アンジャッシュ・渡部建の「多目的トイレ不倫」をスクープした『週刊文春』が完売したという。民放の各ワイドショーも盛り上がりを見せ、らしさを取り戻した印象だ。
これはメディアも世間も、この手のネタに飢えていたということだろう。コロナ問題にもいいかげん飽きてきたところに、降って湧いた格好のネタだったわけだ。
ただ、ベッキー・川谷絵音の「ゲス不倫」に比べると、インパクト不足は否めない。アンジャッシュの笑いと同じくらいのそこそこレベルの面白さだ。何より驚きというか、意外性がないのである。
たとえば、渡部の売りは「芸能界のグルメ王」だが、美食家というもの自体、不倫との親和性は高い。そりゃ、食に貪欲で好奇心旺盛なら、性にだってそうだったりするだろう。
高級料亭で打ち合わせをしないといい小説が書けないと言った食通の作家・立原正秋も不倫モノを得意としていた。親交のあった高井有一が書いた評伝によれば、妻以外の女性との特別な関係も持っていたらしい。ただ、自分が大病を患っている可能性が出てきたとき、相手にも気遣いをしながら関係の清算を持ちかけるなど、それなりの節度は心得ていた。
その点、渡部は相手も複数だし、そのつきあい方もなんだか雑だ。六本木ヒルズの多目的トイレに呼び出し、3~5分で事を済ませて見返りに1万円、という話など、さすがにいかがなものか。
それよりはむしろ、妻・佐々木希のほうに興味を感じたりもする。『文春』報道を紹介した『アッコにおまかせ!』(TBS系)によれば、愛人のひとりと電話で言葉を交わしており、
「佐々木さんから裁判をチラつかせることも言われたといい、彼女は恐怖を覚えたそうです」
とのこと。佐々木はデビュー前、ヤンキーだったという噂もあり、どんなやりとりだったか、詳細を知りたくなる。
また、彼女は渡部と結婚する6年前、嵐・二宮和也との熱愛を報じられた。ニノは昨年、佐々木と同じ秋田美人の元フリーアナと結婚。さらに、興味深いのは「トイレ」をめぐるつながり(?)だ。
『文春』は2010年に「『嵐』を食った女の『告白』」という記事を掲載。自殺した元アイドルでAV女優のAYAが、櫻井翔を除く嵐メンバー4人と恋愛関係を持っていたことを報じた。そのうち、ニノについては「でも、彼はカラダばっかり。急に電話で品川に呼び出されて、公衆トイレで……ってこともあった」という回想が記されている。
六本木ヒルズの多目的トイレと、品川の公衆トイレ。
■「不倫は文化」ではなく、「不倫報道は文化」
とまあ、こうした楽しみ方も見つけられるのだから、不倫はすごい。やはり、ひとつの「文化」なのだろう。
そういえば「不倫は文化」発言で知られる石田純一も、渡部についてこんなコメントをした。
「彼はいい人だから、やっぱり僕は頑張ってほしい。いきさつはわからないけど」(『斉藤一美 ニュースワイドSAKIDORI!』文化放送)
いきさつがわからなくても応援できるという、無防備な積極性こそ、不倫への適性、すなわち、才能だ。
同じく、その才能に恵まれすぎているのが斉藤由貴である。彼女は2月に出演した『サンドの時代屋はじめました』(NHK総合)のなかで、アグネス・ラムのブームが紹介された際、こんな感想を語った。
「美しい女子の体っていうのは元気を与えるんだなって(笑)シンプルに思いますよね」
これは生物として、健全な感覚だ。そして、社会的倫理には反するとされる不倫もまた、性の本能にとことん従った行動のひとつだったりする。生物的本能に忠実に生きれば、社会的に失格扱いされるとは、人間、特に現代人はなんと窮屈なことだろう。
そのストレスを誰もが抱えているからこそ、我慢できない人は浮いてしまい、引きずり降ろされることに。
もちろん、そこには勝ち組を負け組にできるという快感もある。たとえば、乙武洋匡の場合、障害を持ちながらそれをむしろ武器にしつつ、国政選挙に通りそうな高みにまで達しようとしていた。そのとき『週刊新潮』が不倫を報じたのだ。あれは弱者だと思っていた人が意外な強者でもあったことに、世間が気づかされた出来事でもあった。
そんなストレス発散や快感を求める人たちのニーズにも対応するかたちで、不倫報道はエスカレート。もともと、近松門左衛門の時代から、不倫はメディアと世間が一緒になって盛り上げてきたが、ここ数年の勢いには目を見張らされる。いまや「不倫報道」がひとつの文化になりつつある印象だ。
それこそ、渡部と佐々木、相方の児嶋一哉が示した三者三様の謝罪を比較研究してみたり、と、変にアカデミックなのである。
そして、不倫をした有名人は活動自粛を強いられるのが当たり前になってきた。これは芸能、あるいは笑いといった伝統文化を、不倫報道という新たな文化が凌駕してしまったということかもしれない。
ただ、その新文化は、有名人の活動を自粛させてまで味わう価値があるのだろうか。アンジャッシュ、あるいは渡部もそれなりに面白いのだし、不倫報道を楽しみつつ、同時に本業でも頑張れ、というわけにはいかないのだろうか。
もちろん、主婦層を中心に、許せないという人も一定数いるだろう。が、あんたが不倫されたわけでもあるまいし、とか、人の恋路を邪魔するやつはなんとやら、とか、そんなことも言いたくなるのだ。
とはいえ、不倫報道を楽しむ人がこれほど多くなってくると、そこに水を差すほうがかえって野暮だということにもなりかねない。どうやら、不倫報道は現代日本を象徴する「文化」として定着してきたようである。