世界20カ国・地域の代表チームが出場する2026年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、3月上旬に開幕します。
東京、サンフアン(プエルトリコ)、ヒューストン(アメリカ・テキサス州)、マイアミ(アメリカ・フロリダ州)の4都市で1次リーグが開かれ、準々決勝はヒューストンとマイアミ、準決勝と決勝はマイアミで行われる予定です。
アメリカの動画配信大手、Netflix(ネットフリックス)は今回、全47試合を独占配信する権利を獲得しました。
2023年の前回大会はAmazonプライムビデオで配信されたほか、テレビの地上波でも日本戦は計7試合全てが放送され、視聴率はいずれも40%を超えたほどでした。
■放映権交渉から撤退する民放テレビ局
では、今回はなぜ地上波で放送されないのでしょうか。
問題は放映権料の高騰です。複数の報道によれば、日本向けの放映権料は前回大会の5倍にあたる約150億円といわれています。
大谷翔平選手らの人気で高視聴率が期待できると考え、主催者側も料金を高値に設定したのかもしれません。しかし、あまりの高騰にテレビ局としては手が出なくなってしまったようです。
WBCだけではありません。サッカーのワールドカップ(W杯)では、NHKと民放各局による共同体「ジャパンコンソーシアム(JC)」が放映権交渉に当たってきましたが、2022年のカタール大会では日本テレビ、TBS、テレビ東京の3局が撤退しました。民放局としては、広告料で放映権料を賄うことは難しくなってきたのです。
■ネット視聴者の利用料金にも影響
一方、有料配信メディアの主な原資は、視聴者が支払う利用料金です。
Netflixの場合、3種類の月額料金が設定されており、「広告つきスタンダード」が890円、「スタンダード」が1590円、高画質の「プレミアム」は2290円となっています。WBCの独占によって、さらなる有料会員の増加が見込まれています。
スポーツ中継を専門とする動画配信メディア、DAZN(ダゾーン)はJリーグと2033年まで総額2395億円に及ぶ長期の放映権契約を結んでおり、ほかにもサッカーW杯アジア地区予選や日本のプロ野球(広島の主催試合を除く)などを幅広く配信しています。
しかし、提供するコンテンツの増加に伴い、月額料金(スタンダードプラン)はサービスを開始した2016年の1890円から今では4200円にまで値上がりしています。このように、一般視聴者の負担が増えている現状も見逃せません。
■子どものスポーツ離れにも懸念
有料会員のみのネット配信となった場合、どのような課題があるのでしょうか。
熱心なファンなら、お金を払ってでも試合を見たいと思うはずです。心配されるのは、テレビでなんとなく見ていたような「ライト層」や、ネット環境に恵まれない高齢者、有料会員登録ができない子どもたちがスポーツから離れていくことです。
9月中旬に行われたプロ野球12球団オーナー会議の後、記者会見した榊原定征コミッショナーは「多くのファンが自由に視聴できる環境をどう確保するかは、日本野球にとって極めて重要な課題」と話し、テレビ局側がNetflixと交渉し、地上波放送とネット配信が並存する必要性を強調しました。
サッカーでもすでに同様の課題が浮上しています。2019年当時、「令和の日本サッカー」と称した特別対談で、DAZNと長期契約を結ぶJリーグの村井満チェアマンに対し、日本サッカー協会の田嶋幸三会長はこう述べています。
「DAZNが出現してどこでもJリーグの試合が見られるようになったのは時代の趨勢(すうせい)ですね。
ネット配信であれば、スマートフォンでもタブレットでもパソコンでも、場所を選ばずに試合を視聴できるようになりました。デジタル時代の高性能な技術も発達し、さまざまな角度から撮影した映像も楽しめる時代です。しかし、田嶋氏が語る「ユニバーサルアクセス権」の議論が日本では高まっていないのも確かです。
■ヨーロッパにおけるユニバーサルアクセス権とは
ユニバーサルアクセス権とは、全ての人が自由に情報に接する権利を意味します。
イギリスでは政府が国民の関心の高いスポーツ大会を指定し、無料の地上波で視聴できるよう法律で定めているのです。
指定される大会のリストは2つに分かれ、グループAは無料での地上波放送、グループBは有料放送を認めるものの、地上波でハイライト・ダイジェスト番組の無料放送を義務付けています。
グループAには、五輪・パラリンピックやサッカーW杯・女子W杯、競馬のダービー、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝)、ラグビーW杯(決勝)などが指定されています。グループBには、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝以外)、ラグビーW杯(決勝以外)、世界陸上、ゴルフ・全英オープンなどが挙げられています。
これらの大会が国民にとって「公共財」といえるかどうかがユニバーサルアクセス権を適用する際のポイントとなるでしょう。
近年は個々の趣味や好みも多種多様です。そのような中で、国民がこぞって観戦するスポーツは限られているかもしれません。
けれども、地上波での無料放送がなくなれば、子どもたちがスポーツに出会う機会も減り、将来的には競技の普及に影響が出てくることでしょう。
思い起こせば、2年前のWBC決勝で大谷選手がアメリカの強打者、マイク・トラウト選手を三振に仕留めて優勝を決め、グラブを放り投げて喜びを爆発させたシーンは、私たちの記憶に深く刻まれるものでした。
そのような光景が減っていくことは寂しい限りです。今こそ、社会にとって何が大切かを議論する時ではないでしょうか。
この記事の執筆者:滝口隆司
社会的、文化的視点からスポーツを捉えるスポーツジャーナリスト。毎日新聞では運動部の記者として4度の五輪取材を経験。論説委員としてスポーツ関連の社説執筆を担当し、2025年に独立。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』『スポーツ報道論 新聞記者が問うメディアの視点』(ともに創文企画)。立教大学では兼任講師として「スポーツとメディア」の講義を担当している。
東京、サンフアン(プエルトリコ)、ヒューストン(アメリカ・テキサス州)、マイアミ(アメリカ・フロリダ州)の4都市で1次リーグが開かれ、準々決勝はヒューストンとマイアミ、準決勝と決勝はマイアミで行われる予定です。
日本は2大会連続4回目の優勝を目指しています。
アメリカの動画配信大手、Netflix(ネットフリックス)は今回、全47試合を独占配信する権利を獲得しました。
2023年の前回大会はAmazonプライムビデオで配信されたほか、テレビの地上波でも日本戦は計7試合全てが放送され、視聴率はいずれも40%を超えたほどでした。
■放映権交渉から撤退する民放テレビ局
では、今回はなぜ地上波で放送されないのでしょうか。
問題は放映権料の高騰です。複数の報道によれば、日本向けの放映権料は前回大会の5倍にあたる約150億円といわれています。
大谷翔平選手らの人気で高視聴率が期待できると考え、主催者側も料金を高値に設定したのかもしれません。しかし、あまりの高騰にテレビ局としては手が出なくなってしまったようです。
WBCだけではありません。サッカーのワールドカップ(W杯)では、NHKと民放各局による共同体「ジャパンコンソーシアム(JC)」が放映権交渉に当たってきましたが、2022年のカタール大会では日本テレビ、TBS、テレビ東京の3局が撤退しました。民放局としては、広告料で放映権料を賄うことは難しくなってきたのです。
■ネット視聴者の利用料金にも影響
一方、有料配信メディアの主な原資は、視聴者が支払う利用料金です。
Netflixの場合、3種類の月額料金が設定されており、「広告つきスタンダード」が890円、「スタンダード」が1590円、高画質の「プレミアム」は2290円となっています。WBCの独占によって、さらなる有料会員の増加が見込まれています。
スポーツ中継を専門とする動画配信メディア、DAZN(ダゾーン)はJリーグと2033年まで総額2395億円に及ぶ長期の放映権契約を結んでおり、ほかにもサッカーW杯アジア地区予選や日本のプロ野球(広島の主催試合を除く)などを幅広く配信しています。
しかし、提供するコンテンツの増加に伴い、月額料金(スタンダードプラン)はサービスを開始した2016年の1890円から今では4200円にまで値上がりしています。このように、一般視聴者の負担が増えている現状も見逃せません。
■子どものスポーツ離れにも懸念
有料会員のみのネット配信となった場合、どのような課題があるのでしょうか。
熱心なファンなら、お金を払ってでも試合を見たいと思うはずです。心配されるのは、テレビでなんとなく見ていたような「ライト層」や、ネット環境に恵まれない高齢者、有料会員登録ができない子どもたちがスポーツから離れていくことです。
9月中旬に行われたプロ野球12球団オーナー会議の後、記者会見した榊原定征コミッショナーは「多くのファンが自由に視聴できる環境をどう確保するかは、日本野球にとって極めて重要な課題」と話し、テレビ局側がNetflixと交渉し、地上波放送とネット配信が並存する必要性を強調しました。
サッカーでもすでに同様の課題が浮上しています。2019年当時、「令和の日本サッカー」と称した特別対談で、DAZNと長期契約を結ぶJリーグの村井満チェアマンに対し、日本サッカー協会の田嶋幸三会長はこう述べています。
「DAZNが出現してどこでもJリーグの試合が見られるようになったのは時代の趨勢(すうせい)ですね。
(略)一方で、地上波のテレビ放送のようにお金を払わなくても見られるユニバーサルアクセス権を守ることも僕たちの責任としてやらなければならない」
ネット配信であれば、スマートフォンでもタブレットでもパソコンでも、場所を選ばずに試合を視聴できるようになりました。デジタル時代の高性能な技術も発達し、さまざまな角度から撮影した映像も楽しめる時代です。しかし、田嶋氏が語る「ユニバーサルアクセス権」の議論が日本では高まっていないのも確かです。
■ヨーロッパにおけるユニバーサルアクセス権とは
ユニバーサルアクセス権とは、全ての人が自由に情報に接する権利を意味します。
イギリスでは政府が国民の関心の高いスポーツ大会を指定し、無料の地上波で視聴できるよう法律で定めているのです。
指定される大会のリストは2つに分かれ、グループAは無料での地上波放送、グループBは有料放送を認めるものの、地上波でハイライト・ダイジェスト番組の無料放送を義務付けています。
グループAには、五輪・パラリンピックやサッカーW杯・女子W杯、競馬のダービー、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝)、ラグビーW杯(決勝)などが指定されています。グループBには、テニス・ウィンブルドン選手権(決勝以外)、ラグビーW杯(決勝以外)、世界陸上、ゴルフ・全英オープンなどが挙げられています。
これらの大会が国民にとって「公共財」といえるかどうかがユニバーサルアクセス権を適用する際のポイントとなるでしょう。
近年は個々の趣味や好みも多種多様です。そのような中で、国民がこぞって観戦するスポーツは限られているかもしれません。
けれども、地上波での無料放送がなくなれば、子どもたちがスポーツに出会う機会も減り、将来的には競技の普及に影響が出てくることでしょう。
思い起こせば、2年前のWBC決勝で大谷選手がアメリカの強打者、マイク・トラウト選手を三振に仕留めて優勝を決め、グラブを放り投げて喜びを爆発させたシーンは、私たちの記憶に深く刻まれるものでした。
そのような光景が減っていくことは寂しい限りです。今こそ、社会にとって何が大切かを議論する時ではないでしょうか。
この記事の執筆者:滝口隆司
社会的、文化的視点からスポーツを捉えるスポーツジャーナリスト。毎日新聞では運動部の記者として4度の五輪取材を経験。論説委員としてスポーツ関連の社説執筆を担当し、2025年に独立。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』『スポーツ報道論 新聞記者が問うメディアの視点』(ともに創文企画)。立教大学では兼任講師として「スポーツとメディア」の講義を担当している。
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