子どものころ、親に理不尽に怒られたりするのはよくあることだが、それがずっと続いたり「虐待」と思われるレベルにまで達していると、大人になってもひきずることになる。それで人間関係がうまく築けないと悩む人も少なくない。
■夫は分かってくれているけれど
「35歳のときに結婚しました。私は毒母から離れるのに必死で、やっと離れられたから結婚などしないで一人で生きていくつもりだった。でも30歳のときに出会った彼が、あまりに真っすぐな人で……。
ついうっかり自分の境遇を話したら、そんな私でもいい、結婚したいと言ってくれた。あれから私、生まれ変わったようなつもりでいたんです」
ミカコさん(42歳)はそう言う。二人はゆっくりと付き合いながら、「話し合う」とはどういうことか「対等」とはどういうことかを言葉と頭で理解し合ってきた。
「オレには決して気を遣うな、こういうことを言ったら嫌われるんじゃないかと口をつぐんだりしないでほしい、言いづらかったらメモにして置いてくれればいい。彼はそういう人でした。だから結婚してからも夫に対してだけはいつも思っていることを素直に言えた。敵対しないと分かっていたから」
■子どもをもつのが怖かった
慣れ親しんだ職場での仕事を続けていたから、仕事と家庭の両立も思ったほど大変ではなかった。夫は彼女より料理が上手だ。
「ただ、子どもをもつのは本当に怖かった。
幸い、すぐに妊娠し、37歳で一人目を、39歳で二人目を産んだ。怖かったが、それ以上にかわいさが募り、夫には「甘やかし過ぎ」と言われるほどだった。
イヤイヤ期ですら、「こうやって成長していくんだなと思うと、愛おしくてたまらなかった」というから、ミカコさんは、愛されなかった反動で、子どもへの愛情があふれ過ぎていたのかもしれない。
■ママ友、職場での人間関係がつらい
家庭内では「のびのびと自分を出すことができた」が、子どもたちが大きくなって保育園に預けたり、ママ友との付き合いが生じてくると、ミカコさんは再び、思い悩むようになった。
「保育園の先生からの一言に怯えたりしちゃうんですよね。うちの子だけちゃんと見てもらえないんじゃないかと考えて、不必要に先生にこびたりおもねったりしてしまう。言いたいことも言えない。
他のママたちが先生と軽口を叩いているのを見ると、うらやましくなってかえって顔がひきつって。これじゃダメだと思えば思うほど、右手と右足が一緒に出て歩くみたいなギクシャクした感じが自分でも分かって……」
しかも、勤務先の会社が吸収合併され、上司が代わり、ミカコさんも異動になった。慣れない仕事に慣れない人間関係で、気持ちが疲弊していくのが分かった。
「同僚たちはそれぞれに苦労しながらもなんとかやっている。でも私は一時期、『ほとんど無口な人』になってしまって。人の顔色をうかがうことに疲れていきました」
自分の言葉が人を怒らせるとは限らないし、そもそも自分の言葉をそれほど相手が重く受け止めるかどうかも分からない。
仕事なのだから、自分の「気持ち」ではなく「考え」を淡々と言えばいいのだと分かっていても、そんなときに限って母親の「あんたの言うことなんてあてにならない!」「あんたなんていなくなればいい」という声が脳内によみがえる。
「パニック障害で過呼吸を何度か起こして、昨年は半年ほど休職しました。その間、なんとか子どもたちと過ごしていたのですが、子どもの前で過呼吸を起こしたことがあって。
下の子が私が家にいると『ママ、大丈夫?』とやたらと心配するんですよ。あの子の記憶に、私が過呼吸を起こしたときのことが刻み込まれてしまったんでしょうね。申し訳ないと思いました。それも虐待の一種なのではないかとさえ思いつめました」
■心についた傷は癒えていなかった
毒母を乗り越えたと思っていたのに、心の深いところについた傷は癒えてはいなかった。精神科に通い、改めて毒母を論理的に自分の中で整理した。いつまでも同じところにとどまっていてはいけない、少しでも前に歩み出そうと頭では分かっているのに、気持ちが追いついていかなかった。
「そんなときに夫が『無理しなくていいじゃないか、子どもたちはママが大好きなんだよ、いい母親でいなくていい、目の前の子を抱きしめてかわいいと言っていればいい。極論だけど』と笑ってくれたんです。あれで一気に気持ちが楽になりました」
毒母が自分を本当はかわいいと思っていたのかどうか、ミカコさんは知るつもりもなかったが、自分は子どもたちをかわいいと確かに感じている。そうか、これだけでいいんだと全身の力が抜けていったという。
「それからはできることを、できるだけ、できるようにする。無理はしない、人の顔色もみない。全世界を敵に回してもオレがいると言ってくれた夫の言葉を信じて、少しずつ仕事にも復帰しています。私は私。そんな気持ちも最近は大きくなっていますね。毒母よりダメ母の方が子どもにとっても気楽かもしれないし」
そう言ってミカコさんはニコッと笑顔になった。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。
■夫は分かってくれているけれど
「35歳のときに結婚しました。私は毒母から離れるのに必死で、やっと離れられたから結婚などしないで一人で生きていくつもりだった。でも30歳のときに出会った彼が、あまりに真っすぐな人で……。
ついうっかり自分の境遇を話したら、そんな私でもいい、結婚したいと言ってくれた。あれから私、生まれ変わったようなつもりでいたんです」
ミカコさん(42歳)はそう言う。二人はゆっくりと付き合いながら、「話し合う」とはどういうことか「対等」とはどういうことかを言葉と頭で理解し合ってきた。
「オレには決して気を遣うな、こういうことを言ったら嫌われるんじゃないかと口をつぐんだりしないでほしい、言いづらかったらメモにして置いてくれればいい。彼はそういう人でした。だから結婚してからも夫に対してだけはいつも思っていることを素直に言えた。敵対しないと分かっていたから」
■子どもをもつのが怖かった
慣れ親しんだ職場での仕事を続けていたから、仕事と家庭の両立も思ったほど大変ではなかった。夫は彼女より料理が上手だ。
「ただ、子どもをもつのは本当に怖かった。
私がうっかり虐待することもあると思っていたから。それでも職場の同僚が育休中、赤ちゃんを連れてきたことがあって、心からかわいいなと思えたんですよ。それで夫と話し合って産もうと決めました」
幸い、すぐに妊娠し、37歳で一人目を、39歳で二人目を産んだ。怖かったが、それ以上にかわいさが募り、夫には「甘やかし過ぎ」と言われるほどだった。
イヤイヤ期ですら、「こうやって成長していくんだなと思うと、愛おしくてたまらなかった」というから、ミカコさんは、愛されなかった反動で、子どもへの愛情があふれ過ぎていたのかもしれない。
■ママ友、職場での人間関係がつらい
家庭内では「のびのびと自分を出すことができた」が、子どもたちが大きくなって保育園に預けたり、ママ友との付き合いが生じてくると、ミカコさんは再び、思い悩むようになった。
「保育園の先生からの一言に怯えたりしちゃうんですよね。うちの子だけちゃんと見てもらえないんじゃないかと考えて、不必要に先生にこびたりおもねったりしてしまう。言いたいことも言えない。
他のママたちが先生と軽口を叩いているのを見ると、うらやましくなってかえって顔がひきつって。これじゃダメだと思えば思うほど、右手と右足が一緒に出て歩くみたいなギクシャクした感じが自分でも分かって……」
しかも、勤務先の会社が吸収合併され、上司が代わり、ミカコさんも異動になった。慣れない仕事に慣れない人間関係で、気持ちが疲弊していくのが分かった。
「同僚たちはそれぞれに苦労しながらもなんとかやっている。でも私は一時期、『ほとんど無口な人』になってしまって。人の顔色をうかがうことに疲れていきました」
自分の言葉が人を怒らせるとは限らないし、そもそも自分の言葉をそれほど相手が重く受け止めるかどうかも分からない。
仕事なのだから、自分の「気持ち」ではなく「考え」を淡々と言えばいいのだと分かっていても、そんなときに限って母親の「あんたの言うことなんてあてにならない!」「あんたなんていなくなればいい」という声が脳内によみがえる。
「パニック障害で過呼吸を何度か起こして、昨年は半年ほど休職しました。その間、なんとか子どもたちと過ごしていたのですが、子どもの前で過呼吸を起こしたことがあって。
下の子が私が家にいると『ママ、大丈夫?』とやたらと心配するんですよ。あの子の記憶に、私が過呼吸を起こしたときのことが刻み込まれてしまったんでしょうね。申し訳ないと思いました。それも虐待の一種なのではないかとさえ思いつめました」
■心についた傷は癒えていなかった
毒母を乗り越えたと思っていたのに、心の深いところについた傷は癒えてはいなかった。精神科に通い、改めて毒母を論理的に自分の中で整理した。いつまでも同じところにとどまっていてはいけない、少しでも前に歩み出そうと頭では分かっているのに、気持ちが追いついていかなかった。
「そんなときに夫が『無理しなくていいじゃないか、子どもたちはママが大好きなんだよ、いい母親でいなくていい、目の前の子を抱きしめてかわいいと言っていればいい。極論だけど』と笑ってくれたんです。あれで一気に気持ちが楽になりました」
毒母が自分を本当はかわいいと思っていたのかどうか、ミカコさんは知るつもりもなかったが、自分は子どもたちをかわいいと確かに感じている。そうか、これだけでいいんだと全身の力が抜けていったという。
「それからはできることを、できるだけ、できるようにする。無理はしない、人の顔色もみない。全世界を敵に回してもオレがいると言ってくれた夫の言葉を信じて、少しずつ仕事にも復帰しています。私は私。そんな気持ちも最近は大きくなっていますね。毒母よりダメ母の方が子どもにとっても気楽かもしれないし」
そう言ってミカコさんはニコッと笑顔になった。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。
恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
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