エンジニアとして、PCのファームウェア開発からスタート。LANシステム、DVD、HD DVDと開発畑を渡り歩いてきた石橋さん。
東芝が苦境にあえいでいる頃、担当していたのがテレビだった。事業が中国ハイセンスに売却されても、新会社でそのままテレビの仕事を継続。体制も社名も新たに再スタートを切るや、見る見るうちにトップシェアを獲得した。かつて「オタク向けのテレビ」と言われたレグザに、ようやく時代が追いついてきた。随所にちりばめられた、知る人ぞ知るこだわりの機能群が花開いた。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●ハイセンス傘下入りした当初は ここまでの成功は想像できなかった
奥田 現在、テレビ市場でトップを走っている御社ですが、今の率直な気持ちをお聞かせください。
石橋 レグザがハイセンス傘下に入ったのが2018年。当時、東芝は不正会計問題やウエスチングハウス問題などを抱えていました。海外ビジネスもどんどん閉じていった時代です。そのころから思えば、今の状況はとても想像できませんでした。
奥田 現在の社名に変更された21年以降、テレビのトップシェア企業に登り詰めたわけですが、東芝時代からどんな変化があったんでしょうか。
石橋 ハイセンスグループの創業者で、現在会長を務めているのは周(厚健)ですが、実は東芝の深谷工場でテレビの開発・製造を学んだことがあるんです。
その経験を生かして中国でテレビ事業を始めました。東芝のテレビ事業を買収する際に「とても感慨深い」と話していました。互いに企業文化が全然違うので、当初は苦労しましたが、東芝の技術をリスペクトしてくれていました。ハイセンス流を押し付けることをせず、東芝の良さとハイセンスの良さを生かす組み合わせがあるはずだと、われわれを尊重してくれたことが大きかったですね。
奥田 市場環境の変化も影響したんでしょうか。
石橋 日系テレビメーカーの世界シェアが以前に比べ落ちていく中、各社の開発投資が難しくなっていました。しかし、ハイセンスは開発投資に積極的でした。さらに、会社の規模が小さくなったことで、小回りが利くようになりました。例えば東芝時代は、販売と企画設計は全くの別組織でした。技術のトップが営業担当の支店長会議に出る、なんてことはありませんでした。
奥田 今では営業もエンジニアも一緒になって議論を?
石橋 レグザは一時、1台のテレビで二つのチャンネルやコンテンツを同時に楽しめる2画面機能を止めていました。しかし、営業サイドから「2画面を復活させてほしい」との要望が挙がったんです。
エンジニアは「2画面にすれば売るんだろうな。売るならやるぞ」と。そんなやり取りがあって、25年のモデルから2画面機能を復活させました。組織が小さいからこそできることです。今後、多角化やグローバル化が進んだとしても、こうした状態は維持したいと思っています。
奥田 テレビ離れが叫ばれて久しいですが、これからテレビはどこに向かうのでしょうか。
石橋 まずスマートフォン(スマホ)に勝つことです。動画を見る時間は増えています。しかし、テレビを使う時間は減っている。スマホに取られているわけです。「コンテンツを見るならテレビだよね」という世界をつくりたいんです。
奥田 どんな手があるんでしょう。

石橋 テレビのほうが大きくて迫力があるのは当たり前。加えて「テレビのほうが便利だ」と思っていただけるような環境づくりが必要です。一つの要素は安全性。スマホは落とすと大変です。しかしテレビは持ち歩かない。泥棒に入られても盗まれない限り、テレビは安全なんです。
奥田 確かにスマホだと、いちいちアプリを立ち上げて、IDだパスワードだと面倒な面があります。
石橋 テレビは電源を入れたらすぐ絵が出る。すぐに使える状態にできるわけです。もちろんネットにつながって、テレビ放送以外にもさまざまなコンテンツが視聴できるようになりました。その膨大な選択肢の中から、ユーザーが本当に求めるコンテンツにどう到達させるかもポイントになります。同じような動画ばかり見せられるのではかなわない。
自分が気付かなくても、これまでに見たことがないような、有益なコンテンツをレコメンドできるような機能は有効だと思います。
●どうやって差別化するか ローカライズを突き詰める
奥田 ほかに、どんなところがスマホとテレビで異なるんでしょう。
石橋 スマホやPCは世界共通なんです。言語を除けばローカル色は薄い。一時、テレビも同じようになるのではと言われました。しかし逆です。放送そのものの仕様にもバリエーションがありますし、国によって色味の好みも違います。中国は鮮やかな赤、インドはビビッドな緑が好まれるとか……。ローカルな仕様が占める部分は大きいんです。他社はGoogle TVやAmazon Fire TVを入れてグローバル化を進めていますが、われわれは逆です。ローカライズを頑張ります。
奥田 GoogleやAmazonに頼るのはいいんでしょうが、それではテレビの進化を彼らにゆだねることになってしまいますね。

石橋 AIを取り入れた「レグザ インテリジェンス」を25年に立ち上げました。AIエンジンの大規模言語モデル(LLM)を除き、全部自前でやっています。GoogleにもAmazonにも依存せず、これができるのは、おそらくわれわれだけでしょう。自前でやるという大変さはありますが、独自性が出せます。LLMは、必要に応じて最適なものに変えていけばいい。PCやスマホで日本企業が放棄してしまったことをテレビでは大事にしたいんです。横並びのものづくりではなく、自分たちで差別化していく気概でやっていきたいですね。
奥田 かつては世界を席巻した日本のデジタル家電ですが、今ではことごとく中国や韓国、台湾の企業にお株を奪われてしまいました。
石橋 東芝でテレビの開発をしていた頃の話ですが、例えば新たにLSIをつくるとなると、日本では2年かかっていました。ところが台湾でやれば半年。スピードが全然違います。マーケットを予測するのに、半年後と2年後で比べれば圧倒的に前者のほうが精度が高いですよね。

奥田 なぜそんなに速くできるんですか。
石橋 日本ではLSI自体を破綻のないようにつくります。台湾では破綻は気にしない。ハードはざっくりつくって、ソフトウェアで抑え込むんです。とはいえ当初、台湾企業のソフト技術は未熟でした。品質が全く安定しなかった。自分たちの製品の品質を上げるためには彼らのソフトの品質を上げるしかなかった。そこで、台湾に赴いてソフトの開発プロセスを伝授しました。ソフトの出来が最終製品にも影響するので、特に対価は要求しませんでした。最初はわれわれを師と仰いでいても、ノウハウを学んでしまえば必要なくなります。そして結局、追い越されてしまう。テレビに限らず、いろいろな分野で同じようなことが起きたように思います。
奥田 お人よしすぎますね。
石橋 日本人はお人よしなんでしょうね。しかし、このまま黙っているわけにはいきません。われわれメーカーが生き残るためには、どんな分野と戦略で差別化を図っていくか、これが最大のポイントなんだと思います。(つづく)
●医学博士 日野原重明さんの言葉「未知とは可能性であり希望である」
 入社後しばらくして上司に教わった。企業人に異動はつきもの。経験がないことに挑戦するとき、誰しも不安になる。しかし、それは同時に可能性でもあり希望でもある。不安をポジティブなエネルギーに変える言葉だ。石橋さんは今でも、初めて部下になった社員、キャリアアップした部下、入社式の訓示や節目のキックオフの際などで、この言葉をよく使っているという。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第379回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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