【東京・原宿発】フューチャーセッションズのオフィスは、原宿の瀟洒なマンションの一室にある。内装もとてもおしゃれだ。
経営者として、きっとオフィスにもこだわりがあるだろうと思って尋ねたら、原宿という魅力ある街で、ただ働きに来るだけの場ではなく(生活や趣味などと)シームレスな場にしたかったと話してくれた。ちなみに、オフィスの什器は持ち運びやすいアウトドア製品で、フレキシブルなレイアウトが可能なのは多くの人が参加するセッションに対応するからだそうだ。これもかっこいい。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●フューチャーセンターとの出会いが創業への第一歩
奥田 有福さんが社長を務められているフューチャーセッションズは2012年の創業ということですが、どのような経緯で起業されたのでしょうか。
有福 私は広告会社で企業のブランディングやデジタルコミュニケーションなどの仕事に携わっていたのですが、08年頃から、新しい商品やサービスを売るための広告だけでなく、企業の社会的責任(CSR)などについての発信が増えていきました。
奥田 「当社は環境に配慮する企業です」といったメッセージですね。
有福 そうですね。例えば「温暖化防止のために植林をしています」といったメッセージがありましたが、でも、そうした活動は全て本当にいいことなのかという疑念を持ちました。つまり私は、企業の言っていることをそのまま鵜呑みにして発信することの危険性を感じたわけです。
奥田 商品広告と違って、その価値判断が難しいのですね。
有福 当時、社内ベンチャーの制度を利用して、私は環境問題や社会問題を発信するWebマガジンを新規事業として立ち上げていました。自分自身も勉強しながら事業を進めていったのですが、そうした問題を解決に導くには、一人一人がアクションを起こすことが大事であることに思い至りました。
広告会社は「モノを買う」という行動変容を起こさせるのは得意ですが、社会問題に対するアクションを促すことは難しいと感じました。
奥田 確かに、環境や社会という大きな問題に対して個人が声を上げても……、という気持ちになりがちですよね。
有福 そんなときに仕事を通じて出会ったのは、当時の富士ゼロックス(現富士フイルムビジネスイノベーション)で「フューチャーセンター※」の仕事に関わっていた野村恭彦氏(現Slow Innovation代表取締役)と、筧大日朗氏(現フューチャーセッションズ副社長)でした。
奥田 フューチャーセンターというのは?
有福 もともとは北欧の知的資本経営の考え方や経営学者である野中郁次郎先生の知識創造理論の場の概念から「未来の価値を生み出す場」としてできたものです。ちなみに、野村氏らが設立に貢献した富士ゼロックスのフューチャーセンターは日本初のものです。
 フューチャーセンターでは、多様な人たちが集まってイノベーションを起こす集合知形成に取り組んでおり、私はその方法を学びたいと思いました。それが、複雑化するさまざまな問題の解決に応用できると考えたわけです。
奥田 フューチャーセンターの取り組みは、有福さんの抱いた疑問や問題意識に、まさにフィットしたのですね。
有福 そうですね。それで12年6月に、この3人のメンバーでフューチャーセッションズを創業することになります。
●社会的な課題を自分ごととして捉える
奥田 起業するにあたっての不安はありませんでしたか。
有福 ご存じのように、11年3月11日に東日本大震災が発生しました。
この震災の惨状を目の当たりにして、このままでは持続可能な社会は成り立たないと考えました。
 そこでその1年後に、フューチャーセンターで培った問題解決の方法論を社会に広げていこうと、この会社を立ち上げたのですが、それぞれに不安はあったものの、それよりも、このタイミングを逃すと次のチャンスはないのではないかという思いのほうが強かったですね。私たち自身が、人任せではなく自分ごととして、その役割を捉えたということです。
奥田 フューチャーセッションズの業務内容を、もう少し具体的に教えていただけますか。
有福 例えば、企業がその社会的価値をどう構築していくかという課題がある場合、そのプロジェクトの設計とプロセスの提示を行い、対話の場をつくってファシリテーションをしていきます。そういう部分はプロジェクトマネージャーやコンサルタント的ですが、私たちが最初から答えを持っているわけでなく、企業と一緒にプロジェクトを進めていくかたちをとります。短期的な課題を一気に解決に導くよりも、比較的長期的な課題にじっくりと取り組むことのほうが多いですね。
奥田 結論ありきではなく、一緒につくりあげていくイメージなのですね。
有福 そして対象は企業だけでなく、行政、大学、NGO/NPOなどのセクターである場合もあり、課題によっては、それらのセクターを横断し、いろいろな立場のステークホルダーと共創するプロジェクトもあります。
奥田 企業と社会的な課題解決を結びつけるような事例はありますか。
有福 Tポイント(現Vポイント)を展開するTポイント・ジャパンによる「Tカードみんなのソーシャルプロジェクト」というものを立ち上げ、その第1弾として、地域活性化への取り組みを16年に始めました。このプロジェクトは、三陸の漁業の活性化を支援すべく、同社の持つビッグデータをいかに地域の課題解決に結びつけるかという試みからスタートしました。

奥田 ビッグデータで地域活性化ですか。
有福 三陸のカキはとても上質で有名ですが、その旬は10月で、その後3月に向かって値が下がってしまい、年間を通じて安定した売り上げを維持することが難しくなっていました。そこでカキの加工食品の開発を提案し、旬の時期以外にも収益を得られるような仕組みをつくりました。加工食品の開発にあたっては、データを活用して適切なターゲットを抽出し、T会員にも関わってもらっています。このプロジェクトはかたちを変えて、発展し、生産者(漁師)、流通業者(スーパー・小売店)、消費者(T会員)の参加の下、五島列島の未利用魚の問題にも取り組みました。
奥田 一見関係のないように見えることも、問題解決につながっていくのですね。ところで、有福さんたちはいろいろなプロジェクトに取り組まれているわけですが、そのファシリテーションのスキルはどのように身に付けられているのですか。
有福 ファシリテーションのスキルについては、確立された方法論はありません。ですから、私たちは日々の実践を通じてアップデートしていくしかありません。毎日が試行錯誤ですね。(つづく)
●野中郁次郎氏のメッセージ
写真の裏に記されているのは、今年1月に亡くなった一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏の言葉。氏の理論は、フューチャーセッションズの支柱となっており、ここには「われわれは世界平和のためのチームだ」というフレーズが記されている。
実現不可能とも思える大きな問題にも自分ごととして取り組み、集合知によってイノベーションを起こすという考え方を有福さんは大切にしている。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第374回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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