日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
■地名の数は日本一?
応仁の乱後、焼け野原になった祇園。江戸時代に茶屋ができ、やがて芸を見せる茶屋として発展したのが始まり。" />
《京都府の由来》平安京の繁栄をさらに願って
「京」とは皇居のある土地、つまり国の首都のこと。
また、「都」には「人々が多く集まるところ」という意味があることから、平安京のさらなる繁栄を願い「京都」と表記したことに由来する。
ちなみに平城京(奈良)と混同しないよう、平安京のことを「北京」、平城京を「南京」と呼び分ける時代もあった。
時が流れ、平安京の存在が広く定着してくると、これを指す言葉として「京の都」や「京都」の名称が用いられるようになっていった。
風葬の地として知られる化野念仏寺。空海が野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされる。" />
《地名の由来》◉化野(あだしの)かつての風葬の地
京都では「野」という言葉に「風葬の地」という意味が込められている。
「あだし」とは「はかない」といった意味で、ここに「変わる」を意味する「化」の字をあてることで、生者が死骸となっていく様子を表している。
◉太秦(うずまさ)渡来人の秦(はた)氏に関係
古来この地は、機(はた)織りの技術者集団であった渡来人、秦氏の拠点。
雄略(ゆうりゃく)天皇の御世、秦氏が絹を「うず高く積んだ」ことから、朝廷より「 禹豆満佐(うずまさ)」の姓を与えられ、「太秦」の文字をあてたという説が有力だ。
◉祇園(ぎおん)正式には祇樹給孤独園
近隣の八坂神社は、神仏分離されるまで「祇園感神院(祇園社)」と称しており、これが地名の由来になった。ちなみに「祇園」とは、古代インドにあった「 祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくえん)」と呼ばれた僧園の名前を略すことで生まれた名称。
◉蹴上(けあげ)牛若丸にちなんだ伝説
まだ牛若丸を名乗っていた源義経が奥州へと向かう途中、この場所で関原与一の一行に出会ったが、その従者が誤って水を蹴り、義経の衣を汚してしまったという伝承から、この地を「蹴上」と呼ぶようになった。
◉先斗町(ぽんとちょう)ポルトガル語が由来か
「先端」を意味するポルトガル語の「ポント」を由来とする従来の説に加え、最近ではお金をゲームの最初だけ(さきばかり)に賭けるというカルタ賭博用語「ポント」を由来に、「先斗」の字をあてたという説もある。
◉間人(たいざ)与えられた名前を遠慮
「間人(はしうど)皇后」とも称された穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、この地を訪れた際、自分の名前を与えようとしたが、里人はこれを遠慮した。
すると皇后が「ご退座」したことから、「 間人(たいざ)」を地名にしたとされる。
■伏見は地名の宝庫◉旧国名から人名までユニークな地名が集結
安土桃山時代、天下人となった豊臣秀吉は伏見に居城を築き、城下に全国の大名を住まわせていたことから、現在も伏見には古い地名が数多く残っている。
特に多いのが越前町、讃岐町、肥後町などといった旧国名を由来とする地名。ほかにも桃山羽柴長吉町、桃山毛利長門町など、人名由来も目白押しだ。
さらに京都を発祥とする銀座も、銀座町として今日に至るまで残っている。
『洛中洛外図屏風』池田本より。伏見城は3度築城され、最後は徳川家康が改築。