【デジタル化する教育現場に潜むリスク】文科省は「教育データ」...の画像はこちら >>





■教育におけるデータ活用が議論されているが…

「教育データ」という言葉が、これから頻繁に登場してくることになりそうだ。そして、大きな問題として扱われることにもなるだろう。



 文科省は1月27日、ビッグデータやICTの専門家と学校教育関係者などで構成される「教育データの利活用に関する有識者会議」の第4回会合を開いた。そこで同省は、論点整理に向けた検討資料を提出している。
 それによれば、教育データとは、「初等中等教育段階の学校教育における教育・学習に関するデータ」と定義されている。子どもたちの学習履歴(スタディ・ログ)や生活・健康情報(ライフログ)の取り扱いから、ビッグデータによる社会的な活用までを議論するという方向性が示されている。
 子どもに関するあらゆるデータを一元化し、それを活用していくことを有識者会議で議論させようというわけだ。



 教育分野でのICT化が進むなかで、さまざまなデータを集めることが可能となる。それを最大限に利活用していこうというわけだ。ICT化のなかでは、必然的な流れでもある。
 しかし一歩間違うと、まったく違う活用になってしまいかねないことにも注意が必要である。
 たとえば学習履歴にしても、電子データ化することで蓄積が可能になってくる。何を学んだかだけでなく、テストでの成績も、それこそ小学校1年生から高校3年生まで分を瞬時にパソコンのモニター上に表示させるのも難しいことではない。



 検討資料には、「将来的には、在学中だけではなく、生涯にわたる学びの記録ができるようにすることについて、どう考えるか」とも記されている。

教育にとどまらず、個人の生涯データが一元管理される可能性も秘めているわけだ。
 問題は利活用である。
 検討資料には、「一次利用は学習者や教員が直接利用し、二次利用は社会全体のための利用を目的とするものであり、共通する事項(相互運用性の確保のためのデータ標準化等)もあるが、利活用の方法や仕組みが大きく異なる点に留意して議論すべきではないか」とある。まずは学習者(子どもたち)や教員が利用し、さらには社会全体のためにも利用していく方向性が示されている。



 教育データを利用することで、教員が子どもたちに対して個別最適な指導をしやすくなる可能性は高い。子どもたちも、自分のデータを振り替えることで、今後の学習スケジュールを組みやすくなるかもしれない。まさに、ICT化による「バラ色の未来」といえるのかもしれない。





■評価、入試のためのデータにならないか

 教育データの利活用を考えるにあたって、思い出さなくてはならないものがある。文科省が行っている全国学力テストである。小学6年生と中学3年生が対象だが、その目的を文科省は「子どもたちの学力状況を把握する」と説明している。つまり、これも立派な教育データである。
 では、これがどのように利活用されているのか。


 学力状況を把握することで、学力向上に役立てられている面があることも否定はしない。しかし、全国学力テストが「競争の道具」になってしまっていることも否定できない現実である。
 そして、その順位争いは次第にエスカレートしてきている。テスト対策は、もはや学校の常識となってしまっている感すらある。これは「学力状況を把握する」という目的からは逸脱しているといっていいだろう。



 ICT化によって広範囲に集めることが可能となる教育データの使われ方が、全国学力テストと同じようなことになりはしないだろうか。



 大学入試改革に関連して登場したのが、高校時代に取得した資格や部活動の実績などを電子データとして記録するシステム「JAPAN e-Portfolio(JeP、ジャパン・イー・ポートフォリオ)」である。文科省も関わり、データを大学入試に活用していく構想だった。しかし運営団体だった「教育情報管理機構」に対して、文科省が2020年8月に運営許可を取り消したため頓挫することになった。
 理由は、利用する高校生も大学も予想を大きく下回ったため、採算がとれなかったことにある。



■小学校から入試準備は始まってしまうかも

 この「Jep」に代わるものとして、有識者会議で議論が進んでいくであろう教育データが位置づけられることも考えられる。Jepは高校生だけが対象だったが、今回の教育データは小学生からデータが蓄積される。

しかも、Jepでは盛り込まれなかった成績をはじめ、さまざまなデータを盛り込むことになる。
「選抜の道具」としては、Jepどころではない。利用できるところまで内容が充実してくれば大学にかぎらず高校での入試にも利用されることになり、採算の問題も簡単にクリアされてしまうだろう。



 そうなると、立派なデータづくりがエスカレートしていくに違いない。小学生時代のデータが大学入試にまで利用されるとなれば、すでに小学校から入試準備は始まってしまうからだ。
 全国学力テストが「競争の道具」になってテスト準備が常態化している以上に、日常がテスト準備になりかねない。



 大学入試だけでなく、入社試験にまで教育データの利用が拡大されることにでもなれば、それこそ教育データで人生が決められることになる。立派なデータづくりは、ますますエスカレートしていく。
 それが子どもたちの生活にどう影響することになるのか、有識者会議での議論においても、大前提にしなければならないのではないだろうか。 



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