日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。


 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️



■武将が名付けた地名多数

《岐阜県の由来》周王朝にちなんだ縁起のよい地名

「岐阜」という地名は、一般に織田信長が命名したとされている。永禄10(1567)年、斎藤氏を滅ぼして稲葉山城に入った信長は、少年期の学問の師であった沢彦宗恩(たくげんそうおん)からの進言を受け、城下の「井ノ口」の町の改名を決意。沢彦の挙げた「岐山・岐陽・岐阜」の候補から「岐阜」を選んだとされる。ちなみに「岐山」とは、古代中国で周の武王が都としていた地名で、ここを拠点に殷(いん)の国を倒し、天下統一した縁起のよい地名とされる。



《地名の由来》



◉可児(かに):蟹がルーツではない

 宮中行事の設営や殿中の清掃を司る役所、「掃部寮(かにもりのつかさ)」に由来。「掃部」は、のちに「かもん」と読まれ、「可児」に転訛した。
 願興寺という古刹に祀られた「蟹薬師」が由来とする説は誤りと考えられる。



◉各務原(かかみがはら):鏡づくりの職人がいた

 金属によって鏡(銅鏡)などを作る「鏡作部(かがみつくりべ)」がいたことが地名の由来とされる。また、「各務原」の読み方は多様で、各務原市は正式には「かかみがはら」市だが、一般には「かがみはら」で通っている。



◉下呂(げろ):読み方が徐々に変化

 東山道から飛騨国府に至る宿駅の距離が長すぎることから、宝亀7(776)年、中間に「下留(しもとまり)駅」を置いた。
 これが時を経て「下留」の音読みの「げる」となり、さらに「げろ」と変化し、「下呂」となった。



◉関ケ原(せきがはら):天下分け目の「東西」の境

 東山道の不破関は、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発(あらち)関とともに畿内を護る三関と呼ばれた。


「関ケ原」という地名も「関所」のある「原っぱ」という説があり、現在の「関東」「関西」という呼び名も、この地を境にしている。



(2020年一個人5月号から

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