2021年8月15日、タリバンがアフガニスタンを制圧。「タリバンの恐怖政治が復活する」「タリバンは女性の権利は認めない」「米国の協力者は粛清する」等、それ以降も西側メディアは「タリバン=悪」説のプロパガンダに終始し、国際社会との協調を阻んでいる。
■そもそも「タリバン」とは何か
中田:日本人にとっては、「そもそもタリバンとは何か?」ということが一番分からないと思うんです。
まず前提として、「ターリブ」というのが元々の語源ですよね。これは「イスラムの勉強する学生たち」のことであって、元々は私もイスラムの研究者ですからその一人であったわけです。
ということはよく分かるんですけれども、今「タリバン」と呼ばれる人々は、それとはまた別なものですよね。
先ず、アフガニスタンの社会の中で、元々の意味のイスラームの勉強をした学生という意味での「タリバン」とはどういう人たちなのでしょうか?
先生はカンダハールの出身ですが、カンダハールには子供が多いですよね。
子供が多ければ、何人かはモスクに通って教育を受け、ウラマー(イスラームの伝統的諸学を修得した人々)になっていきますから、そういう人たちは社会の中に溶け込んでいるわけです。
カンダハールの場合は、普通の人たちは、「ターリブ」と言われる学生さんたち、あるいはマウラヴィーとかムッラーと呼ばれる人たちと、日常的にどのような接触があるのでしょうか? 例えば学校、あるいはお葬式や結婚式といったところに呼ばれたりするものなんでしょうか?
レシャード:まず私の小さい時の話をさせてもらいますと、ターリブとかムッラーとかマウラヴィーというのは、その地域にいなくてはならない存在でした。地域には必ずモスクがあって、1日に5回お祈りに行きます。お祈りを司るのはムッラーです。ムッラーのところに宗教を学ぶ学生がいてそれがターリブということですね。
個人的なことを言うと、私のおじが大変偉いマウラヴィーで、実はタリバンの総理大臣のムハンマド・アフンド師が彼の生徒、ターリブだったんです。私も彼に会ったことがあります。
中田:ああ、そうなんですか。
レシャード:そういうシステムが存在していました。いわゆる学校にも行っていますが、それと同時に学校が終わったらモスクに集まって宗教の勉強をする。
学校の放課後に行く塾では、学校の勉強ではなくて宗教の勉強をするわけですよ。普通の教科書ではなくて、コーランとかハディース(ムハンマドの言行録)の勉強を塾でやるんです。
中田:塾のイメージなんですね。
レシャード:そうです。塾をモスクでやるんですね。私塾としてやる時もあれば、どこかの村でやることもある。マウラヴィーがレッスンを開く塾をやるシステムがあるんです。それは珍しいことでもなんでもなくて、当たり前の日常でした。
実は私自身も、小学生の時にはその塾に通って、結構勉強しておりました。大変面白いことに、宗教の本だけではなく、哲学などいろんなことを勉強するのです。私はあるマウラヴィーに哲学を教えてもらって、あまりにもそういう学問に興味があるから、「お前、そういう仕事をやったらどうか」と言われたくらいです。
中田:なるほど。
レシャード:今現在もアフガニスタン、特にカンダハールは宗教が浸透しているし、モスクもムッラーが中心になって存在しています。但し現在は、宗教的な塾のシステムというのは昔ほどは多くはないと思います。
今でもマウラヴィーもムッラーも存在していますから、金曜日の礼拝の前には、多くの人が彼らに教えを仰いでいます。いろんなことを聞いて、礼拝が終わったら、知っている人も知らない人もみんな肩を並べたり、抱っこしたり、あいさつをしたりして、別れる。これが風習なんですね。
■政治組織としての「タリバン」
レシャード:一方で、今の政権を担っている「タリバン」と、今説明した「学生」の意味での「タリバン」とでは大きな違いが出てきます。
現在のタリバンも、1995年から6年の間は学生としての「タリバン」そのものが集まってきていたんです。
当時のアフガニスタンの状況は恐ろしく、派閥に分かれて殺し合いがあったり、軍閥や部族のような人たちが、自分たちの利益のために一般市民を本当に迫害したりと、いろいろなことがありました。それに見かねた学生たちが「我々がなんとかしなきゃ」といって作った組織が、現在のタリバンの原形です。
しかし学生だけでは何もできないので、一般市民が彼らを「よくやったぞ」「よく集まったぞ」「よくその気持ちになったぞ」ということで応援したり、一般市民が一緒に組織化されていって、それがタリバンの運動になったんです。
私の本の中にも書きましたが、初期の学生たち(タリバン)は「想い」は持っていました。しかし政治の技術や知識、発想の部分では全く無知だったので、そこに入り込んだのが、いわゆる「アルカイダ」なんです。
結局、国際社会は初期のタリバンを指導する立場、あるいは支援する立場を一切放棄した。しかし彼らは誰かの助けを必要としていた。そこにアルカイダが「お前らに政治を教えてやる」「政府のやり方を教えてやる」と入り込んだのです。
本来ならそこで国際社会ができることがあった、というのが私の考えであり、想いです。
今のタリバンは、その時代のタリバンとは違います。彼らは「タリバン」(学生たち)の名前の下に集まってはいますが、政治的な理由でまとまっている人たちなのです。
これはあえて言わなければならないことですが、彼らは「宗教を守る、イスラム教を守る」という基本的なスタンスこそ変わっていませんが、皆が皆それだけの知識を持っているかというと、持っていない。無知な人が多く集まってしまっています。
ほとんどの一般のタリバンの人たちは、ただ想いで集まっているだけで、知識も持っていなければ情報も持っていない。政府がどういう方向に動いているかを知らない人たちです。
そういう人たちが、人を殺したり、ぶったり、鞭で打ったりと、いろいろなことをしてしまっているのは、全く無知なレベルの一般のタリバンまで教育が行き届いていないということだろうと思います。
ですから、1996年から2001年までの過ちを繰り返さないためには、彼らがとんでもない方向に行く前に国際社会がきちっと彼らを指導したり、支援したり、ある意味では「縛り付けてあげる」ことも大事になります。「縛り」というのは、ただ規則で縛るのではなくて、何かの報酬の対価として「縛り」がついてくるものです。それはお互いに必要なことですし、今の世界の状況、情勢の中で当たり前のことでもあります。
それによってタリバンも、方向性を決めてしっかり進むことができる。その方向というのは国際社会から認められた方向であって、それがアフガニスタンの一般市民を何らかの成功に導く方向であるというべきだろうと、私はそのような想いでおります。
■タリバンは見分けがつくのか?
中田:元々の意味の「タリバン」は、20年ぐらいはイスラムの勉強をしっかりする人間がターリブだったわけですよね。
カンダハールでも、今「タリバン」と呼ばれている人がいっぱいいると思うんですけども、それは今言ったようなそもそもの意味での「勉強した人」なのか、あるいは今の政府としてのタリバンの職員なのかどうか。その辺は一般の人でも見ただけでも分かるものでしょうか? 我々外の人間から見ると、ターバンとかを巻いていると「あいつがタリバンなんだ」というふうに思ってしまいますが。
レシャード:見てすぐに分かるといった話ではないのですが、例えば、カンダハールのことだけを具体例に挙げると、一般的に、現地に住んでいたり今まで宗教的な勉強をしたりする人というのは顔見知りの人たちがほとんどです。だから、本来の「学生」の意味でのタリバンが誰か、この人は何を学んでいるかということは、地元の人間には分かるわけです。
中田先生もご存じのように、モスクで働いている人や、そういう指導している人たち、あるいは「学生」としてのタリバンには、ほとんどの場合、毎日地域の人たちが集めて食事を持って行きます。
中田:そうですね。
レシャード:お互いの生活が関係を持っている、一緒に暮らしているので、知らない人ではないのです。彼らはいろんな行事に参加します。お葬式や結婚式など、いろんな行事にムッラーだったり、ターリブがやって来ます。あるいは、ムッラーを呼ぶとターリブに必ず後ろに着いてきます。というのも、そのあとにご馳走が出るからです。
日常的に行われている行事の中に、彼らが浸透している。だからみんな知っているし、ムッラーとかターリブは子供たちの顔を知ってるから、子供がちょっといたずらをすると、道ばたでも捕まえて「おいお前、そんなことはやるんじゃないぞ」とか、いじめをすると「こら、それはやるべきことじゃないぞ」と叱る。こういうことが日常的にできている社会のシステムなんです。
それとは違い、政治組織としての「タリバン」というのは、ターバンをしているだけではなく武器を持っているとか、あるいは支配的な立場でいろんなことを言ったりする人々です。
普段から接している学生としてのタリバンではなくて、いわゆる政治的な組織としてのタリバンとして、そこは皆区別していると思います。区別しないと危険ですから、今度は逆に生活の上では「何か間違ったことでもしたら大変だ」と警戒しているんじゃないかと思います。
中田:そうですね。特にカンダハールのような地方なら日常的に付き合っているから分かりやすいのですれけど、カブールのように広いと多分分からないでしょうから、それが問題になっているんでしょう。それはどうしても出てくる問題ですよね。
レシャード:そうですね。
■日本人がアフガニスタンにできる「支援」とは?
中田:先生たちが運営されているカレーズの会の活動に対して、今我々が日本にいて、具体的にできることは何があるのか、お話を頂けますか?
レシャード:基本的に、私が日本の人々に対して一番重要なこととしてお話させていただくのは「関心を持っていただく」ことです。
関心がなければ、よそ者のことは全く知らんぷりで、よそで起こっていることなんて知りもしない。ですから、まず興味を持っていただく。なぜ、こういう状況が発生して、今どんな状況にあるか?そしてこれからどうなっていくのか?あの国の人たちは、これからどんな運命を辿っていくのか?という辺りのことに興味をもって、継続的に見ていただく。関心をもってフォローしていただくというを、僕は一番お願いしたい。
関心を持ち、知ることによって、その先に、それでは自分はどういう形で手を出せるのか?支援するか?ということが出てきます。
私は今も大学で講義をしています。学生たちには関心を持つこと同時にもうひとつ、「自分が人を助けると思うな」とお話しています。
「助ける」というおこがましい話ではなく、ちょっと自分ができる範囲内のことを一緒にやってみようという発想で、物事を始めなさい。そうすると自分の負担にもならないし、無理しなくて済んでしまう。それでできる範囲内のことをみんながやればいいわけなんです。時には、それで何もできないこともあるでしょうが、「関心だけでは可哀想だね。なんとかしてくれよ」と願ってくれるだけでもありがたいことなんですよ。
我々が運営している「カレーズの会」では、教育、医療、予防接種やお産にと、いろいろな大切なことをやらせていただいています。我々は今のところ、その活動に対して政府から一銭ももらっておりません。会員のご支援、会費といったもので、あるいは我々が自分たちで、ある程度都合をつけてやってきている活動なんです。
そういう意味では、皆さんの行為によって成り立っている組織であることを知っていただくことが私は一番大事なことだと思います。その上で、皆さま方のお気持ちでどこまで支援していただけるのか、ぜひとも考えていただきたい。その上でご支援していただければ本当にありがたいですし、他の組織が対応できない分、我々の患者さんがどんどん増えていますので、大変期待もしています。
二つ目に、我々は教育の分野でも活動をしていて、2009年に学校を作りました。定員480人の学校に今1600人も通っているんです。小学校として作ったら、そのまま皆学年がどんどん上がっていって、中学校になって今は高校になって、とそのまま上へ上がっていっているんです。今、高校二年生までいますので、来年は高校三年生までになって、そのまま高等部になっていくという形になります。校舎に入れないので、テントを張ったり、青空学級をやったり、今は三交代で教えるようにしています。教師が32人しかいなくて、そのうち女性が2,3人しかいない。それで第1回目は7時から11時で女の子を教え、第2回は11時から15時で低学年、第3回は15時から夜までで高学年、の3交替制にしました。タリバンがくる前から、男女別で勉強している形になっていたので、タリバンも、何も問題がない、と言ってくれました。ありがたいことに、600人近く女の子が勉強しています。
でもその子供たちには、教科書が足りていません。教科書、ノート、ペンは3人に1つくらいしかありません。それをお互いに仲良く使ったり、回して読んだりしています。
そういう当たり前の生活、当たり前の勉強、当たり前のことがなかなかできていないというのが現状です。
今、私たちの仲間がランドセルを集めています。日本の場合、ランドセルは、使い終わったら廃棄するだけですよね。それを日本で集めてこちらに送っていただいて、子供たちに配ると、子供たちは本当に大喜びなんです。日本の子供たちが、その中に鉛筆を2、3本入れてくれていたり、ノートを一冊入れてくれていたりとか。自分の絵を描いて出してくれているものもあります。そういうのを見ると、もう子供たちは涙が出るほどのうれしさで、それを見て私は本当に感動しています。捨てるランドセルでも喜ばれる。できることがあるんです。
もちろん薬を買うお金も必要ですし、働いてくれている人たちの給料のためにもお金は必要です。必要なものはいろいろありますけれども、そういう意味では「気持ち」ということが一番大事だということを、私は一番分かっていただきたい。このインタビューを通じてこの想いが伝われば、大変ありがたいことです。
■日本政府に求められること
中田:ありがとうございます。最後に、日本政府には何が求められるのか、教えていただけますか。
レシャード:今回のタリバンの制圧が起こる前から、私は日本政府に対して、ぜひともアフガニスタンのことに知らんぷりしないで、指導的な立場で動いていただきたいというお願いをしていました。現実として、アフガニスタンを支援した多くの国々の中で、軍隊を出さずに心の底から支援をしてくれていたのが日本なんですよ。
ですからアフガニスタンでは日本人はものすごい尊敬されているし、信頼されているところがあります。同じアジアの国々の中での日本ですから、ぜひとも日本政府は、アフガニスタンを見捨てるのではなくて、支えていただきたいです。
もうひとつ大切なことは、金銭的な支援も大事ですが、「腹をへらした人に魚を食べさせるんじゃなくて、魚の捕り方を教えてやってくれよ」ということです。そうすれば次からは自分で捕れるようになって、自力で食べれるようになる。そういう技術が今一番大切なんですね。
アフガニスタンは農業国です。日本は農業の産業が盛んだし、いろいろなやり方を分かっているのだから、ぜひとももう一回アフガニスタンで農業がちゃんと成り立つような支援していただきたい。みんなが自分で働いて食べていける術を作ってあげるということが、今一番大切ではないかなと思います。
そういうことを含めて、日本政府に優しさが欲しいと願っています。もうちょっと人のことを考えて、そこに住む人たちの想いを汲んでいただければありがたいです。
政治的な理由があるのは仕方ないことですが、それは別としても、少なくとも、アフガニスタンが今何を必要としているのか?食べていけるようにするに必要なことは何なのか?ということを、ぜひとも日本の国民、日本の政府にはご理解いただいて、そのような形のご支援をいただければ本当にありがたいと思います。
中田:ありがとうございます。できる限り伝えていきたいと思います。
■「生きていること」への共感こそが本質
編集担当:アフガニスタンに対して関心を持っていただくために、今回、中田先生が書いていただいた本がきっかけになるかと思っています。
レシャード:ありがとうございます。私も大きく期待しております。
編集担当:私からの質問として、日本のメディアの悪いところなのですけど、どうしてもタリバンを悪役に仕立てた。プロパガンダ的な報道が非常に多くて、現実的な「子供たちが飢餓に陥っている」といったニュースはまだ少ないくらいです。
そういったところの西側メディアのプロパガンダ、宣伝的な報道を、レシャード先生はどのようにご覧になっているか、そして我々日本人は、どのようにニュースを見ていったらいいか、うかがえますでしょうか。
レシャード:タリバンに対する報道の仕方は全くおっしゃる通りで、あまりいいニュース、いいアイディアが出てこないという面はあるし、それが印象を悪くしているというのは事実です。
しかし、タリバンであろうとなかろうと、アフガニスタンに人が住んでいるんです。生きて生活しているんです。その人たちがどのように安心して暮らしていけばいいのか?という観点を、私は先に考えていただきたい。
なぜそのように言うかというと、タリバンであろうとなかろうと、あの国を司る人が頑張ってくれないとしょうがないんですよ。その人たちがアフガニスタンをどういう方向に向かわせるのか?安心して暮らしていける術をどういうふうに身につけられるのか。それが僕にとっては一番大切です。
たまたま今までの政府がまともなことができなかったから、今のような状況になってしまった。多くの国々が支援したり、あるいは指導したり資金を出したり、いろんなことをやっていただきましたが、それが実を結ぶことはなかったんですね。
それを考えてみると、今は次のステップに期待するしかないんです。その「次のステップ」が今のタリバンの政権であって、だから今の彼らに我々は期待するしかない。彼らがどういうふうに国づくりをしていくのか?どういうふうな形の社会をつくっていくのか?そこを見守って、やっていくしかないと思います。
確かにタリバンは、いろいろなことを今までやってきましたし、あるいは印象が悪かったかもしれません。しかし彼らも、20年間いろいろなことを学び、世界中のいろんなことを見聞きしてきました。ですからきっと彼ら自身も、次のステップとして、この国の将来をどう担っていくべきなのかということをちゃんと考えてきていると思います。
但し、私が申し上げたように彼らが無知であったり、あるいは認識が十分でないとすれば、それは国際社会のみんなが指導して、なんらかの形で応援してあげたり、なんらかの形で方向性を示してあげる。そういった一番大事だろうと思います。
そういう心で、温かく見守る。見守るだけではなく、支援していく。
あるいはタリバンに、国を司ることになったんだったら、その国をどうしていくのが良いかをみんなで説いていく必要があります。説いていくのと同時に、じゃあ私たちはそこに何をしてやれるのか?どう支援できるのか、あるいは支えてやれるのか?という気持ちが今一番大事なことだろうと思います。
その根本にあるのは、先ほど言ったようにみんな生きているんです。大変な苦労をして生きている子供たち、大変な苦労をしている男性、女性、いろんな人たち。彼らの人生や生活を先に考えていただければ、誰であろうとも、それを守ってあげたい。支えてあげたい。ちょっとでもいい方向に向けさせてあげたいと思うでしょう。
そういったことを皆さんに考えていただきたいと、私は願っています。
構成:甲斐荘秀生