日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
■分割された陸奥の大半を占める
《岩手県の由来》流れ出る溶岩か、岩の手形か
東北の名峰、岩手山の東側に残る「焼走り溶岩流」。このように溶岩が流れ出るところから「岩出」となり、のちに「岩手」に転訛した。
また、盛岡市の東顕寺には、岩手山が噴火したときに飛んできたといわれる「三ツ石様」と呼ばれる大石がある。
昔、この石の神様は鬼をこらしめたが、そのとき二度と悪さをしない証として、三ツ石にペタンペタンと手形を押したという伝説から、この地を「岩手」と呼ぶようになったという説もある。
《地名の由来》◉相去(あいさり):藩境のもめごとに由来
盛岡藩と仙台藩の境目がはっきりしなかったことから、両藩の藩主が競争による藩境の決定を申し合わせる。しかし、書状の解釈で揉めてしまい、結局、両者が「相って去った」ことから、この地名が誕生したとされる。
◉一関(いちのせき):洪水を防ぐ堰のひとつ
北上川の洪水を防ぐため「一堰」「二堰」「三堰」を築いたことにちなむ。
また、室町時代に成立した『月泉良印禅師行状記』には「一堰願成寺」の表記がみられる。一方、「一関」は「関所」に由来するという説もある。
◉吉里吉里(きりきり):キリキリと鳴る砂浜
この地の砂浜は鳴き砂で、歩くと「キリキリ」と音がすることに由来する。
また、この地は江戸時代から塩鮭の生産地として有名だったが、その中心となったのが前川善兵衛で、「吉里吉里善兵衛」の通称で知られていた。
◉不来方(こずかた):鬼が「来ぬ」ように
岩手の地名の由来にも登場した「三ツ石様」の伝承にちなむ鬼が再び悪さをしないことを約束し、その証として三ツ石に手形を押して去っていったとされるが、鬼が再び「来ぬ」ようにという願いを込めて、この地名となった。
■「三陸」は意外に新しい
陸がつく3つの地名が明治になって誕生
東北地方の東側でみられる「三陸」という地名が生まれたのは明治元(1868)年。それまでは「陸奥国」と呼ばれており、明治時代になり「陸前(りくぜん)」「陸中(りくちゅう)」「陸奥」「磐城(いわき)」「岩代(いわしろ)」の5つに分割され、3つの「陸」ができたことから、「三陸」という地名が誕生するに至った。しかし約3年後の廃藩置県により、行政区分としての役目は早々に終了した。