学習塾にとってはビジネスチャンスになるのかもしれない。
新型コロナウイルス感染症による全国一斉休校要請によって、全国の幼稚園と小中学校、高校などで休校が続いている。
さらに、密集を避けるために学年ごとに曜日や時間を分けて子どもたちを登校させる「分散登校」について文科省がまとめたところでは【週1回程度の実施が27%、週2回以上が21%】という状況となっており、その対応には差があるということである。
5月14日、政府は愛知や福岡を含む39県を対象に緊急事態宣言を解除した。ただし、東京や大阪など8都道府県については、新規感染者の確認が続いていることから解除の対象から外している。これによって、学校再開の動きには、さらに格差が生まれることが避けられなくなった。
休校中の「学びの保障」を掲げている文科省は、オンラインでの授業を盛んに推奨している。しかし、子どもたちも教員も不慣れなオンライン授業で、たやすく学びの保障ができるわけではない。
子どもたちと教員がやり取りできる「同時双方向型」のオンライン授業について文科省は、公立学校を休校にしている自治体を対象に調査している。その結果を4月21日に発表しているが、「取り組む」と回答したのは、全体の5%でしかない60自治体にとどまった。
これは「できている」との回答ではなく、あくまで「取り組む」という意思表示であり、実現できているかどうかとなると、さらに少数になるだろう。
文科省の「学びの保障」は掛け声だけになってしまっている感が強いのだが、そうしたなかで教育課程の遅れを取り戻す策についての方針を固めたことが、5月13日くらいの報道から明らかになってきている。
その策とは、今年度中に履修できなかった教育課程を、次の学年に持ち越し、数年かけて取り戻すという内容らしい。たとえば小学2年生で積み残した分を、3年生時の1年間で一緒にやろうということだ。そして、もし、それでも完了できなかった場合は、4年生時にまわすことで、積み残しを少しづつ減らしていき、2~3年間ですべての教育課程を終えさせるつもりのようだ。ただし、卒業を控える小学6年生と中学3年生については先送りというわけにはいかない。そこで文科省は、彼らを分散登校によって優先的に登校させて、年度中に教育課程を終了させようとしているのだろう。
この文科省の方針に、「なるほど」と膝を叩く教員がどれくらいいるだろうか。大半の教員は、これを渋い顔で聞いたにちがいない。
緊急事態宣言が解除されても、それで学校が完全に再開されるわけではない。3密(密閉、密集、密接)を避けるために、文科省はクラスの人数を減らしての授業も指示している。そのために文科省は、図書館や公民館など学校外の施設を教室として使用する案も示すようだ。そうなると、当然ながら教員の数が足りないことになる。小6や中3を優先するために教員を配置すれば、その他の学年では手薄となり、ますます積み残しが増えていくことになる。
すでに1日の授業時数を増やし、夏休みや冬休みを短縮し、土曜日も授業を行う方針を固めつつある自治体も増えている。休校で遅れた分の授業時数を挽回するためだ。それらと、3密を避ける対策を並行して実施しなければならないとなると、充分な人材確保は難しいと思われる。■「学びの質」は家庭と学習塾で補うしかないのか
4月10日、文科省は休校中の学習指導について、家庭学習の成果を評価に反映することを求める通知を全国の自治体に出している。これは宿題として課したものも授業と同じように評価に反映するというもので「宿題=授業の代わり」ということになる。授業時数が足りなくなる分を家庭学習で補う策である。つまり、宿題で授業をやったことにされてしまうのだ。
こうした策で「学びの質」は確保できるのだろうか。すでに保護者は、それを心配しているはずだ。そして、子どもたちの学力低下が現実となった時「その責任は私たちにある」と文科省が矢面に立つだろうか。
残念ながら、ありえない。責任を追求されるのは学校であり、教員である。
しかし、教員の数は足りない。さらに、教員は夏休みや冬休みも返上となり、土曜日の授業も強制される。そうしたスケジュールによって子どもたちのストレスは増え、それによる心の問題が起きることも予想できる。
そうしたなかでも教員は授業を継続しなければならず、しかも結果を求められるのだ。
夏休みや冬休みを短縮して授業を行っても、文科省がいう「学びの保障」ができるわけではない。それは文科省も承知していることで、5月13日付けの「高校入試における配慮事項に関する通知」では以下のように書かれている。
「地域における中学校等の臨時休業の実施等の状況を踏まえ、令和3年度高等学校入学選抜等における出題範囲や内容、出題方法について、(中略)必要に応じた適切な工夫を講じていただきたい」
そして、出題について「地域における中学校等の学習状況を踏まえ、適切な範囲や内容となるよう設定する」などの工夫例も挙げている。
休校などによって消化できていない教育課程の範囲からは出題するな、ということだが、これが、どの程度配慮されるのか想像できない。学習の遅れは地域や学校によっても格差が生じている状況なのだから、「適切な範囲と内容」を判断するのも難しいだろう。なにより「入試」は選抜なのだから、学習の遅れを配慮して誰もが答えられる問題を出してしまっては問題だろう。競争は激化するしかない。
このような事態に学校や教員が対応していくのは並大抵のことではない。
しかし、文科省や教育委員会の指示を待つだけの「物言わぬ教員」にも責任がないとは言い切れないはずである。
入試に関しての保護者の心配は、すでに顕在化している。分散登校に分散授業と場当たりでしかない学校に、子どもたちや保護者の期待は薄らいでいるかもしれない。そしてそれは、学習塾への期待へとつながっていく可能性がある。
それによって「子どもたちや保護者」と「学校や教員」の距離はますます広がっていくことになるかもしれない。