『中国哲学史-諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』(中央公論新社)著者:中島 隆博Amazon |honto |その他の書店

◆共振作用による思想体系の変遷
中国において、物事の本質を究めようとする知的探究がどのような経過をたどって今日にいたったのか。そのことについて、外部との共振作用に目を配りつつ、批判的な検討が行われた。
狩野直喜『中国哲学史』以来、じつに約七十年ぶりの挑戦だ。

過去の思想体系の揺らぎを検証するのに、欧米の思考原理を主たる参照系としたのは、むろん西洋哲学という強力な磁場が引き起こした引力の変化を念頭に置いたものだが、それ以上に、経験世界から導き出された認識体系の特徴を際立たせるためでもあった。

時系列に沿った解析の技法によって、見えてきたのは哲学における分節化の構造と自己更新の活力である。

儒学は古典的な人間中心主義に傾いており、生き方や社会のあるべき姿にこだわっていた。そこから導き出されたのは主観意識の関与と、そこに立脚した秩序の確立である。

それに対し、老子は自然の観察から規則性を見いだし、その法則性を社会のあり方に応用しようとした、と著者が言う。さらに、司馬遷の叙述を手がかりに『韓非子』を、老子の政治哲学を実践に応用するテクストと位置づけ、アンヌ・チャンの説を踏まえながら、『淮南子(えなんじ)』にいたるまでの道家思想もよりよい政治のあり方を目指したものだとの結論が導き出された。荘子については一歩踏み込んだ検討がほしいが、的確な原典の吟味により、諸子百家はおしなべて政治哲学として構想されたという事実が浮かび上がってきた。

本書のもう一つの力点は、中国哲学と外部との共振作用に対する注目だ。古代の仏教伝来はいうまでもなく、近世におけるキリスト教との出合いも、近代西洋哲学の受容も中国哲学の遺伝情報を書き換え続けてきた。

仏教との出合いによる衝撃と、怒濤のような感化力はおよそ今日では想像できないほど大きかったであろう。儒学回帰を目指す動きは文化の自己防衛によるものだが、一面において、仏教がもたらした精神的な地滑りの大きさを物語っている。


六朝の文学批評や唐の古文運動が哲学の問題として吟味されたのも、仏教的思考は学識や教養を通して、内面世界への深い浸潤があったからだ。朱子学が言語哲学の様相を呈しているのは、むろん劉〓(りゅうきょう)の文論や韓愈(かんゆ)の古文復興を抜きにしては語れないが、儒学の基本概念の再定義は宗教言語の力強さに啓発された一面もあった。

中国哲学史において、王陽明の心学は認識論において画期的なものだ。「心外に物なし」という言葉は「我思う、ゆえに我あり」に比肩できるほど深遠なる思弁性を持っている。ここにいたって、政治哲学、言語哲学に続いて、知覚の哲学への道も開かれた。

仏教に比べて、キリスト教の影響は総じて軽微なものである。そのかわり、中国哲学に対する西洋の受け止め方は本書のもう一つの読みどころになっている。欧州の中国文明観が周期的に変化するというレーモンド・ドーソンの説は、どうやら哲学の他者認識にも当てはまるようだ。

近現代の中国哲学については成立の時点にさかのぼって語られているが、興味を引くのは、戦後の台湾における新儒家と、近年の大陸の研究動向である。専門用語の多い領域だが、簡にして要を得た説明のおかげで、知の迷宮めぐりが楽しいものになった。

【書き手】
張 競
1953年、中国上海生まれ。明治大学国際日本学部教授。
上海の華東師範大学を卒業、同大学助手を経て、日本留学。東京大学大学院総合文化研究科比較文化博士課程修了。國學院大学助教授、明治大学法学部教授、ハーバード大学客員研究員などを経て現職。著書は『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫/第45回読売文学賞)、『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波書店/一九九五年度サントリー学芸賞)、『中華料理の文化史』(ちくま新書)、『美女とは何か 日中美人の文化史』(角川ソフィア文庫)、『中国人の胃袋』(バジリコ)、『「情」の文化史 中国人のメンタリティー』(角川選書)、『海を越える日本文学』(ちくまプリマー新書)、『張競の日本文学診断』(五柳書院、2013)、『夢想と身体の人間博物誌: 綺想と現実の東洋』(青土社、2014)『詩文往還 戦後作家の中国体験』(日本経済新聞出版社、2014)、『時代の憂鬱 魂の幸福-文化批評というまなざし』(明石書店、2015)など多数。

【初出メディア】
毎日新聞 2022年4月23日

【書誌情報】
中国哲学史-諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで著者:中島 隆博
出版社:中央公論新社
装丁:新書(384ページ)
発売日:2022-02-21
ISBN-10:4121026861
ISBN-13:978-4121026866
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