人は絶望からどう立ち直ることができるのか。
 人は悪の道からどのように社会と折り合いをつけることができるのか。


 元ヤクザでクリスチャン、今建設現場の「墨出し職人」さかはらじんが描く懲役合計21年2カ月の《生き直し》人生録。カタギに戻り10年あまり、罪の代償としての罰を受けてもなお、世間の差別・辛酸ももちろん舐め、信仰で回心した思いを最新刊著作『塀の中はワンダーランド』で著しました。実刑2年2カ月!
 じんさん、今度は神戸刑務所に3年間お世話になります。西の塀の中はお笑い劇場なみの面白さ。どん底でもどこか明るいそんな生活に気持ちが明るくなってきました。希望は、そんな「小さな面白さ」から育っていくような感じかもしれません。



■東京弁は女の話す言葉のようで、どうも好かん

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 ある日、突然呼ばれて担当台に行くと、ニヤついた担当部長から、「サカハラ、どうや、こっちの言葉、キツイやろ。怖ないか」と、担当台の上から訊かれた。



 ボクは関西弁の響きが好きで、ナニワの漫才でも見ているような感覚でいたから、「いや、オヤジ、こういう言い方は失礼かもしれないですけど、自分の関西弁に対しての認識は基本的に『面白い』というのが先入観にあるので、関西のお笑い劇場でも見ているような感覚です。だから聞いていて、逆に面白いですよ」と、ズバリ遠慮なく言った。



 すると担当部長は、片方の眉毛を吊り上げ、大きな目をギョロリと剥いてボクを見ると、「ホンマか。おもろいか」と、嬉しそうな表情を見せた。



 話を聞いてみると、この担当部長、東京の言葉は綺麗過ぎるらしく、「ワシ、東京弁嫌いや。女の話す言葉のようで、どうも好かん。好きになれんのや」と本音を明かしてくれ、そのあと、気遣いを見せて、ボクに、「気にせんでええで」と、さり気なく言ってくれた。



 新入訓練工場で、朝の仕事始めに唱和する「刑務所五訓(ごくん)」は、まさしく『嗚呼!!花の応援団』そのままの世界だった。



 《刑務所五訓》



  一 「はい」という素直な心
  二 「すみません」という反省の心
  三 「おかげさま」という謙虚な心
  四 「させていただきます」という奉仕の心
  五 「ありがとう」という感謝の心



 「唱和、始めぇ!」
 担当部長が工場の中央に掲げてある「五訓」に向かって指を差しながら、例のおかしな「気をつけ!」の姿勢をして叫ぶと、30名ほどの訓練生全員が、担当たちと同じ格好をして、いっせいに唱和する。



 このとき、なぜ身体を反り返らせ、ガニ股にしなければならないのか、ボクにはわからない。しかし、これこそが関西流の「気をつけ!」の基本姿勢であり、神戸刑務所の新入訓練の教えなのだった。関東と関西の異なる文化の違いや人の気質の違いが、このような形になって顕著に現れていた。



 あるとき、若いやんちゃな感じの訓練生が自分の役席でおとなしく作業をしていると、その席に坊主頭で眼鏡をかけた背の高い副担当がやって来て、その懲役の作業席の上に突然、自分の履いている編み上げのブーツの片方の足をドンと乗せ、「ここはワシの靴を置く席や。いつもきっちり、ワシが靴を直せるようにスペースを明けとかんかい。おう、ワレ、気いつけんかい」野太い声で言った。



 それから履いている編み上げのブーツの紐を解いて脱ぐと、その懲役の鼻ヅラでブーツを逆さにして中のゴミを払い、また何でもない顔をしてブーツを履き直して紐を結び始めた。

そんな副担当の度肝を抜くような挙動に、訓練生も多少たじろいでいたが、すぐに関西気質の負けん気をかせ、
 「ここ、ワシの席ですねん。オヤジ、汚いですわ。何しはりまんねん」と、笑い顔で言い返す。



 そんな訓練生に、担当はとぼけた顔をしながら、「おお、一丁前に、ワシに逆らいよるな」と言って、デカい身体をグイグイり寄せ、その訓練生を無理やりに役席の椅子からズリ落とす。



 ボクは驚きながらも、こういうことのできる看守と懲役の、軽妙な寸劇の滑稽さに温かいものを感じ、こんなに面白い刑務所に連れて来てくれた神様に感謝していた。



 やがて訓練期間が過ぎると、ボクは新入訓練工場のオモロイ担当部長から、「サカハラ、元気でやれや」と言葉をかけてもらい、すでに知っていた配役先の印刷工場へ、府中刑務所からきた坂上と一緒に配役になった。





(『ヤクザとキリスト~塀の中はワンダーランド~つづく)

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