北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の思い出旅 前編

北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の思い出旅 前編
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 2006年4月に廃止された「ふるさと銀河線」。北海道で最初に設立された第3セクター鉄道として、1989(平成元)年6月にJR池北(ちほく)線を引き継いで発足した。正式名は、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線。池北とは、池田と北見を結ぶという意味である。もともとは、根室本線の池田から、足寄、陸別を経由して北見に至り、さらに網走まで延びていた。路線名は網走本線。堂々たる幹線であった。
しかし、旭川と北見を結ぶ石北線が網走への短絡線として脚光を浴びるにつれ網走本線の地位は低下、池田から網走まで直通する列車も消え、池田と北見間のローカル輸送に限られていった。路線名を容易に変更しない当時の国鉄としては珍しく、1961年4月に線名の統廃合が行われ、旭川~北見~網走が石北本線と本線に昇格、池田~北見は池北線に改称され、網走本線は消滅した。以来、池北線は距離は長いけれど、過疎地を走るローカル線として埋もれ、かろうじて生きながらえていたのである。
 国鉄がJRとなり、赤字ローカル線が大幅に整理されるにいたって、池北線も一度は廃止路線の候補に挙がった。にもかかわらず、北海道のほかの路線とは異なり、第3セクター鉄道として生き残る道を選んだ。しかし、過疎地なので経営は苦しくなる一方で、最後は主要な出資者である北海道庁から三下り半を突き付けられるようにして廃線となってしまった。





 廃線となる1年半ほど前の2004年夏、私は池田駅から「ふるさと銀河線」の列車に乗り込んだ。前夜は帯広駅前に泊まり、特急で池田に向かい、乗り換えたのである。
 元々はJR池北線だったので、JR池田駅の片隅に間借りするように「ふるさと銀河線」乗り場はあった。銀河線の愛称に因み、星がちりばめられた洒落た案内板だった。やや小ぶりのディーゼルカー1両のみの列車は、数人の乗客とともに定時に発車した。
 JR根室本線に並走し、帯広方面へ戻るように進む。やがて、根室本線が左に大きくカーブして分かれていくのに反し、銀河線の列車はほぼ直進だ。支線の列車がカーブして本線に別れを告げるのが定石なのに、これは例外的で、乗っていて気分が良い。しかし、線路状態はローカル支線らしく良いとは言えない。ガタゴト揺れながら走り、スピードもそれほど出ないのが悔しい。
 なだらかに波打つ丘陵地帯に挟まれた平地の真ん中を列車はのんびりと進む。大陸的で田んぼのない風景は北ドイツで体験したような車窓だ。木造の短いホームしかない様舞駅はあっけなく通過。利用者が極端に少ない駅のようで、普通列車の一部は停まらないようだ。少しでも先を急ごうという努力しているにもかかわらず、脇の道路を並走しているクルマとは抜きつ抜かれつのデッドヒートだ。列車が簡単に抜きされないところにも、この鉄道の苦戦の一因があると思われる。


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