世界的に大ブームを巻き起こしているNetflix配信の韓国ドラマ『イカゲーム』。1.4億人がすでに観ているといわれ、Netflixでは過去最高の視聴率を記録している。
■容赦なく人間が殺され死んでいく痛快さ?
ちょっと前のことになるが、韓国の連続テレビドラマの『イカゲーム』のSeason 1を視聴したときに、「庶民って、どこの国でも救いがたいほど健気だな」と私は思った。
どういう意味か?
『イカゲーム』は2021年9月17日にNetflixで全世界に公開されて以来、アメリカではランキング第1位の人気だ。多額の借金や生活苦に悩む人々が、人生をやり直すための最後の機会として、一攫千金を賭けた6つのゲームに挑む。負ければ容赦なく死が待つ。勝ち抜いた「ひとり」だけが賞金456億ウォン(約43億円)を手にすることができる。
まだSeason 1なので、このゲームの真の組織者の全貌は明らかになっていない。勝ち残り大金を得た主人公が、やはりこのままにしてはおけないとアメリカ行きの飛行機から降りる時点でドラマは終わっている。Season 2も、きっと高視聴率を稼ぐだろう。
ドラマのプロットやキャラクターについては、以下のサイトでチェックしてください。『イカゲーム』とは? 「韓国版カイジ」と話題のNetflixドラマ、見るべき理由とキャストを解説 | ハフポスト (huffingtonpost.jp)
このドラマの面白さは、福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』と高見広春の小説『バトルロワイアル』を、巧みに換骨奪胎した点だけにあるのではない。無意味にどんどん人間が容赦なく殺され死んでいく展開が、まず面白い。ほんとうに簡単に無意味に無慈悲に人間が殺されて行く。
■大量殺人シーンの先駆けはアメリカ映画のダークヒーローたちだった
ちょっと前から、アメリカの映像作品には、この傾向が見えていた。この傾向というのは、ポリコレ無視の人権無視の公序良俗無視の大量殺人シーンの頻出だ。アクション映画だからあたりまえとはいえ、前はこれほどではなかった。
たとえば、2014年から何作も発表されてきているキアヌ・リーブス主演兼・製作総指揮のアメリカ映画の『ジョン・ウィック』(John Wick)シリーズは、主人公の元殺し屋が復讐のために延々と敵を抹殺する。主人公はひたすら殺しまくる。
たとえば、これも2014年に発表されたアントワーン・フークア(Antoine Fuqua)監督、デンゼル・ワシントン主演の『イコライザー』(The Equalizer)の元CIAのエージェントで、今はホームセンターで働く初老の男性のロシアマフィアの殲滅ぶりには惚れ惚れする。
2018年発表の続編では、主人公はウーバー・タクシーの運転手をしながら、「必殺仕事人」のごとく正義の行使を請け負う。インターンの女子学生に性的虐待するエリート社員グループの鼻や腕の骨を折りまくる。自分から逃げた妻を許せずに、子どもを自国に誘拐した男と仲間を懲らしめる。元同僚を惨殺したCIA崩れたちを壊滅させる。
■『イカゲーム』以前の韓国ダークヒーロー・ドラマも大量殺人が見もの
これらのダークヒーロー大量殺人アメリカ映画の影響を受けたのか、最近の韓国映画やドラマでは、ダークヒーローが大活躍して悪人を大量に処分する。
「ダークヒーロー」とは、正義の味方みたいな勧善懲悪ヒーローではない。
母親に養護施設に預けられた少年はイタリア人の養子になり、ヴィンチェンツオと名付けられ、東洋人差別に遭いつつイタリアで育ち、才能と腕っぷしを買われてマフィアの顧問会計士になり、マフィアの資金洗浄に辣腕をふるう。ついには、韓国に帰り、人権派弁護士を殺害する政治家と癒着した不動産会社から雇われたマフィアを壊滅させる。
もっとすごいのがドラマの『バッドガイズ 悪の都市』(2018)だ。これは同名の映画のスピンだ。最初から乱闘シーンばかりだ。あの乱闘シーンは、おそらく日本映画の『クローズZERO 』(2007)の影響を受けている。
韓国ドラマの『バッドガイズ』は、女性刑事含めた大量の刑事や検察官や検察事務官までもが、血だらけで戦う。悪徳ブラック企業家と腐敗市長の癒着により、まっとうな市民生活が破壊されている某地方都市を正常化させるために、彼らや彼女は敢えて悪党bad guys になる。
■真実が暴かれる21世紀の庶民は疲弊している
なぜ、このようなダークヒーローが残酷に大量殺人をする映画やドラマがアメリカや韓国ばかりでなく、日本でも人気を博しているのか?
ヒントは、『ヴィンチェンツオ』の中で女性弁護士が言う台詞の中にある。「イタリアのマフィアはシシリーにいるだけ。
上が上なんだから、法そのものが恣意的なあてにならないものなのだから、実質的には法治国家じゃないのだから、生き抜くためには下もマフィアになるしかないということだ。
日本社会は、そこまでは腐っていないと思いたいかもしれないが、真実はわからない。
ドラマや映画を製作する側も、それを消費する側も、2021年に生きる人間とならば、以下の8点を共通認識としている(と思う)。
(1)教科書に書いてあることは、真実のほんの一部。歴史のほんの表面。教育は、国民を奴隷にするために機能している洗脳機関。常識を疑え!
(2) 立派なスローガンや主義主張の背後には、残酷冷酷な意図が潜んでいる(ことが多いかもしれない)。地獄への道は善意で敷き詰められている。
(3)TVや映画を含み大手メディアは、それらの立派なスローガンや主義主張の残酷冷酷な意図を隠し、糖衣状にして流通伝搬させる装置。
(4) そういうメディアの策略を読むメディア・リテラシー(media literacy)を身につけることは非常に難しい。せいぜい中途半端な陰謀論者になり、脳と心が一層に混乱するだけだ。
(5)価値観の相対化が進み倫理も美意識も人それぞれになるのは、多様性を認めあう理想の世界に見えて、実際には人々は何を守ればいいのかわからなくなった。表面的にはポリコレぶりっこだが、実際は、無規範(anomy)が世界に蔓延しつつある。
(6)そういう世界の中で、人々は自己防衛のために他人を潜在的脅威とみなし、相互不信が人間関係の基調になる。人間は相互扶助のために集団を形成するはずが、集団形成そのものが難しくなりつつある。たとえば、個人が属する最小集団である家族そのものが個人にとって危険なものとなるように。古代からそうだったのかもしれないが、それが暴露されてきた。
(7)「お上」は庶民から収奪するだけの存在であり、特権的支配層は「お上」と結託して税金の中抜きが自由にできる。ならば、自分たちだって、脱税や課税回避地域への資産逃亡や非合法行為は自己防衛として許されるというアナーキーな心情が、多くの企業人や庶民の心に形成された。
(8)昔の庶民は、良きにつけ悪しきにつけ、メディアの発達もなく、factだろうがfakeだろうが、情報にアクセスする機会も手段もなく、特権層の腐敗も知らず、価値観の混乱や無規範に翻弄されることもなかった。しかし、現代に生きる庶民は、真実もゴミも大量に浴びるので疲弊する。
つまり、現代に生きる庶民は、この世界の真実をいくばくか知ってしまったので辛い。2020年からの新型コロナ・ウイルス騒ぎに関しても、事実なのか人口削減のためのフェイク・パンデミックなのか判断がつかない。
そんなややこしい状況を生きる庶民にとっては、勧善懲悪アクション映画の単純さが嬉しい。悪い奴は問答無用で大量に殺される映像を視聴することは、ささやかに心の毒ガス抜きになる。
映画やドラマで人間がバタバタ死んで行く場面というのは、戦争や大災害などの事実を基にしたものでなければ、見ていて快感がある。あくまでもフィクションだからだ。勧善懲悪劇というフィクションだからだ。
■『イカゲーム』の大量死は、ダークヒーロー映画の悪人大量死とは違う
しかし、『イカゲーム』の大量死は、同じフィクションでも、最近のアメリカ映画や韓国アクションドラマのダークヒーローたちの悪人大量粛清フィクションが与えるような、心のガス抜き効果は低い。
それはなぜか。 『イカゲーム』で大量にバタバタと殺されていく人々は、愚かではあっても悪人と呼ぶほどの悪人たちではないからだ。
たかが借金返済ができず、落ちこぼれになった程度のことが悪だろうか。国民を飢えさせる政府を持つ国から韓国に逃げてきて、生きて行くためにスリをしている程度のことが悪だろうか。
『イカゲーム』に登場するカネに追い詰められ、死のゲームに参入する庶民たちの、なんという健気なことか。いじらしいことか。彼らや彼女たちは自堕落でアナーキーに見えるが、その姿勢の根底には、彼らや彼女たちも意識していない「まっとうでありたいという欲望」がある。「自分の責任を果たそうとする倫理性」がある。
主人公は離婚した妻の元にいる娘に恥ずかしくない父になるために、病気の母親の医療費を払うためにゲームに参入する。ある娘は北朝鮮に残る両親を脱北させ、孤児院にいる弟を引き取るために。ある極道は使い込んだ親分のカネを返済するために。苦学してソウル大学を卒業した秀才は、横領した会社のカネを返済し、抵当に入れてしまった母の店や家の所有権を買い戻すために。
彼らや彼女たちは、「まっとうでありたいという欲望」や「自分の責任を果たそうとする倫理性」など棄ててしまえば、こんなゲームに参入することはなかった。借金など踏み倒していいのだ。会社のカネなど横領したまま逃げればいいのだ。家族のことなど、その家族が何とかすればいいのだ。他人を幸せにするなどという大それたことなど考えなくていいのだ。
言い換えれば、彼らや彼女たちは、彼らや彼女たちの持つ善性のためにゲームに参入し、殺される。大量に次から次へと。
彼らや彼女たちは、唯々諾々として番人たちに監視管理されていないで、一致協力してゲームの番人たちから銃を取り上げ、カネを奪って分け合おうとも思わない。なんという「遵法精神」だろうか。
■政治体制や経済政策の失敗を自分の失敗と錯覚させる仕組みを見抜けない『イカゲーム』の人々
なぜ、彼らや彼女たちは、政治体制や経済政策の失敗が自分たちに課した苦難を自分たちが解決すべきものと勘違いして、救いようがないほどの健気さを発揮するのか。
それは、この世界や社会の仕組みについて無知だからだ。その仕組みは、自然発生的にできあがったものではなく、彼らではない誰かにとって都合よく捏造されたものでしかないと思い至らないからだ。
彼らや彼女たちの心の根底を呪縛する「まっとうでありたいという欲望」も、「自分の責任を果たそうとする倫理性」も、彼らや彼女たちではない他人によって刷り込まれたものだ。一種の洗脳だ。そんなもののために、なぜ自分の生命を賭けるのか。
一見すると、『イカゲーム』は人間の生き抜こうとする欲望や、だからこその生存競争の残酷さの寓話に見える。製作者の意図はそうなのかもしれない。
しかし、私にとっては、『イカゲーム』とは、政治体制や経済政策の失敗によって引き起こされた不遇を自分の責任と思いこみ、命まで投げ出してその不遇を解消する、責任を果たそうとする人間の善性の悲劇を描いているように思える。
その意味で、『イカゲーム』は、逆説的な道徳物語だ。同時に、自分たちの善性や倫理性の起源を深く問うことができない人々の悲劇でもある。登場人物たちは、自分で自分たちをゲーム囚人島に閉じ込めている。
カネは非常に大事だ。しかし、たかがカネではないか。倫理は非常に大事だ。しかし、たかが倫理ではないか。自分の命を賭けるほどのものではない。借金を贈与と言い張って返済しない類の人間の真似でもして、厚かましく堂々と生き抜けばいいのだ。たとえば誰を真似しろとまでは書かないが。
文:藤森かよこ