新刊『タリバン 復権の真実』を上梓し、いま講演にお呼ばれして東奔西走中のイスラーム法学者・中田考先生。しかし、レンタルおじさんの依頼は依然絶えません。
依頼者:私は数年前にサウジ人との再婚を期に改宗したムスリムなのですが、本日は中田先生にイスラムの価値観を持ちながら日本でどう過ごしたら良いかなど聞きたく伺いました
中田:ご依頼ありがとうございます。サウジ人と言えば、もう30年前になりますが、サウジアラビアの首都リヤドの日本大使館で専門調査員として働いていていました。その間にサウジ人と一緒にメッカ巡礼をして、そこで知り合ったサウジ人の書店主の出版社から博士論文を出版したりしたので、よく知っています。新しい旦那さんはどのような方なのですか?
依頼者:私の20歳年下で日本の大学に留学していたんですが、卒業した今は休職しています。
中田:「アラブ」というのは、「雄弁に話す民」という意味だ、というぐらいで、アラブ人は一般に口は動かしても身体は動かさない人たちですが、アラビア半島のアラブの中のアラブであるサウジ人は特にそうですね。特に石油が湧き出して働かなくてもオイルマネーが入ってくるようになってからは、本当に働かなくなりましたね。
依頼者:そうなんです。ともかくしゃべることはよくしゃべる。立派なことだけは言うんですが、言葉だけなんです。ちっとも行動が伴わない。実は日本語もよくしゃべるので、聞いている日本人はこの人は日本語ができるのだろうと思っているんですが、実は読み書きはできないんです。
中田:よくそれで卒業できましたね。
依頼者:弁舌巧みに先生や学生たちをうまく丸め込んだみたいです。
中田:ああ、わかります。あまりに堂々と話すので、なんとなくこの人は偉いんじゃないかと思ってしまうんですよね。私たちのような奥ゆかしい日本人は。
依頼者:ええ、世渡り上手というか。でも悪い人じゃないんですよね。他人を騙してお金を巻き上げるとかするわけではないし。ただともかく偉そうなことを言っているだけで、汗をかかずに楽をして生きて生きたい、ということなんですよね。
中田:それで生きていけるなら、それでいい。生きていけなくなれば、その時に考えればいい。今困っていないのに悩んだり心配したりするのはばからしい、そんな感じでしょう。
依頼者:そうなんです。楽観的と言うか、ポジティブなんです。
中田:私たち日本人は見ててなんだか腹が立ってくるんですけど。イスラーム的にはそれで正しいんですよね。幸せでなんでも神に感謝して生きることがイスラームの神髄ですから。
依頼者:彼を見てると、将来のことを思い悩んでいる自分の方がばかにみえてきますね。
■日本でイスラムの価値観を持つこと
依頼者:ムスリムとの結婚だったので私自身は特に何の抵抗もなく改宗したんですが、周囲からはあまり良い反応をされず、なんとなくヤバい宗教にハマっているとかそんな風に思われているようなんですよね(笑)。
中田:日本では、普通の人は宗教は必要ない、宗教に入るのはどこかおかしい人、と思われていますからね。それに宗教に入ると、教会のようなところに連れていかれて、寄ってたかって洗脳されて、献金させられて、怪しげなグッズを売りつけられるとか。でもイスラームの場合そんなことぜんぜんないでしょう。
中田:ええ、特に女性は普通はモスクにも行かないし。旦那は行ってるのかなぁ。良く知りませんけど。モスクから集金が来たりもしません。無職の旦那に居候されていることぐらいですが、それもイスラームのせいといえばイスラームのせいですけど。
中田:いや、本当はイスラームでは妻の生活費を稼ぐのは夫の義務で妻は働かなくていいんですけどね。
依頼者:そういうこともあって普段はあまりヒジャブ(頭にかぶるスカーフ)をしたりっていうこともなく周りに溶け込んで仕事をしたり、生活しているんですが、イスラームの価値観を持って日本で暮らす事に息苦しさみたいなものを感じますね。
中田:ただでさえ日本はもともと世間の目を気にし、上司に忖度し、友達にもあわせて、そのうえ最近ではSNSの「いいね」にまで一喜一憂しないといけない高ストレス社会です。その上にイスラームの戒律にまで縛られたのではたまったものではありません。
イスラームの教えで一番大切なのは、親であれ先生であれ社長であれお得意様であれ総理大臣であれ、全宇宙の創造神以外の誰にも従う必要も気を遣う必要もない、神の命令以外に背かない限り何をしようとどう生きようと絶対的に自由だということです。この信仰を体得するまでは、細かい戒律など気にかけても仕方ありません。イスラーム法を守り施行するカリフのいない世界では重要なのは唯一神だけに帰依し拠り頼む信仰であって戒律ではありません。
■アラビア語学習に限らず「中田式語学学習のススメ」
依頼者:前夫との間の中学生の息子がアラビア語を勉強していて初級者向けのテキストを終えたところなんですが、勉強の仕方などアドバイスがあればお聞きしたいです。
中田:まず、なんのためにアラビア語を学ぶのか、です。アラブ人と会話をしたいと思っているなら、はっきり言ってやめた方がよいです。アラブ人と話しても不愉快な思いをするだけですから。
依頼者:先生、そんなに嫌な思いをしたんですか。
中田:エジプトでは毎日毎日、こいつらはなんでここまで他人を不愉快な気分にさせられるのか、と今から思い出しても脳の血管が切れそうな思いをして暮らしていましたね。
それにだいいち、エジプトではちゃんとしたアラビア語は全く誰もしゃべっていなくて、似ても似つかないアンメーヤという口語で話さないといけないので、アラビア語を勉強してもまったく役に立ちません。
依頼者:では何のために勉強するのでしょう。
中田:アラビア語を学ぶ目的は、イスラーム学の本を読むため以外にはありません。ドラマを観るなら、韓ドラを見た方がいいし、小説を読むなら日本語のラノベでも読んだ方がずっと面白いですから。
依頼者:イスラーム学の本は難しそうですけど、どうやって勉強すればいいんですか。
中田:イスラーム学の本に限りませんが、語学は最低限の文法事項を学んだら、家庭教師をつけて自分の読みたいものを読んでいくのが一番です。細かい文法や例外規則はそもそもあまり出てきませんから、最初から習う必要はありませんし、習っても使わないので忘れてしまって身に付きません。それにどんな言語でもそうですが、必要な語彙は分野によって違うので、要らない単語を覚えても仕方ありません。古典イスラーム学を学ぶのには、家庭電化製品、公共交通機関、経済制度、行政機構、スポーツ、アートなどの名前を覚えても無駄です。必要な言葉は何度も何度も出てきますから、忘れてもそのたびに辞書をひいて調べればいつかは覚えます。文法細則、例外規則も出てきた時に先生に聞けばよいのです。
依頼者:文法や単語も忘れてちゃってもいいんですか。
中田:サヴァン症候群のような特殊な場合を除いて、人は覚えたことも忘れるものです。普通の人間が語学を上達する秘訣はただ一つ。忘れる以上に覚えることです。ザルで水を汲むようなものですが、ザルについた水滴でもたくさん集めれば、コップに一杯ぐらいは溜まって乾いた喉を潤すぐらいはできるものです。そして忘れる以上に覚えるためには、できるだけ覚えるものの数を減らすことが大切です。だからどんなに難しくても、簡単なものを選んで興味のない簡単な読み物から始めるような寄り道をせず、たとえ難しくても最初から自分の知りたい分野のものをいきなり読んでみるのが結局のところ本が読めるようになる一番の近道なのです。
構成:ヒサマタツヤ