2021年8月15日、タリバンがアフガニスタンを制圧。「タリバンの恐怖政治が復活する」「タリバンは女性の権利は認めない」「米国の協力者は粛清する」等、それ以降も西側メディアは「タリバン=悪」説のプロパガンダに終始し、国際社会との協調を阻んでいる。
■多民族国家アフガニスタン
中田:アフガニスタンは多民族で、いろいろな民族の方がいらっしゃるということをよく聞きます。
そこでいつも分からないのは、タジク人とハザラ人の関係です。どちらもペルシャ語話者ですが、一方で宗教としては、タジク人はスンニ派が多いし、ハザラ人はシーア派が多い。見かけも異なり、ハザラ人の方はかなり東アジア人、つまり我々に近いような顔をしているという話を聞きます。
言葉として見たときに、アフガニスタンのペルシャ語は「ダリー語」とよく表記されていますが、タジク人のしゃべるペルシャ語とハザラ人のしゃべるペルシャ語は別なんでしょうか?
レシャード:いえ、「言葉が別」というほどのことではなく、いわゆる方言があるのです。
パシュトゥー語もダリー語も公用語になっておりまして、アフガニスタンの教育では学校で両方とも学ぶことが義務になっていますから、基本的に両方ともしゃべれる人が多いです。但しパシュトゥー語は発音が少し難しいので、ダリー語を母語とするタジク人とハザラ人にとっては発音しづらいところもあります。逆にパシュトゥーン人からするとダリー語にはそれほど難しいところではないので、みんなある程度は理解できるようになっております。
中田:なるほど。じゃあ、ハザラ人もタジク人も、言葉の違いは方言の違い程度であって、どちらもダリー語を使っていると言っていいわけですね。
レシャード:そういうことになります。
中田:これもよく言われるんですけども、今度はパシュトゥーン人のほうでも違いがありますよね。もちろん地方によっていろいろ違うでしょうけれども、特にレシャード先生がお生まれになった南部のカンダハールなどの場合と、アフガニスタンの東部のナンガルハールでは、おなじパシュトゥーン人でもだいぶ違うとも聞くんですけど、実際に言葉とか習慣は相当に違うものなんでしょうか?
レシャード:これも方言と言えば方言で、地方によっては発音の仕方が違うこともありますが、使う言葉そのものには大きな差はありません。ですからもちろん他の地域の言葉を全く理解できないようなことはないです。
習慣に関しては、地方によっては多少の差があります。
例えばヘラートですと、イランとの国境から100km程度しか離れていない地域ですから、同じダリー語をしゃべるにしてもイランのペルシャ語と似通っている言葉になってしまっていますし、習慣もイランに似通っているところがあります。同様に、北部のタジキスタンとかウズベキスタンに近い地域では、それらの国の習慣に近い部分が出てきていることは事実です。
そういう違いは多少ありまして、これは生活の上での必要なことなのかもしれません。
中田:なるほど。それはそうですね。
■異なる民族同士の実際の関係とは?
中田:よく「対立がある」といった話を聞きますけれども、それはアフガニスタンに限らずどこでもある話なので、私はあまり大げさに考えるべきじゃないと思っています。
そこで、パキスタンのクエッタとの関係が深い南部のカンダハールの人たちと、パキスタンの都市としてはペシャーワルと近い東部のナンガルハールの人たちとの間の交流について、実際のところを聞かせていただけますか?日常的な付き合いは結構広いものなのでしょうか?それとも、付き合いはあまりないものなのでしょうか?
レシャード:それは結構ございます。活動の分野によって、もちろん度合いは異なりますけれども。例えば商売をやっている連中はほとんどの地域と行ったり来たりしますし、仕事の人たちとの付き合いがあったりします。
お互いの人々のことも分かっているし、習慣にもそんなに大きな違いはないので交流できます。
実際には、ある地域には特定の人たちだけがいるとは限りません。いろいろな地域にいろいろな人たちが結構おります。例えば私の出身地のカンダハールはパシュトゥーン人の多い地域で、多くはスンニ派ですが、カンダハールには同様にシーア派の人たちが住んでいる結構広い地区もあります。私の実家もシーア派の地区の中にあるんです。
中田:あ、そうなんですか。
レシャード:はい。一緒に学校に行って勉強をしたり、いろいろなお付き合いがあったりと、全然問題なくやっています。
職種によっても特徴がありまして、例えばハザラ人がやっている仕事で特色があるものは、カンダハールでもカブールでもヘラートでも、ハザラ人たちが中心になってその仕事をやっています。そのような使い分けがありますので、決して人々の間に隔たりばかりを作って軋轢ばかり生み出しているというようなことではないです。様々な人々がいるのは、アフガニスタンでは元々の話ですよ。
中田:そうですね。
レシャード:しかし政治的な問題が持ち上がると、人々の違いを政治に利用・悪用する人たちが出てきますから、それが変な印象を作ってしまっていますね。最近は、政治的な損得のために人々の違いが利用されている事実はありますから、それを全く否定はしないけれど、元々は大きな隔たりとか、憎しみとかといったものは特にございませんでした。
中田:今、フェイクニュースが多いですね。この前もタリバンに内紛があり「内務大臣のスィラージュッディーン・ハッカニーが、バラーダル副首相を殺した」とかいうニュースが流れました。私のようにタリバンのニュースを20年以上追っていると、タリバンの内部対立、内紛の風評がずっと言われ続けていますので、「今回も多分嘘だろう」と思っていたんですけれども、案の定嘘でしたね。
レシャード:そうですね。アフガニスタンに限らずどこの世界でも派閥はありますので、その派閥の間には合うもの、合わないものもいろいろとあります。
今回タリバンが政府を作るにあたって、タリバンの中にもいろいろな派閥が入り込んできています。それぞれの派閥によって、辿ってきた路線は多少違いますから、正直言って私自身は、これだけのいろいろな派閥が、大臣だなんだの立場でまとまることができるとは思ってもいなかったんですよ。
むしろ私が考えたのは……これはあくまでも私の理想というか、想像の話ですが、以前のタリバンの政権のときに「シューラー」と言われる会議がありました。そこにいろんな派閥なり人たちが集まって、みんなでいろいろなことを協議していました。
一方で現実的に動いていた政府はまた別にあって、実務的に仕事をしたり実際に動いているのは政府だったわけです。
ですから今回も、そういうやり方を中心にしてやっていくのかなと思っていました。私はそのほうが理想的だったと思います。
中田先生もよくご存じだと思いますが、現在、国際的に「女性の参加」というものが非常に重要な問題になってきていますね。
タリバンの中には、それにすごく賛成な人もいれば、頑なに断っている人たちもいるんです。様々な見解があることは理解できるところです。
だから、もしシューラーがあれば、シューラーの中に女性を入れていろんなことについて声を聞いたり、発言をしてもらうことができます。そちらのほうが一般的な政府の形だろうと思います。
このように、実務を担う政府とは別に、構想を担っていく立場のシューラーがあったほうが、よりやりやすかったのかなと感じます。
これはあくまでも私の考え方ですから、タリバンがどのように考えているのかは分かりませんが、もし私が相談されたら、そういう形で進めるようにしていきたいと思っています。
■2012年の日本で、タリバンとカルザイ政権が邂逅した
中田:2012年に同志社大学で、私どもがホストになって、タリバンおよびカルザイ政権の代表が集まった会議が開かれました。あのとき初めてタリバンがマスコミの前に出てきたわけですね。
あの時点で話がまとまっていれば、もう少し包括的な、レシャード先生がおっしゃるのに近い制度ができたと思います。
レシャード:あの時は大変いい機会を作っていただいて本当にありがたかったです。私がその後に書いた本の中でもあの会議については書いています。アフガニスタンの外の世界でタリバンが表に出てきて話ができるというのは大変有意義なことでしたから。
その後、ちょうど2012年に東京会議(「アフガニスタンに関する東京会合」)がありましたよね。その東京会議のときに、私は日本政府に「タリバンも呼んだらどうだ?」ということを提案したんです。
日本政府からは、立場上は、「いろいろな国の政府といった承認されている人たちが集まるのであって、承認されていない人たちを呼ぶのは難しい」という話をされました。しかし私は逆に、そうすることによって、お互いに話をできる場を設けることができるのですから、国際社会の中で、そのような人たちと会っていくことは重要だろうと思っています。
中田:そうですね。
レシャード:同志社大学での会議には私も参加させていただいて、いろいろと話を聞かせていただいきました。実はタリバンがそのときに主張した統一の条件は、後にトランプ政権時のアメリカとの話し合いの中で出てきたのと全く同じ条件だったんです。
「アフガニスタン、あるいは中東にアメリカ・米軍が存在すること自体が、一つの大きな隔たりを作っている。米軍がいる限りは、一つのまとまった政府、まとまった国家はできない。米軍が出ていけば、我々はお互いに話し合って、いろいろな形でまとまることができる」と。
タリバンは2012年の時点でもこの主張を言ってましたし、2019年からもアメリカ政府との話し合いでその通りに主張しています。
もうひとつ、その時のカルザイ政権の代表であるスタネクザイ氏は、「自分自身も話し合いを持つことには賛成だ。そういう話し合いができればいい」と言っていましたので、正直言って私は、同志社大学での会議が次のステップに続くかなと期待していたんです。
1回で終わるのではなくて、それが2回目、3回目と続き、そこに日本の政府がもう少し参加する形になり、間を取り持ってもらえるような第三者的な立場で誰かが加わっていけば、もうちょっと早く結論ができていたのかなという気はしているし、当時そのように期待もしておりました。
残念ながらそれがどんどんと遅れに遅れて、今の現在になってしまったわけです。
中田:同志社大学での会議以降、タリバンは国際会議に出るようになったんですけれども、残念ながらアメリカやヨーロッパの国がやったものは全部失敗していて、結局ロシアとか中国のほうに主導権が移ってしまったので、今の形になってしまっているんです。それはすごく残念だと私も思っています。レシャード先生もやっぱりそう思われますよね。
レシャード:はい。全くその通りです。
(第3回へつづく)
構成:甲斐荘秀生