日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。


 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️



■人名、信仰、伝説と由来も様々

《東京都の由来》京都の西京に対し東に誕生

 戊辰戦争ののち、天皇を中心とする中央集権的な統一国家を樹立するにあたって、首府をどこに置くかが重要な政治課題となった。
 このときいくつかの遷都論が登場するが、最終的に「江戸遷都」が採用される。こうして慶応4(1868)年7月17日、明治天皇が発したのが、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」である。この詔勅により京都の西京に対して、東方に天皇が政務を執る新都の設定が決定し、「東京」という名称が誕生した。



《地名の由来》◉王子(おうじ):熊野若一王子を勧進

 紀州牟婁(むろ)郡より熊野若一王子(くまのにゃくいちおうじ)を勧進したことにより生まれた地名。
「王子」とは、京都から熊野に至るいわゆる熊野詣での拠点となる、いわゆる熊野権現の末社のことで、この地には今も立派な王子神社が鎮座している。



◉恋ヶ窪(こいがくぼ):遊女が身を投げた伝承

 鎌倉時代の武将・畠山重忠に寵愛された遊女が、重忠の討ち死の知らせに悲嘆し、池に身を投げたという伝承が残る。
 ほかにも「狭い窪地」を意味する「峡が窪(かいがくぼ)」、国府付近の窪地という「国府ヶ窪」が由来とも。



◉柴又(しばまた):もともとは「嶋俣」

 奈良時代には「嶋俣」。古来、この地は多くの川が入り組んでいたことから、土砂が堆積してできた「嶋(島)」と、河川が合流分岐する「俣」という地形から連想された地名だ。
「柴又」に変わったのは室町時代以降とされる。



◉業平橋(なりひらばし):歌人の在原業平に関連

 平安時代を代表する歌人・在原業平は、都に上ろうとして舟に乗ったが、舟が転覆して溺死したという。

『江戸名所記』によると、この地にはかつて南蔵院という寺があり、その境内に「業平天神社」があったことに由来する地名とされる。





◉八王子(はちおうじ)8人の王子を祀る

 牛(ご)頭天王と8人の王子を祀る信仰の広がりのなかで「八王子神社」が建立され、地名として定着した。
「八王子」と呼ばれた時期は定かではないが、地名としての初見は、永禄12年(1569)年の北条氏康の書状とされる。



◉両国(りょうごく):ふたつの国に架か橋

 貞享3(1686)年に南葛飾郡が武蔵国へ編入されるまで隅田川(当時は大川)が武蔵国と下総国の国境であった。
 つまり、ここに架けられた大橋は、その両方の国に跨っていたことから「両国橋」と呼ばれたのが地名の由来。





■東京に多くある人名由来の地名◉歴史上の人物たちが歩き、暮らした場所

 上記の「業平橋」を筆頭に、東京には有名人に由来する地名が多い。 
 江戸城を築いた太田道灌(どうかん)の出城があった「道灌山」、家康の家臣・服部半蔵に由来する「半蔵門」、徳川家康が厚遇したオランダ船の航海士ヤン・ヨーステンの屋敷跡である「八重洲」、高島秋帆(しゅうはん)が洋式砲を練習した「高島平」、明治の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)の旧宅から「乃木坂」といった地名が生まれた。







(2020年一個人5月号から

編集部おすすめ