもう1 つされていますよね?
塩沼)はい。八千枚大護摩供と言います。これは100日間、五穀と塩を立つのです。ご飯は食べられるのですが、これがまた厳しいですね。味がしないので食べるたびに吐き気がするのです。しかし、いま思うとネットがなくてよかったと思いますね。

塩沼亮潤
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)/ 慈眼寺住職 大阿闍梨
■1968年(昭和43年)、宮城県仙台市生まれ。
■小学生のとき、テレビで酒井雄哉大阿闍梨の比叡山千日回峰行を見て行を志す。
■1987年、高校卒業の翌年に吉野山金峯山寺で出家得度。1999年、金峰山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行を満行。
■2000年に四無行を満行、2006年に八千枚大護摩供を満行。
■2003年には故郷の仙台市秋保に慈眼寺を開山し現住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。「心の信仰」を国内外に伝えている。著書に『人生生涯小僧のこころ』『縁は苦となる苦は縁となる』ほか多数。最新刊は『幸いをいただきまして このひとときを大切に』。
◎大阿闍梨…弟子の模範になれる位が高い僧侶であり、中でも深い学識や高い徳を備え、千日回峰行などの厳しい修行を乗り越えた僧侶のみが「大阿闍梨」となる。
◎千日回峰行…数ある仏教の修行の中でも荒行中の荒行と言われ、比叡山や吉野・大峯山の山中を、悟りを求めて1000日歩き続ける。
◎四無行…(・・・)「断食・断水・不眠・不臥(横にならない)」を9日間続ける。