元ヤクザでクリスチャン、今建設現場の「墨出し職人」さかはらじんが描く懲役合計21年2カ月の《生き直し》人生録。カタギに戻り10年あまり、罪の代償としての罰(懲役刑)を受けてもなお、世間の差別・辛酸ももちろん舐め、信仰で変われた思いを書籍で著わしました。

「読者のみなさんで、自分の居場所を失った時、人生をやり直したい時、死にたくなった時、ぜひ、元ヤクザのボクと愛しき懲役囚たちとのバカ過ぎて真剣な犯罪と塀の中のエピソードで笑ってください!」と語るじんさん。私たちが生きる人生の過去は清算、ゼロにはならないけれども未来だけは「生き直し」できます! 本記事は、最新刊著作『塀の中はワンダーランド』より構成。





◼️地下鉄サリン事件の翌日カード詐欺容疑で逮捕



 平成6(1994)年10月、ボクは今はなき東大和市の「デニーズ」で、ある事件のケジメとして自分の右手の小指を出刃包丁で切り落とした。





 その右手の小指に巻いた包帯の白さが目にも痛々しいボクは、痛みに顔を引きつらせながら、自宅のリビングでテレビのニュースを見ていた。そこには、当時世間を騒がせていた奇妙な教団が映っていた。この奇妙な教団は、それから半年後の平成7(1995)年3月20日、未曾有(みぞう)の「地下鉄サリン事件」を引き起こす。



 そしてその翌日、この地下鉄サリン事件で世間が大騒ぎしている最中に、ボクはチンケな盗難カード詐欺の容疑で、田無警察署にパクられてしまったのである。



 盗難カードは、そもそも沼田という男が持ってきた物だった。この沼田との馴れ染めはこうだ。知人のヤクザ者のところで、日頃の行儀の悪さから出刃包丁で頭を割られ、血溜まりの中、沼田が正座させられていた。偶然そこへ訪ねていったボクが仲裁に入る形で、この沼田を預かったのだった。



 年齢はボクと同じ39歳(当時)。

国士舘大学を出ていて、身体はデカく、身長はボクと同じ180センチほどあった。見た目は格闘技のK-1で活躍していた武蔵を彷彿(ほうふつ)とさせ、ヤクザ者ではないが、かといって、まっとうなカタギでもなく、ヤクザ社会と堅気社会の狭間(はざま)で器用に生きていた。その姿は、潮が引いたときに海岸に現れる、泥の底で生きている生物を彷彿とさせていた。



 あるとき、沼田は新宿の窃盗団から流れてくるいつもの盗難クレジットカードの一部を、ボクが持っているカードと差し替(か)えるために、待ち合わせ場所の久米川ボウルの駐車場へやってきた。今にもヘタりそうなセダンをガタガタいわせながら乗りつけてくると、沼田はキョロキョロと周囲を警戒しながら、ボクのレクサスの後部座席へ乗り込んできた。



 「暑いですね。きょ、きょ、今日も……」



 沼田は臭いのする汗をかきながら挨拶をしてきたが、ボクはただ振り向いただけで何も言わなかった。彼はそんなボクに構わず、手にしていたハンカチでしきりに汗を拭きながら、胸のポケットから盗難カードを取り出すと座席の上に広げ始めた。



 ボクは運転席から身を捩(よじ)ってその様子を見ていた。しばらくカードをいじっていた沼田は、色とりどりのカードの中から一枚を掴(つか)むと、奥歯を噛んで下顎を前に突き出すようにして言った。



 「あ、あ、アニキ、こ、こ、このカード、つ、つ、使ってください。そ、そ、そろそろ、ま、ま、前のは、や、や、やばいスよ」



 緊張すると吃(ども)る癖のある沼田は、そう言ってボクにカードを寄こした。



 いつもなら受け取ったカードを無造作にポケットにしまうボクは、沼田の怪しげな汗に一瞥(いちべつ)をくれると、手にしているカードをひょいと引っくり返してみた。すると、名義人のところに幼児が悪戯書きでもしたかのような英字らしいサインがしてあった。英字に弱いボクはそれでも読んでみることにした。



 「ポ? ポ、ポール・フィー?……」読めなかった。



 「おい沼田、これ、何て書いてあるんだ」仕方なく訊(き)いて、そのカードを沼田の顔ツラに突き出した。



 カードを一瞥した沼田はすぐに、「ポール・フィッツジェラルド(Paul Fitzgerald)」と淀みなく読み、歯肉を剥き出してニッと笑った。



 日本語は吃るくせに、なぜか英語は吃らない。ボクは言った。「さすが、大学出のインテリアは、知識があるよな」と。



 



◼️ポール・フィッツジェラルドって誰?

1994年10月、ボクはケジメとして右手の小指を切り落とした...の画像はこちら >>



 英字を難なく読んだ沼田の頭の良さに畏(おそ)れのような感情を抱き、劣等感を持った。するとデリカシーのない沼田は「あ、あ、兄キ~ィ、イ、イ、インテリアは、し、し、室内のことですよ。そ、そ、そういうときはイ、イ、インテリと、い、い、言うんですよ」と、ボクの心の内などまるで斟酌(しんしゃく)せず、自分のインテリジェンスを自慢するかのように注釈を入れてきた。



 「人もし汝(なんじ)の右の頬(ほお)を打たば左をも向けよ」という聖書の一節を思い出したボクは、その通りに、劣等感で左の頬をひっぱたかれたかのような思いになっていた。



 それにしても、何でボクに外国人名義のカードなんか渡したのだろう。ボクは訝(いぶか)しい顔を沼田に向けた。



 「おい沼田、やっぱしオメェ、頭がいいなぁ。さすが大学出だけはあるな。ところでオメェ、このオレに外人(ガイジン)になれってぇのか。『ジス・イズ・ア・ペーン』しか知らねぇこのオレに……」



 奥歯をカタカタ鳴らし、顔から汗を噴き出している沼田は、デカい身体を窮屈(きゅうくつ)そうに動かしながら必死に抗弁した。



 「あ、あ、アニキ。だ、だ、大丈夫ですよ。あ、あ、アニキ、か、か、顔、ま、ま、真っ黒だし……、が、が、外人に、み、み、見えますよ」



 ときどき日焼けサロンで肌を焼いているボクの真っ黒な顔を見て、いったいどこの国の人間に見えるというのだろうか。どう見たって、フィリピン人かベトナム人、もしくはタイ人ぐらいにしか見えない。目を回した酔っ払いだったら、アフリカ人にも見えるかもしれないが。

なのに、おそらくはアメリカ人であろうポール某(なにがし)に見えるなどと、訳のわからないことを言い出したのである。



 ボクはそんな沼田に、「テメェ、またおかしなシャブ(覚せい剤)、やってんじゃねぇだろうな。訳のわからねぇこと言い出しゃがって……」と、わざと怒るような顔をつくって訊いてみた。



 すると沼田は、「あ、あ、アニキ、う、う、疑ってるんですか?」と、白(しら)を切ってくる。



 ボクはそんな沼田に、「テメぇのその汗とカタカタやっている顎(あご)は何だぁ。まるで水面でパクパクやってる酸欠状態の金魚じゃねぇか」と言ってやった。



 沼田は目を不安そうにキョロキョロと動かし、やばいと思ったのか素直に「す、す、すいません。や、や、やっちゃいました」と白状し、



 「そ、そ、それより、きゅ、きゅ、給油に使うだけだったら、だ、だ、大丈夫ですよ。きょ、きょ、今日中に、に、に、日本人、め、め、名義の、カ、カ、カード、に、に、20枚、ど、ど、どうしても持っていかないと、ま、ま、まずいんです」



 と巧みに話題の矛先を変えてきた。沼田は流れてきたカードの卸(おろし)元をやっていたのだ。客から注文があったものの、1枚どうしても足りないことから、ボクの持っている日本人名義のカードと差し替えたかったのである。



 「わかった。

このカードで問題ないなら、オレは今からポールちゃんだ。ところで沼田、一度このオレをこの名前で呼んでみろ」



 「えっ、あ、あ、アニキをですか?」「そうだ」「か、か、勘かん弁べんしてくださいよ。あ、あ、兄貴ぃ~」「駄目だ、言ってみろ」「わ、わ、わかりました。そ、そ、それじゃあ、い、い、いきますよ」。



 ボクはいったん言い出すとしつこい。それを知っている沼田が汗びっしょりの顔をボクに向けた。「ポッ、ポッ、ポッ……」



 言い始めたが、どうした訳か、今回は吃っている。
ポッ、ポッ、ポッじゃあ、鳩ポッポだ。だが、口を尖(とが)らせた沼田の顔は、鳩というよりもタコの吸出しのようだった。



 これじゃあ日が暮れちまうと思ったボクは、「わかった。わかったからもういい」そう言って、旧(ふる)いカードを沼田に渡した。何事も大雑把でアバウトなボクは、そのまま外人名義の盗難クレジットカードをポケットへ投げ込んだ。

このクレジットカードを田無市(現・西東京市)のガソリンスタンドで使用したのが、運のツキとなってしまったのだ。



 一度ツラがつくと、落ち目の三度笠になるのは早い。



 ボクはその後の14年間、監獄と世間を忙しく行ったり来たりする破目になってしまう。
パクられた事件の顛末(てんまつ)は「何でこうなるの?」と嘲笑われても当然の、ドジで間抜けなシチュエーションであった。
(『ヤクザとキリスト~塀の中はワンダーランド~つづく)

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