【東京・銀座発】荻野さんは小学校から高校までひたすら野球に打ち込み、進学時の入試も野球推薦だったため、「初めて勉強した」のは高卒後に一般入試で大学を目指したときだったという。そういうキャリアを歩む人がいることは承知している。
でも、そこで野球だけの世界から離れて勉強しなおすことができる人は、それほどいないのではないか。その稀有な存在である荻野さんは、野球を通じて得た経験を経営に生かした。そのキーワードは、ずばり「人」だった。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●「何をしたいか」よりも「誰と働きたいか」が決め手に
 荻野さんは入社13年目、36歳の若さで、結婚式場を全国展開するノバレーゼの経営を創業社長から引き継がれたとのことですが、まず、このブライダル業界に飛び込んだ動機からお話しいただけますか。
 実は、もともとブライダル業界に興味はありませんでした。というか、就職して何をやりたいということがなかったんですね。
「何をやりたい」よりも「誰と働くか」が重要だと思っていたんです。
 ほう、仕事の内容よりも人だと。それはどんな経験に基づいているのですか。
 私は、小さな頃から野球に打ち込んできました。目標はかないませんでしたが、高校時代は本気で甲子園を目指していたんです。チームスポーツである野球を続けていくなかで、指導者、仲間、家族など、周囲の人たちあっての自分だと思っていたことが大きいですね。

 だから会社をチームに見立てて、一緒に働く人が重要だと考えたわけですね。でも、就職活動のときは、そのほかにもいろいろな要素を考えますよね。
 そうですね。大学時代の友人の多くは大企業志向で、創業間もないノバレーゼのようなベンチャー企業に入社することには否定的でした。でも、そのとき、私はこの会社で自分は成長でき、会社も伸びると確信したのです。
 確信ですか。

 就職活動中に、面接以外の場でも、ノバレーゼで働いている人の話を聞きました。すると、みんな自分の仕事に誇りをもっていて、とても格好よかったんです。自分もこうなりたい、この人たちと働きたいと思ったことが、ノバレーゼを選んだ決め手になりました。
 実は、野球をやめて、1年浪人して大学に入ってからは、けっこう遊んでいました。そうした生活は楽しいものの、自身の成長や満足感にはつながりませんでした。だから、社会人になったら、もう一度、何かに一生懸命打ち込みたいと思っていたんです。

 それまでの張り詰めた生活から解放されたものの、おそらくどこか物足りないものがあったのでしょうね。ところで、荻野さんが入社された2004年当時、ノバレーゼの企業規模はどのくらいでしたか。
 社員は50人ほどで、そのうち約7割が女性でした。私は新卒採用の2期生ですが、この年は男性3名、女性5名が採用されています。拠点も東京、名古屋、大阪のみで、まだまだ規模は小さかったですね。
 それが今は?
 正社員数は約800人で、昨年の新卒採用は32人です。
今年はコロナ禍の影響で3人に絞りましたが、来年はまた50人程度に増やす予定です。拠点も全国に広がり、現在、直営の婚礼施設は31か所となっています。
 荻野さんが見込んだとおり、短期間のうちに、すごい成長を遂げたのですね。
●古い慣習も尊重しながら 新たなスタイルをつくり出す
 社会構造や人々の価値観の変化によって、結婚式のあり方にも変化が起きているのではないかと思いますが、そのあたりを荻野さんはどう見ておられますか。
 私が入社した頃、ブライダル業界は大きく変わりつつありました。
 かつての結婚式は、大きな結婚式場やホテルで、新婦はお姫様のようなドレスを着て、たくさんの人に「お披露目」をするという画一的なイメージでした。
つまり、どこの式場でやっても代わり映えがしなかったのです。
 ところがそんな状況から、センスある邸宅を貸し切り、お世話になったゲストを呼んでパーティーを開いて「おもてなし」をする、オリジナリティのあるハウスウェディングの時代にトレンドは変化しました。これが、ビジネスチャンスとなったわけです。
 形式的なお披露目から、個性的なおもてなしに変わってきたということですね。
 新卒時に私は名古屋に配属されたのですが、ご存じのとおり、名古屋での婚礼はとても派手なものでした。ところが昨今は、かつてのように新郎新婦が家で支度をし、近所の人に向けて「菓子まき」をし、トラックに嫁入り道具一式を積んで出発するという風習や、近所に住む親の知り合いである「隣組」を招待するという風習もなくなりつつあります。
 最近は、仲人を立てることもなくなったと聞きました。
 そうですね。媒酌人ご夫妻が新郎新婦の隣に座ることもほとんどなくなりました。ただ、私たちはこうしたかつての姿を理解した上で、おふたりのご要望に沿った新しい形のウェディングプランをご提案するようにしています。だから、披露宴の演出として「菓子まき」をすることもあるんですよ。
 古いことをただ否定するのではなく、それも尊重して新たなものをつくり出すというわけですね。ところで、ブライダル業界の競合企業というと何社くらいあるのですか。
 企業規模にもよりますが、全国をカバーしている会社に限ると10社くらいですね。
 ブライダルマーケットの規模は、どのくらいあるのですか。
 1.4兆円程度といわれています。そのうち1%ほどを当社が占めています。
 シェア1%だと、まだナンバーワンには至らないと……。
 そうですね。ただ、私は業界トップにこだわっていません。社員に対しても「ナンバーワンを目指そう」と言ったことはありません。結果的にナンバーワンになれればいいとは思いますが、それが目標ではないと思っています。
 それでは、荻野さんはスタッフに対して、日頃どんなことを語っているのでしょうか。
 ノバレーゼは、式場、ドレス、装花、引出物、料理など、結婚式に必要な商品のほぼすべてを自前で賄っており、その品質には自信を持っていますが、最終的にその成否は「人」にかかっていると思っています。そのため、いつも私が口にしているのは、お客様が幸せな気持ちになるようなサービスを提供するには、自分たちが仕事を楽しみ、そして自身が幸せでなければならないということなんです。そして「世のため、人のために」前向きな姿勢で働くことの積み重ねが大事だと話しています。
 仕事を楽しむことがいい結果につながるということですね。荻野さんが経験してきたチームスポーツのあり方にも通じるような気がします。
(つづく)
●愛用のオメガの時計
 あまり物欲がないという荻野さんだが、入社3年目、賞金100万円のMVPを獲得した際に購入したのがこのオメガの腕時計だ。初めての高い買い物だったとのことだが、当時の気持ちを忘れず初心に戻る意味からもずっと大切に使っているそうだ。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。