危機が発生すると、必ずデマゴーグが出現する。今回、新型コロナウイルスのパンデミックがあぶり出したのは、無責任な極論、似非科学、陰謀論を声高に叫び出す連中の正体だった。

彼らの発言は二転三転してきたが、社会に与えた害は大きい。実際、人の命がかかわっているのだ。追及すべきは、わが国の知的土壌の脆弱性である。専門家の中でも意見が分かれる中、われわれはどのように思考すればいいのだろうか。中野剛志×佐藤健志×適菜収が緊急鼎談を行い、記事を配信したのは2020年8月7日。今回、2021年8月10日に発売される中野剛志×適菜収著『思想の免疫力』(KKベストセラーズ)を記念して再配信。(第4回)





■行動制限緩和論は「現実からの逃避」だ

佐藤:行動制限緩和論の台頭は、コロナに対する現実否認を社会規模で行おうとする試みである、そうまとめることができます。
「現実を否認して、都合のいい夢に酔いたい」というのが2010年代以後の日本のテンプレ。でなければ「現実のあり方は、閣議決定や官房長官の答弁で自由に規定できる」と言わんばかりの振る舞いをする政権が、長期にわたって支持されるなどありえない。8月28日、安倍総理が退陣を表明したあと、菅官房長官が次の自民党総裁候補(=総理候補)として急浮上したのも、「安倍退陣という現実を否認する試み」と考えればよく分かります。
 そしてこれは、国家否定のもとで国家の衰退に対処しようとしたことの論理的帰結です。わが国の「右傾化」「保守化」と呼ばれるものの正体は、現実否認による逃避の深刻化にすぎなかった。



適菜:おっしゃる通りです。



佐藤:専門家会議の功績は、そのような状況にもかかわらず、現実に直面するよう仕向けたこと。ゆえに会議の存在が注目されている間、コロナ感染は収束する傾向を見せたが、だからこそバッシングを受けた。感染が収束しなければ経済が本当に回ることもない以上、6月以後の政府は「経済優先」に舵を切ったのではなく、「現実否認」ないし「現実逃避」に舵を切ったと言うべきです。
 2020年東京オリンピックは、2010年代に達成されるはずだった「日本再生」の総仕上げと目されていました。それにならえば、行動制限(=自粛)反対の高まりは、2010年代を通じて進行してきた現実否認の総仕上げです。適菜さんの『安倍でもわかる』シリーズ(KKベストセラーズ刊)や、私の『平和主義は貧困への道』(KKベストセラーズ刊)とも関連する内容ですが、まさに「病んでいるのは、ああいうものを増長させたわれわれの社会」なのです。



適菜:それはよくわかります。自称保守も左翼も、結局は、国家の否定です。



佐藤:国家を否定しながら、国家的危機に立ち向かおうとしているのです。うまく行くことを期待するほうがおかしい。



適菜:それで分裂するか矛盾を抱え込むかどちらかしかなくなる。



佐藤:事態がそこまで来ているときに、なお日本を再生させる道があるとしたら、一体何だろうかという話ですね。
 戦後日本はナショナリズムを肯定しなくても、たまたま国として存立を保つことができた。アメリカに従属し、現地妻となって添い遂げていれば、どうにかなったのです。
 弊害がなかったとは言いませんよ。新自由主義も台頭したし、グローバル化も進んだ。しかし、国が滅びることはありませんでした。
 ところがここに来て、政府がナショナリズムに基づいて積極的に動かないことには対処しえない事態が生じた。あとは二者択一なんですよ。ナショナリズムに目覚めたらどうにかなる。目覚めなかったらどうにもならない。
 その意味では、今になって分裂したり、矛盾を抱え込んだりしたわけではありません。過去75年間、ずっとそうだったんです。



中野:確かにこの規模の感染症は経験したことがない。それこそ国家レベルで全国民を行動変容させなきゃいけないっていう意味では、国家について考えてこなかった者には無理でしょうね。



適菜:戦争下と同じですよね。それなのに「国が行動を制限するのはけしからん」みたいなことを言い出す連中が出てくる。



中野:そうです。欧米諸国でもやっていることですが、今回の新型コロナは全国民を行動変容すべく総動員しなければならない。医療物資も統制しなければならない。まさに適菜さんがおっしゃるように戦時下みたいなものです。国家が前面に出て国民を動員しなければ、国民の命が助からないという状況です。それで戦争や国家というものと目を逸らし続けてきた戦後日本に、いよいよやばいものが突きつけられたなと。



■パンデミックなら生活が不自由になるのは当り前

中野:知識人の中には、緊急事態宣言や外出自粛など全体主義的でおかしいとか、日常生活が犠牲になったなどと批判する人が数多くいます。極めつけは、藤井氏が「僕は、自粛させられていることで、山ほど嫌な思いをしています」と宣言した文章( https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200706/ )ですね。


 そりゃ、不自由ですよ。日常も破壊された。しかし、パンデミックって、戦時中みたいな非常時だと考えれば、不自由なのは仕方ない。あとは、まさに戦時中のように国債を大量発行して、財政政策で国民の経済的苦痛を和らげるしかないのです。空襲が来るから防空壕に入れって言われて、防空壕の中では社交ができないとか、日常生活に戻りたいとか、プロレスが見たいとか、釣りがしたいとか騒いでどうするんだ。



佐藤:防空壕の中で踊ったっていいじゃないか。フレンチ・ポップスの大物セルジュ・ゲンスブールが、「ロック・アラウンド・ザ・バンカー」という曲で歌っています。1945年、ベルリン陥落を目前にしたヒトラーが、地下司令部(バンカー)で踊りまくるというもの。いわく、「素敵なダンスパーティだ。時の流れに、崩壊の時。背徳の世界が傷ついてるぜ」(ジル・ヴェルラン『ゲンスブールまたは出口なしの愛』、永瀧達治・鳥取絹子訳、マガジンハウス、1993年)。



中野:過疎の村であろうと、人命を守るために、防災のための財政政策をやるべしと孤軍奮闘で戦ってきたのが藤井聡という人だと、私は思っていたのです。

ところが、そんな彼が、新型コロナについては、突然、「安倍政権は、財政政策をやるとは思えない。いくら自粛+財政政策を叫んでも成功する見込みはほとんどない。それより、コロナのリスクに対処しながら、経済を回せ」と言い出した(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200706/)。これには驚いたし、何より残念だった。つまり、専門家会議が求める自粛を批判するために、持論の財政政策を放り出してしまったのです。財務省は喜んだと思うけれど。ならば、防災についても、「いくら防災+財政政策を叫んでも成功する見込みはない。それより、災害のリスクに対処しながら、経済を回せ」と言えばいいじゃないか。



佐藤:爽快とはそういうものです。



適菜:熊本の川の氾濫とダムの話と、一連の新型コロナについて語ってることも矛盾していた。



佐藤:後者は魂の叫びですから。「矛盾だ」「矛盾だ」と鬼の首を取ったようにあげつらうのも考えもので、理屈にならない魂の叫びは誰の中にもある。

それ自体は、べつにどうこう言うことではない。
 まずいのは論理的な主張と、魂の叫びの区別がつかなくなること。すると何が論理で、何が感情なのか区別できなくなる。



適菜:私は、振り上げた拳を下ろせなくなってしまって、都合のいいデータを集めて自己正当化してるだけに見えたんですけど。それだけでは説明できないですね。



中野:藤井氏があそこまで執拗に西浦先生に粘着し攻撃する理由は、何なのでしょうね。ちょっと異様なものを感じる。



佐藤:まっとうな言動をしてさえいれば、動機はどうでもよろしい。人間の心情など、どのみち本当のところは分かりません。
 論理と感情の区別がつかないのはダメ、それだけのことにすぎないんですよ。すると自分の感情を正当化するために、論理がひたすら動員される。ところが感情は理屈ではないので、理屈ではないものを理屈で正当化するという不可能への挑戦が始まってしまう。結果的に、ある事柄についてはまともな発言をしているのに、別の事柄にはついては矛盾だらけになるのです。



■集団免疫戦略とメンタル・サイトカインストーム

適菜:藤井氏はやさしくて純粋なところがありますよね。真善美とかプラトンの洞窟の比喩とか言いたがる。でも、真善美とされてきたもののいかがわしさを感知するのが本来の保守でしょう。



中野:そのはずなんですがね。むやみに真善美を振り回す者が、真善美から程遠い主張や行動を平気でするなんてことは、よくありますからね。



佐藤:真善美というのは非常にデリケートなものでして、派手に振り回したりすると成分変化を起こし、偽悪醜に化けてしまう。本当に真善美を伝えたかったら、壊れないよう、嘘という緩衝材で包み込まねばなりません。
 劇団四季を率いた浅利慶太さんが、1960年に発表した「芝居について」という文章でいいことを仰っています。「芝居は、嘘ばかりを積み重ねて、人生のまこと(注:つまり真善美)を時に見事に描き出す。(中略)嘘で固められた芝居が生み出す人生のまことは、実人生のまことよりは、より鋭く新鮮で、本物である」(表記を一部変更)。これは芝居に限った話ではないのですよ。



中野:なるほど。逆に言えば、「真善美を追求するのが哲学です!」なんて御高説垂れる学者の姿は、芝居がかっていますね。



適菜:ははは。



佐藤:ある種の人々にとっては、新型コロナがここまで世界的に流行するというだけで、世界観が崩れ落ちるインパクトがあったんですよ。20世紀の世界では、人間は病気をどんどんなくしてゆけることになっていた。1978年、WHOがユニセフと共同で開催した国際会議では、「2000年までにすべての人間が健康な生活を送れるようにする」という宣言(アルマ・アタ宣言)が採択されています。
「健康な生活」の定義は、社会的・経済的に生産的な活動が行えること。つまり行動制限で経済が回らなかったら、たとえ感染していなくても「健康」ではありません。感染していないのに健康でないとなったら、それはまあ、何が何だか分からなくなるでしょう。
 世界観が崩れ落ちるのは大変なダメージ。当然、それを修復しようとする動きが脳内で生じます。いわば精神の免疫反応ですが、これが往々にして行き過ぎる。メンタルなサイトカイン・ストームと言えるかも知れない。



適菜:感染の量が多くなると、炎症の量も多くなり、サイトカインが大量に放出される。それがサイトカインストーム(免疫暴走)ですね。



佐藤:暴走状態ですから、感情と論理の区別などつくはずがない。前回使った表現にならえば、魂の叫びが止まらなくなる次第。当然、言動からは一貫性や整合性がなくなります。ところが世界観崩壊の苦痛をやわらげようとしてか、どうもこのとき、鎮痛作用を持つ脳内物質が分泌されるらしい。
 すると当人は気持ち良くなるんです。『平和主義は貧困への道』で使った表現で言えば「爽快」。世界観の崩壊について、リスクマネジメントをやってのけたように思えてくるんですね。
 よって世間の人々も、自分の言葉に耳を傾けるべきだということになる。で、同じように世界観崩壊を起こしている人々が、それを聞いて「わが意を得たり!」と喜ぶわけです。



中野:そのせいか、議論が混乱していて、私にはよく分からない話がいろいろとあるんですよ。例えば、藤井聡氏や宮沢孝幸氏は、当初、若い人が活動して積極的に免疫を獲得し、集団免疫を形成するという戦略を唱えていましたよね
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200604/)。他方で、彼らは、「〇〇さえ徹底すれば、感染しない」としきりに喧伝しています。しかし、彼らの感染防止策を徹底したら、集団免疫の形成は遅れるのではないか。感染を拡大していいのか、感染防止を徹底すべきなのか、どっちなのかよく分からない。彼らが集団免疫戦略を撤回したのか、していないのかも、よく分からない。



適菜:宮沢氏は3月には、自分が他人に感染させる可能性があることを強く意識しろみたいな話をしていましたよね(https://twitter.com/takavet1/status/12437397780039734272)。



中野:そう。だから意味がわからないんですよ。もちろん、誰にも感染させないように意識するという宮沢氏の主張は正しいですよ。しかし、誰にも感染させないようにしたら、集団免疫の形成は妨げられてしまうんじゃないですかね。
 他にも、よく分からない議論がある。
 さっき言ったように、藤井氏は、どうせ財政政策は行われないからという理由で、自粛緩和して経済を回せと主張していた。ところが、その後、「半自粛と財政政策が一番いい」とツイート(https://twitter.com/sf_satoshifujii/status/1283393114120417280)。
「自粛+財政政策」を叫んでも成功しないけれど、「半自粛+財政政策」をつぶやくと成功するのでしょうかね。これも、よく分からない。まあ、西浦先生を攻撃したい一心で、持論の財政政策論を捨ててまで「自粛緩和」「半自粛」を唱えてみたものの、後になって、捨てたのが惜しくなって、しれっと拾いなおしたってとこかな。



(第5回へ続く)





中野 剛志
なかの たけし



評論家



1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)など多数。最新刊は『日本経済学新論』(ちくま新書)は好評。KKベストセラーズ刊行の『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編』』は重版10刷に!『全国民が読んだから歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』と合わせて10万部。



佐藤 健志
さとう けんじ



評論家



1966年東京都生まれ。評論家・作家。東京大学教養学部卒。1989年、戯曲「ブロークン・ジャパニーズ」で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。主著に『右の売国、左の亡国』『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』『僕たちは戦後史を知らない』『夢見られた近代』『バラバラ殺人の文明論』『震災ゴジラ! 』『本格保守宣言』『チングー・韓国の友人』など。共著に『国家のツジツマ』『対論「炎上」日本のメカニズム』、訳書に『〈新訳〉フランス革命の省察』、『コモン・センス完全版』がある。ラジオのコメンテーターはじめ、各種メディアでも活躍。2009年~2011年の「Soundtrax INTERZONE」(インターFM)では、構成・選曲・DJの三役を務めた。現在『平和主義は貧困への道。あるいは爽快な末路』(KKベストセラーズ)がロングセラーに。



適菜 収
てきな おさむ



1975年山梨県生まれ。作家。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)、『遅読術』、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』(KKベストセラーズ)など著書40冊以上。現在最新刊『国賊論~安倍晋三と仲間たち』(KKベストセラーズ)が重版出来。そのごも売行き好調。購読者参加型メルマガ「適菜収のメールマガジン」も始動。https://foomii.com/00171

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