【東京・高円寺発】お父さまの影響で幼少期からラグビーをやらされた(?)お話をうかがい、さぞかし体育会的な家庭だったのだろうと想像していたら、「父も母も100点満点のすごい人」という言葉が出て、予想をだいぶ裏切られた。自分の親のことを手放しでほめられる人はめったにいない。
お父さまはアドバイスタイプ、お母さまは話を聞いて見守ってくれるタイプで、菊池さんはお母さまに恋愛相談(!)をしたこともあるという。「勉強しなさい」と言われたことはなく、「やりたいことをやりなさい」としか言われなかったとも。やっぱりすごい。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●アナログのメモが新たな気づきにつながる
奥田 この対談では毎回、登場する方々に、お気に入りの品や大切にされているものをご紹介いただいているのですが、菊池さんはどんなものを大事にされていますか。
菊池 私はメモ魔なので、こんなデザインのノートをいつも大事に使っています(コラム写真参照)。
奥田 表紙が電車の路線図なんですね! さすが「駅すぱあと」のヴァル研究所ですね。
菊池 これは当社の製品ではないのですが、せっかく経路検索サービスの会社に入ったのだからと、こういうノートを使うようになりました。
 お客様と打ち合わせをしているときなど、このノートを持っていると表紙を指差して、「これは〇〇線ですね」などと、よく突っ込まれます(笑)。
奥田 やはりヴァル研さんのお客様は、この方面の情報感度が高いのですね(笑)。
 ご自身は「メモ魔」とおっしゃいましたが、本当に細かい字でびっしりとメモされているのですね。こうしたメモ取りはいつ頃から習慣化されているのですか。
菊池 社会人になって以来、ずっとですね。
私が大学を卒業した頃はまだアナログの時代ですし、上司から「お客さんに言われたことは、必ずメモを取れ」と叩き込まれました。だから、PCに打ち込むのではなく手書きすることが習慣になっていますし、スマホの時代になってもそれは変わりませんね。
奥田 メモの効用は、どんなところにあるのでしょうか。
菊池 書かないと忘れてしまうからですが、それまで自分が知らなかったことを記録することが多いですね。つまり、書くことが新たな気づきにつながるのだと思います。
奥田 新たな気づきですか……。
菊池 ただ、何か新しいことを知っても、アウトプットしないとその知識は定着しません。そのアウトプットの方法が、私にとってはメモすることや人に伝えることなのだと思います。
奥田 メモ以外に、何か続けておられることはありますか。
菊池 すきま時間などに、「Audible」で同じ本を何度も聴いています。100回、聴いた本もあるんですよ。
奥田 同じ本を100回ですか。
それはどんな理由で?
菊池 デール・カーネギーの『人を動かす』のようなビジネス書が多いのですが、一度聴いてすべてを理解できるとは限りませんし、私の場合、聴くたびに新たな気づきがあるんです。
奥田 メモだけでなく、本からも新たな気づきを得ているのですね。
菊池 同じ内容であっても、自分の立場や状況の変化によって、見えてくるものが異なってくるのです。
奥田 なるほど、それも新しい気づきですね。ところで、すきま時間を有効に活用されている菊池さんですが、お休みの日はどのように過ごしておられますか。
菊池 子どもたちと博物館や美術館、動物園などに行くことが多いですね。このあいだも葛西の地下鉄博物館に行って、この路線図のノートを買いだめしてきました。中3と小4の子どもはすっかり鉄道好きになりました。
奥田 お子さんたちも、お父さんの持っているあのノートを使っているのですね。
菊池 子どもがいなければ行かないような場所に行くと、やはり新しい発見があります。でも本当は、子育てと仕事を結びつけちゃいけないんですけどね(笑)。
●物心つかない頃からラグビージャージに袖を通す
奥田 ところで、菊池さんご自身はどんなお子さんだったのでしょうか。

菊池 運動が得意なスポーツ少年でしたね。
奥田 どんなスポーツですか。
菊池 ラグビーです。幼少期から始め、大学を卒業して社会人になってからもしばらく続けました。
奥田 そんな長い期間、ラグビーに打ち込まれたのですね。始めるきっかけはどんなことだったのでしょうか。
菊池 父がラグビーをやっていたため、物心つかないうちからラグビーのジャージを着せられていたんです。
奥田 ということは、お父さまが半ば無理やり……。
菊池 私の世代だと、メジャーなスポーツは野球とサッカーなのですが、そちらには行かせてもらえなかったですね(笑)。
奥田 でも、それだけ続けられたということは、菊池さんにとってラグビーは大切なものだったのではないでしょうか。
菊池 もちろんそうですね。ラグビーを通じて学んだことはたくさんあります。

奥田 ちなみに、菊池さんのポジションはどこだったのですか。
菊池 バックスです。おもにスタンドオフやセンターをやっていました。
奥田 めちゃくちゃ走って、得点に結びつけるほうの選手ですよね。
菊池 そうですね。どちらかというと、ゲームメイキングするポジションをやることが多かったです。
奥田 バックスを選んだ理由は?
菊池 残念なことに早逝されましたが、同志社大から神戸製鋼に進み、7連覇を成し遂げた平尾誠二さんが大好きで、彼と同じポジションをやりたかったんです。実は、本当にラグビーが楽しくなったのは高校に入った頃で、私の高校のチームはさほど強くなかったのですが、当時、平尾さんのプレーをビデオがすり切れるほど何度も見ていました。
奥田 さきほど、ラグビーを通じて学んだことがあるとおっしゃいましたが、平尾さんの影響が大きかったのでしょうか。
菊池 初めのうちはプレーに魅了されていただけでしたが、その後、平尾さんが書かれた『勝者のシステム』などの本を読む機会がありました。それは単なるラグビー本ではなく、ラグビー以外にも通じるチームづくりや勝つための仕組みづくりなどについて書かれていて、そこから組織のマネジメントに興味を持つようになったのです。また、これをきっかけに読書の習慣もつきました。

奥田 まさにラグビーを続けてきたことが、今のお仕事につながる経営やマネジメントを学ぶきっかけになったのですね。(つづく)
●表紙のデザインが路線図のノート
本文でも紹介した菊池さん愛用のノート。7、8年前からこのデザインのものを使っているとのこと。中面は山手線の路線図に囲まれており、こちらもなかなかかわいい。鉄道ファンでなくとも、ちょっと使ってみたくなる。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第371回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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