ネットで格闘し、ときに炎上する男(*)——青汁王子、その実像とは⁉️ 
「フルーツ青汁」を大ヒットさせ、20代で年商131億円を稼ぎ出し、脱税容疑(法人税法違反)で逮捕されるなど、まさに急転直下「ジェットコースター」のような人生を歩んでいる三崎優太氏に、絶望と希望をテーマに、自らの人生で得た、その真実を赤裸々に語ってもらった。
 今回は「青汁前夜」。

「金儲け」のきっかけとなった経験をたどる。



【青汁王子「告白」】「カネ・逮捕・未来・・・今こそ本当のこと...の画像はこちら >>



◼︎周囲の人から「変わっている」と言われた少年時代



編集部——出身地はどちらですか? どんな少年時代を過ごしたんですか?



三崎——北海道の札幌です。生まれは札幌市で、育ちは北見市です。 
 幼い頃、集団生活になじめずに、周囲の人たちから「変わっている」と言われていました。ただ、自分のことは自分ではよくわからないですから、そう言われてもなあと思ったのですが、まあ今考えれば、「一風変わってたのかな」って思いますね。





【取材メモ①】 
 都内某所。高級住宅街のなかにある高級マンションの一室で私たちは「青汁王子」とあった。事前に資料となる自伝、『過去は変えられる』(扶桑社、2020年)と氏のSNSをチェックしながらインタビューに臨んだのだが、まったくもって事前に抱いた三崎氏の「傾奇者(かぶきもの)」のイメージと異なっていた。
 一言でいえば、「物静かな人」。さらにいえば、「宇宙人」のようなつかみどころのない印象だった。
 1989年生まれ。平成時代に生まれ育った31歳の若者。

三崎氏が生きてきた時代は世間では「失われた30年」と呼ばれる。その30年間で三崎氏は、ネットを利用したビジネスで130億円もの年商を上げるほどの成功を遂げた。 「成功? どうなんですかね」とポツリ。若くして大金を手にした人に特有の衒いや威張りもなく、三崎氏は淡々と著者の質問に答え始めた———————



編集部——具体的にはどのように変わっていたんでしょうか?



三崎——自分の世界観を持っていた気がします。みんなと同じでいることに耐えられなかったのかもしれません。いまでいう同調圧迫的な空気が本当に苦手でした。自分の世界ではあり得なかったのがそうした空気をもたらす集団生活です。しかし、これは単に馴染めなかったということと違う気がします。
 具体的にいえば、やっぱりルールだったり、規則だったりとか、そういうところがすごい嫌でしたね。誰かがつくった規則に何も疑うことなく従うということが私的にあり得なかったのです。



編集部——小さい頃から自分がはっきりしていたということは、常識的なことに違和感をもっていたということですか? あるいは、集団生活に馴染めないほど、例えば小学生の頃にイジメにあったとか? ちょっと質問を変えますが、三崎さんは将来何になりたかったんですか?



三崎——常識っていうものも誰かがどこかでつくったものですよね。もちろん、それによって世の中は回っているのでしょうが、無前提に従っていることに違和感をもたないことの方がおかしい気がしていました。


 幼稚園、小中高とイジメにあったことは特になかったです。青汁王子のエピソードとしてはそうしたドラマがあった方がよかったのでしょうが、残念なことに普通でした。それに安倍前総理と同じく潰瘍性大腸炎を患い、入院生活もしていましたので、小学校の頃はよく休んでいたのです。
 将来なりたかったものは、会社の経営者でした。祖父が産業廃棄物処理の会社を経営していたんです。幼い頃からお小遣いやお年玉などいつも「ウン万円」単位でくれましたし、車もものすごく所有して、家も大きかったんですね。明確な目標があったわけではないのですが、「社長っていいなあ」とあの時は思っていました。



編集部——中学、高校生活はどうだったんですか?



三崎——両親が仲が悪く、経済的な問題ではないのですが、家庭環境は悪かったんですね。中高はやはり少し「ワル」くなりました。といっても当時はいまでいう「ヤンキー」という概念が北見市にはなかった(笑)ですから、校内暴力とかそうした「不良」ではなくて家出というか、家に帰らなかったりなど地味な反抗でした。
 で、高校は二度中退しましたし。やはり、校則を強いる集団生活に馴染めなかったのです。

また人に合わせることができませんでした。そういうみんな一緒という波長がすごい苦手でした。でも、学校は割と好きだったんですが。



編集部——最後の通信制の高校を卒業される前後から、いよいよ「青汁王子」の前夜というか「序曲」がはじまるわけですね。



三崎——たしかにここから「お金を稼ぐ」ということに無意識に目覚めてきたのかもしれません。ですが、やったのは当時、夜クラブに行って、なんかイベント、パーティのチケットを売ったりして、お金稼いでみたりとか、そんな程度でした。ただ、刺激的だったんです。
 それからパチスロにハマっていくんです。





◼︎「開店前」のパチンコ屋に並ぶおじさんを見て危機感が!

【青汁王子「告白」】「カネ・逮捕・未来・・・今こそ本当のことを全部話します!」《年商131億!「青汁前夜」①》



三崎——これは本(前掲書)にも書いてないかもしれないですけど、友達の知り合いから、パチスロの打ち子の仕事があるからやらないかと言われて、やってみたんです。終日スロットを打って、その稼ぎから毎日いくらかもらうみたいなことをやったんです。当時、1回につき1万円ぐらいもらえたと思うんです。そういうことをやってて、こういうのもあるんだなと。

そこからスロットにハマったんです。



編集部——ひょっとしてあの札幌駅前の巨大パチンコビル「ベガスべガス」ですかね? 高校生の頃ですから2006年くらいですか? あの頃はたしか北海道といえば高校野球の駒大苫小牧が強かったですよね。そのライバルは早実の「ハンカチ王子(斎藤佑樹)」。三崎さんは「青汁王子」になる前は「パチスロ王子」だったわけですね。



三崎——そうかもしれません。当時は「北斗の拳」(4号機)などで面白いように出ましたから、ハマりました。毎日朝から晩までそれこそ、開店前に「並ぶ」ような生活をしていたんです。
 そういう生活を続け、高校3年生ぐらいの時に、ふとパチンコ屋に並んでいると、自分の前にいたちょうど父親と同じぐらいの年代の人たちが突然、目に入りました。いつもの光景が変わって見えたんです。
 朝、寒空の下で並んでるんですよね。それを見てですね、「ああ、いつか自分もこういうふうになるんだな」と思うと、そこからすごい危機感を覚えたんです。本当に恐怖というか、危機感を覚えたんです。


 このままだと、おじさんたちみたいにいつか「オレもこうなる」と。
 漠然とですが、高校生の頃はまだ「立派な人間になるんだ」みたいなことを考えていたんです。まだ希望というか前向きな気持ちはあったんです。
 だから、いよいよ自分も「ヤバいんだ」ということが分かったんです。そこから「あせる」ようになって。「このままじゃダメだ、何かしないといけない」と思ったんです。



(青汁王子「絶望と希望の真実」2回目へつづく)



【参考資料】
 「ネット炎上し、格闘する男」とは、三崎氏自らの「誹謗中傷」と向き合い、真実と潔白をを明らかにするいう思いから発信を続ける活動を意味している。







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