コロナ禍から著名人の自殺が相次いでいる。2020年には、俳優の三浦春馬さん、竹内結子さんが亡くなり、今年に入っても、脚本トラブルに見舞われた「セクシー田中さん」原作者の芦原妃名子さんらが自ら命を絶った。
■自殺について
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あらゆる形の自殺に、演技の意識が伴ふことを、心理学者はよく知つているが、私には自殺という行為は、他のあらゆる人間行為と同様、あらはな、あるひは秘められた不純な動機を手がかりにして、はじめて可能になるものだと思はれる。(「心中論」)
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三島は自殺を否定していた。
文学者の死、保守主義者の死を認めなかった。しかし、晩年の数年間は右翼= 理想主義者に転向して(それが偽装であるかどうかは別として)武士として死んだのである。
三島は太宰治を嫌った。

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どんな強者と見える人にも、人間である以上弱点があつて、そこをつつつけば、もろくぶつ倒れるものですが、私がここで「弱い者」といふのは、むしろ弱さをすつかり表に出して、弱さを売り物にしてゐる人間のことです。この代表的なのが太宰治といふ小説家でありまして、彼は弱さを最大の財産にして、弱い青年子女の同情共感を惹き、はてはその悪影響で、「強いはうがわるい」といふやうなまちがつた劣等感まで人に与へて、そのために太宰の弟子の田中英光などといふ、お人好しの元オリンピック選手の巨漢は、自分が肉体的に強いのは文学的才能のないことだとカンチガヒして、太宰のあとを追つて自殺してしまひました。これは弱者が強者をいぢめ、つひに殺してしまつた怖るべき実例です。
ところで私は、かういふ実例を、生物界の法則に反したデカダンな例とみとめます。
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私は以前『日本を救うC層の研究』という本に、三島が若い頃に太宰に会いに行ったときのエピソードについて書いた。
大ざっぱに説明するとこういう話である。
太宰が『斜陽』の連載を終えた頃に、三島は劇作家の矢代静一らと一緒に会いに行った。
三島は普段着ない和服姿だった。それは《十分太宰氏を意識してのことであり、大袈裟に云えば、懐に匕首を呑んで出かけるテロリスト的心境であつた》(「私の遍歴時代」)。
料理屋の暗い階段を上って二階に行くと、一二畳ほどの座敷に大勢の人がいた。
上座には太宰と文芸評論家の亀井勝一郎が並んで座り、青年たちがそのまわりを取り囲んでいる。
三島は友人の紹介で挨拶をし、太宰から盃をもらった。
そのときのことを三島はこう述べている。
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場内の空気は、私には、何かきはめて甘い雰囲気、信じあつた司祭と信徒のやうな、氏の一言一言にみんなが感動し、ひそひそとその感動をわかち合い、又すぐ次の啓示を待つ、といふ雰囲気のやうに感じられた。これには私の悪い先入主もあつたらうけれど、ひどく甘つたれた空気が漂つてゐたことも確かだと思ふ。一口に「甘つたれた」と云つても、現在の若い者の甘つたれ方とはまたちがひ、あの時代特有の、いかにもパセティックな、一方、自分たちが時代病を代表してゐるといふ自負に充ちた、ほの暗く、抒情的な、……つまり、あまりにも「太宰的な」それであつた。
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■3人の「表現者」の自死
『C層の研究』を読んだ私の友人が言った。「これはまさに西部塾の空気そのものじゃないか!」と。
最初に断っておくが、私は西部塾とは関係ないし、西部邁との深い付き合いもなかった。晩年の三年間くらいは番組や酒の席に呼ばれたが、彼の本は何冊か読んではいるものの、人間性までは知らない。「西部邁ゼミナール」という番組の出演も断ってしまった。だから、西部を固く支持する人に対しても、批判的な人に対しても、どうこう言うつもりはない。
ただ、物書きの自殺について考えるときに、太宰、三島、西部を比較することにより見えてくるものはあると思う。
三島は太宰の自殺を「不純な動機」による演技の意識を伴ったものだと言いたいのだろうが、三島の自殺も演技の意識を伴ったものではないか。
当然、本人もそれを自覚していた。
三島は単純右翼のアホではない。自衛隊が決起に応じるとは考えてもいなかっただろう。仮に自衛隊が応じたとしても、その後のプランがあったわけではない。
一方、こういう言い方をすると失礼かもしれないが、西部の自殺は世の中に何の影響も及ぼさなかった。いろいろ嫌になったのは同じだろうが、最初から絶望している人間は絶望することはない。単に入院して病院で死ぬのが嫌だから、自殺したのだろう。
死の数年前に、西部が某雑誌に自殺について書いていた。
その後、偶然新宿のバーで西部の隣に座ったので、「西部さん、いつ死ぬんですか?」と聞くと、ニコニコ笑っていた。
この文章を書いていて思い出したのだが、たしか三島も見知らぬ高校生から「先生はいつ死ぬんですか」と聞かれて、動揺したらしい。

〈『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』より再構成〉