親の介護は難しい。どんどん話が通じなくなっていく親に失望し、先が見えない日々に絶望感を抱く。
明るい介護を実践している人の話を見聞きするにつけ、「自分には愛情が足りないのではないか」「もっとうまくやれるのではないか」と力不足が身に染みる。だが、いつかどこかで区切りをつける必要もあるのではないだろうか。

■介護7年、ついに白旗をあげた
「そろそろ一人暮らしは無理だと判断、私が同居するようになったのが8年前です。以後、7年間、仕事をしながら介護を続けてきたけど、とうとう私が倒れてしまって。母には施設に行ってもらうことにしました」

ミズキさん(63歳)は沈んだ声でそう言った。施設に入所した母は、ミズキさんの顔を見ると「いつ家に帰れるの?」と聞くという。そのたび、せつない思いがこみあげてくる。

「家で介護していたときは、朝食と昼食を用意し、帰宅後はすぐに夕食の支度。昼間は半日のデイサービスなどを利用しましたが、母は基本的に私の作ったものしか食べない。私が残業のときは、冷凍保存してある総菜をヘルパーさんに解凍してもらったりしていました」

母は要介護3だった。杖を使いながら、昼間はなんとかトイレには行ける。口は達者だが、物事を論理立てて話したり聞いたりするのは難しくなっていた。


■仕事と介護の両立
「計算が得意だったのに二桁の足し算もできない、本を読みたいと言うから渡しても数ページで目が疲れたと投げ出してしまう。でも目が疲れたわけじゃないんです、理解ができない。だからドラマも映画も観ることができない。でも、本人はそれを認めない」

何度も同じことを言い聞かせるのに疲れていった。糖尿病があるので甘いものは食べないように言っても、隠れて食べる。チョコレートの包装紙がテーブルの上にあったので、食べたのかと聞くと「食べるわけがない」と激昂した。

「真剣に受け止めると腹がたつばかりなので、あるときから思考停止しました。淡々と介護をしていくしかないと割り切って。それでも仕事と介護の両立はつら過ぎた。ある時期、仕事が多忙になったんです。大好きな仕事なので手は抜かない。そうなると必然的に睡眠時間を削るしかない。
それがたたって、仕事が一段落したときに倒れました」

今、入院して体を休めないとあなたが危ないと言われた。

■母は嫌がったが
いったん帰宅して、母に説明をした。私が入院しなければならなくなった、もう無理だと。他に家族はいない。

「母は、『あたしはどうなるの?』とつぶやきました。私のことなど何も心配していないんですよ、自分のことだけ。考えたら、かなり前からそうでした。私が指を骨折したときも、大丈夫かとも聞かなかった。『あたしのごはんは?』って。指をかばいながら料理をするのはせつなかったですね。こうまでして面倒をみなければならないのかとも思った」

ミズキさんは若いころに結婚経験があるが、30代後半からはずっと一人暮らしだった。母とは距離を置いていたからこそ、うまくいっていた。
時々外で二人で食事をし、互いの日常には干渉しあわなかったのだ。そのほうがいいとずっと思っていたが、80代後半にさしかかった母の家を久しぶりに訪れたとき、その散らかりように驚いた。食事もきちんととっていないように見えた。それで同居を決意したのだ。

だが、今度は別の決意をしなければならない。入院している間、母にはショートステイに行ってもらった。ミズキさんはケアマネージャーを呼んで、そのまま施設に移行できないか相談した。

■老後に希望をもてない理不尽さ
「なかなか施設が見つからなかったんですが、8カ月ほど前、入居させました。高級なところは難しいので、母の年金と貯金だけで入れるところです。お金さえあれば、もっといい施設に入れるんでしょうけど。一般庶民の最後は、こういうことになるのかと絶望的な気分ですね」

両親も彼女も、一生懸命働いて税金を納めてきた。それなのに最後は、人手不足でケアの行き届かない施設で生涯を終えるしかない。
何かがおかしい。そう思いながらも、とりあえずは自由になったことにほっとしている自分もいる。

「近いうち、母は私の顔も分からなくなると思います。施設の職員を私と思い込んでいるみたいだから。それでも家に帰りたいとは言うんですよね。ただ、もう一度、同居できるかと言われれば、それも難しい。母を見ていると、じゃあ、私の20年後はどうなるんだろうと思うんですよね……。なんの希望ももてない老後しかないのかもしれない」

彼女の声は、多くの同世代が抱えている問題意識なのではないだろうか。
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