#5 伊東勤(西武) 通算1000安打が開幕戦サヨナラ満塁H...の画像はこちら >>

◎1994年4月9日 西武球場

近鉄  0 0 0 0 0 0 0 0 3    = 3

西武  0 0 0 0 0 0 0 0 4X = 4

HR (近鉄)石井1号

(西武)伊東1号

 

「開幕戦は野茂と心中や!」……1994年のパ・リーグ開幕を前にそう宣言したのは、当時の近鉄バファローズ監督・鈴木啓示だった。近鉄ひと筋20年、「草魂」を座右の銘に長年エースとして君臨し317勝を挙げた鈴木は、1985年に現役を引退。

評論家生活を送ったのち1993年、8年ぶりに古巣へ指揮官として戻って来た。

鈴木は自身の現役時代の経験から走り込みを重視。就任1年目の春季キャンプで投手陣に「ランニングの際はアップシューズではなく、スパイクを履いて走れ」と指示した。理由は「オレはそれで結果を出してきた」。前任の仰木彬監督は選手の自主性を重んじ、開幕までは調整法を選手に任せていたが、真逆の「押しつけ」に選手たちは戸惑った。

特に立花龍司コンディショニングコーチの指導のもと、メジャーリーグ式の科学的トレーニングを採り入れていたエース・野茂英雄は、指揮官の方針に反発。鈴木監督も記者たちの前で「野茂はもっと走らなアカン!」と公然と批判した。練習方法を巡って鈴木監督と対立した立花コーチが1993年限りで退団したこともあって、野茂と鈴木監督の溝はさらに深まっていった。

ただし鈴木監督も、入団以来4年連続最多勝と結果を出している野茂の実力はちゃんと認めていた。1993年10月、シーズン最終戦の際に「来年の開幕投手はお前や」と野茂に告げ、記者の前で「開幕戦は野茂と心中や」=「何があっても最後まで投げさせる」と言い切ったのである。

迎えた1994年の開幕戦。前年4位に終わった近鉄は、王者西武と敵地・西武球場(まだドーム化される前)で対戦した。

近鉄の開幕投手は予定通り野茂。西武は「オリエンタル・エクスプレス」こと郭泰源がマウンドへ。野茂は初回から飛ばし、8回まで12奪三振、西武打線をノーヒットに抑えると、郭も8回を2安打無失点と譲らない。

9回表、近鉄の4番・石井浩郎が3ランを放つと記者席もざわめきだした。近鉄に待望の先制点が入ったことで、「開幕戦ノーヒットノーラン」という史上初の快挙達成がにわかに現実味を帯びてきたのだ。あとアウト3つ……。

しかし、さすがは西武。9回ウラ、先頭の4番・清原和博が右越えに二塁打を放って大記録を阻止すると、続く鈴木健が四球を選び、1死後、セカンド・大石大二郎のエラーで1死満塁とチャンスを広げた。これに慌てたのが近鉄ベンチだ。この時点ではまだ無失点だったのに、鈴木監督は野茂を降板させ、守護神・赤堀元之を投入。野茂は次打者の伊東勤に相性が悪く、逆に赤堀は相性がいい、という対戦データを考慮した上での決断だったが、野茂にしてみれば「この試合、最後まで自分に託したんじゃなかったのか?」と裏切られた思いだっただろう。

対照的に西武・森祇晶監督は、右投手の赤堀に「左の代打を出しては?」とコーチから進言されながら「いや、右打者のほうがいい」と伊東をそのまま打席に送った。

そのときライトからレフト方向に風が吹いていたことと、正捕手・伊東のチームリーダーとしての力を信頼していたからだ。

伊東はファウルで粘った後の8球目、赤堀の高めに甘く入ったボールを振り抜くと、打球はレフトスタンドへ一直線! プロ野球史上初の「開幕戦逆転サヨナラ満塁アーチ」で西武は劇的な逆転勝利を収めた。なお伊東はこの一発で通算1000安打を達成。西武はこの年リーグ5連覇を飾り、伊東は「開幕戦で1年分の仕事をしたな」と冷やかされたという。

一方、開幕戦の交代劇でさらに鈴木監督との溝が深まった野茂は、この年限りで近鉄を退団。ロサンゼルス・ドジャースへ移籍し、日本人メジャーリーガーとして新たな歴史を刻んでいったのはご存じの通りだ。

<チャッピー加藤>

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