9人組アイドルグループ・NiziU(ニジュー)が「NHK紅白歌合戦」に出場する。CDデビューは12月2日だが、6月にデジタル配信でデビュー。
しかし、メンバーのひとり・ミイヒ(鈴野未光)は10月に「体調不良」から活動休止を発表。オーディション中に激痩せしていったことから、拒食症を疑う見方も浮上していた。
ただ、オーディション中から人気が高かったうえ、休養にいたった経緯もあいまって、不在ながら存在感がある。ネットでは今も心配する声や復帰を望む声が飛び交い、ある意味、誰よりも注目されるメンバーなのだ。
たとえば、11月14日放送のお笑い番組「有田Pおもてなす」(NHK総合)でこんな場面があった。NiziUが選ばれたオーディションがパロディにされるなかで、プロデューサーのJ.Y. Parkに扮した芸人(おばたのお兄さん)がこんな台詞を発したのである。
「ちょっと痩せてるから、ごはんいっぱい食べてね」
これは実際、6月の最終オーディションにおいて、J.Y. Parkがミイヒにかけた言葉だ。彼女の体調変化をプロデューサーも気にしていることが公開の場で明らかにされたわけで、ネットでも話題になった。だからこそ、こうしたパロディにも使われたといえる。
そのミイヒがなぜ痩せたのか、今はどんな状況なのか、といった具体的なことははっきりしない。ただ、彼女のような「痩せ姫」を数多く見てきた者として、断言できることがひとつある。
つまり、彼女が好感を持たれたり、歌やダンス、自分磨きを頑張れたり、ひいては体調不良をきたしたりということは、根っこでつながっているのである。
というのも、芸能あるいは芸術に憧れるような人には、こうした痩せ姫が珍しくない。その感性が「痩せ」にもフィットしやすいのだ。芸能や芸術に向いている反面、激痩せも起こしがちで、ミイヒにしても、そういう感性の人だからアイドルになれたし、病んでもしまったのだろう。いわば、痩せ姫にとって芸能や芸術は毒でも薬でもあるわけだ。
■レネ・マリー・フォッセンという痩せ姫の写真家としての芸術性
ミイヒの件とともに、それを最近、実感させたのがNHK・Eテレで11月6日に放送されたノルウェーのドキュメント番組「セルフポートレート 拒食症を生きる」である。
主人公はレネ・マリー・フォッセンという痩せ姫。10歳から拒食が始まり、その葛藤のなかで写真と出会う。「大人になりたくなかった。でも、写真を撮れば、時を止められると気づいた。いとおしい瞬間をフリーズできる」という動機から、自らの極限的な痩身を被写体として撮影。
彼女は代表作というべき自身のポートレートについて、こう語った。
「これはある意味、私ではない。もっと大きなものを表している。負の感情や苦痛を。(略)生きることの痛みと、そこにある美を表現したいのです」
写真での成功は、彼女に幸福をもたらした。「病人ではなく、芸術家としての人生を与えて」もらえるとして「私も少しはいい存在なのかも」という言葉も口をすることに。ただ、その矢先、交通事故に遭い、首を痛めてしまう。これによって、絶妙だったきわどいバランスを崩すのである。
そのバランスとは、拒食ゆえの感性と写真が撮れるギリギリの体力だ。
「病気を手放すのが怖い。創作活動に悪影響が出るかも」
と、不安にかられた彼女は人生初の自殺未遂を引き起こす。その後、1年間の入院を経て、状況は少し好転。写真を再開したものの、22年もの栄養欠乏がたたり、心不全で亡くなるのである。
その人生は、歌手のカレン・カーペンターを思い出させる。こちらも痩せ姫ならではの感性が成功につながったが、その繊細さや脆さが災いして、病気を手放せず、レネ同様、30代前半で世を去った。

■激痩せから復調して活躍する「瘦せ姫」女優たち
かと思えば、痩せ姫としての期間が比較的短く終わる人もいる。
2015年にNHKの朝ドラ「マッサン」に出演中、激痩せをきたし、活動を休止した優希美青は数ヶ月後に復帰。体型も激痩せ以前のものに戻り、現在放送中のNHKのBS時代劇「赤ひげ3」ではヒロイン役を務めている。
また、昨年、激痩せが騒がれた浜辺美波は特に休養することもなく、体型的にも復調して、ドラマに映画にますます活躍中だ。
ふたりとも、激痩せ時も魅力的だったが、女優業をこなすための体力や世間ウケを考えれば、今くらいの体型が芸能活動に向いているのだろう。
このふたりに比べ、かなり深刻な激痩せに思えた宮沢りえも活動休止期間は数ヶ月にとどまった。現在も細身だが、病的ではない。むしろ、この時期を境に元気でセクシーなアイドル女優からスレンダーな演技派女優へとうまくイメージチェンジできた印象もある。
あるいは、アスリートにも激痩せによるブランクをプラスにできた人がいる。フィギュアスケートの鈴木明子は大学1年のとき、拒食で数ヶ月を棒に振ったが、これにより、芯の強さを身につけたように見える。その後、世界選手権で銀メダルを獲るほどの名選手へと飛躍した。
芸能人や芸術家、アスリートに、こうしたケースが多いのは「確かさ」という問題が関係しているのだろう。これは前出のレネが「病気の何を必要としていた?」という問いかけに対して使った言葉だ。
「確かさ、です。他は何もかも不確かだった」
つまり、痩せること、痩せていることだけが彼女には唯一の「確かさ」だったわけだ。
たとえば、前出の鈴木は入院を勧められたが、それでは復帰への期間が延び、選手としての大事な時期を無駄にしてしまうと考えた。彼女には、スケートこそが「痩せ」以上の生きる意味や実感に思えたのだ。それゆえ、実家での療養を選択。これが早い復帰につながったという。
では、ミイヒについてはどうか。あくまで想像だが、オーディション中の彼女は、アイドルを目指し、歌やダンス、自分磨きに励むなかで「確かさ」を感じられていただろう。ところが、さぁこれからというときに、休養を余儀なくされ、その確かさがあいまいになってしまったのではないか。あるいは今「痩せ」が何物にも代えがたい「確かさ」になっているとしたら、早期の復帰は難しくなる。
せめて年内いっぱい活動できていれば「紅白」のステージにも立てたのに、と思う一方で、意外と早く体調不良が改善され「紅白」で復帰という展開だって考えられないわけではない。なんにせよ、どう生きるかは彼女自身の問題だ。
それにしても、痩せ姫の葛藤は美しい。それはこのあいまいな世の中で、彼女たちがひたむきに「確かさ」を求め、常にきわどく絶妙なバランスで生きているからだろう。
(宝泉薫 作家・芸能評論家)