◆尾身会長も小池知事も矛盾だらけ



 わが国における新型コロナの新規感染者数は、2月はじめに10万人を突破。



 「まん延防止等重点措置」の適用される都道府県も、2月13日現在、1都1道2府32県に達しました。



 13日で期限を迎えるはずだった東京など1都12県の重点措置も、3月6日まで延長されることに。



 昨年暮れには、2022年1月末から「Go To トラベル」キャンペーンを再開するなどという話もあったのですが、第六波が収束するまでは夢物語でしょう。



 



 けれども2020年から2021年にかけて、4回の緊急事態宣言を経験したあとでは、「もう行動制限はうんざりだ」という風潮も強い。



 そのためでしょう、政府の基本的対処方針分科会の尾身茂会長は1月19日、「今までやってきた対策を踏襲するのではなく、オミクロン株の特徴にあったメリハリのついた効果的な対策が重要だ」と語り、従来の措置とは性格が異なることを強調。



 「人流抑制」ではなく「人数制限」がキーワードだとしたうえで、外出自粛や飲食店の閉鎖は必要ないとも述べています





 しかしそうなると、措置にどれほどの効果があるのか疑わしくなってくる。



 オミクロンは感染力が強いのではなかったのか?



 



 ついでに人流抑制をしないまま、飲食などにおける人数制限が実施できるというのは本当か。



 店を閉める必要はないとのことながら、尾身会長、「路上飲み」をご存じないらしい。



 



 それどころかステイホームまで必要ないとのこと。



 リモートワークもしなくていいようなのです。



 メリハリがついているなあ!



 



 コロナ対策に関わる専門家有志は1月21日、政府に提言を出しましたが、こちらは人数制限を適切としながらも、以下のようにかなりトーンダウン。



 



 【感染状況等の実情も踏まえて、各都道府県知事の判断により、“人流抑制”を加味することもあり得る。

感染拡大・医療逼迫が悪化した場合には、さらに“強い対策”が必要になる可能性もある】



 



 この「有志」には尾身会長も名を連ねている。



 わずか2日で、実質的な発言修正に追い込まれたのです。



 提言発表の前日、1月20日の夜など、全国知事会の平井伸治会長(鳥取県知事)から真意の説明を求められ、「ご迷惑をかけた」と陳謝するハメに。



 



 他方、東京都の小池百合子知事は、尾身会長の最初の発言があったのと同じ19日、「誰もが感染するリスクがある。都民、事業者、行政が一体となって危機感を共有し(、)感染を抑え込む」として、不要不急の外出や都道府県をまたぐ移動を自粛するよう呼びかけました



 会長とまるで足並みがそろっていないものの、同時に注目されるのは、小池知事が「感染は止める。

社会は止めない」とも語ったこと





 だったら、外出や移動の自粛を求めるのはおかしいのでは?



 だいたい社会を止めずに感染を止めるというのが、しょせん無理筋。



 尾身会長も小池知事も、発言が矛盾だらけとしか思えないのであります。





◆経済被害も「健康への被害」だ



 措置を実施する側がこのありさまですから、他の人々の混乱ぶりはもっとスゴい。



 経済同友会の桜田謙吾代表幹事は、1月18日にこうコメントしました。



 リンク先の動画、2分24秒~2分39秒の箇所です。





 【(オミクロンの)重症化率は場合によっては、いや、あの、恐らく間違いなく、インフルエンザよりも低いかも知れない中で、なぜ今、まん延防止措置なのかということについて、もうちょっとしっかりとした説明が必要だろう】





 場合によっては、



 いや、あの、



 恐らく間違いなく、



 低い、



 かも知れない!!





 何を言わんとしているのか、自分でも分からないまましゃべっているのだろう、そう見なされても抗弁できた義理ではありません。



 ついでに桜田代表幹事、オミクロンがインフルエンザと比べても怖くないとほのめかしていますが、この主張の説得力、ないしその欠如については、「オミクロンのもとで経済を回す方法」で述べたとおりです。





 ただし、このような矛盾や混乱が生じるのにも、もっともな理由がある。



 行動制限は感染拡大を防ぐため、つまり社会全体の健康を守るために行われますが、じつはそれ自体が社会を不健康にするのです。





 くだんのメカニズムを理解するには、WHO(世界保健機関)が「健康」をどう定義しているかを知らねばなりません。



 1978年、WHOはUNICEF(国連児童基金)と共同で、「世界的な健康の確立」をテーマとする国際会議を開催しました。



 会場となったのは、ソ連(当時)のアルマ・アタ市。



 今ではカザフスタンの「アルマティ」として知られる都市です。



 



 会議で採択されたのが「アルマ・アタ宣言」。



 2000年までに、地球上のすべての人に健康をもたらそうと謳ったものですが、同宣言の第一項は「健康」を以下のように定義しました。



 



 【肉体、精神、社会活動について、完全に充実した状態であり、たんに病気にかかっていないとか、虚弱でない状態とは異なる】



 



 くだんの定義をコロナに当てはめると、どうなるか。



 そうです。



 ただウイルスに感染していないだけでは健康とは言えない。



 社会活動について、完全に充実していなければなりません。



 



 しかるに行動制限のもとでは、感染していなくとも社会活動に制約が生じる。



 アルマ・アタ宣言の定義によれば、健康でなくなってしまうのです!



 



 コロナに感染していない人にとって、行動制限に従うことは、健康であるにもかかわらず、「たんに病気にかかっていない」だけの存在へと格下げされるのにひとしい。



 政府や自治体によって、健康を奪われる形になってしまうのです。



 



 社会全体の健康を守るためと称して、オレの健康を奪うなんておかしいじゃないか!



 



 そう感じる人々が出てきて当然でしょう。



 このような「健康の剥奪(はくだつ)」の最も分かりやすく、かつ切実な形こそ、売上げや収入の減少、つまり経済被害にほかなりません。



 



 コロナ禍をめぐっては、感染拡大による健康への被害、いわゆる「感染被害」と、社会経済活動への被害、いわゆる「経済被害」との間に、トレードオフの関係があるとしばしば見なされます。



 一方を小さくしようとすると、他方が大きくなるというわけですが、「社会活動の充実も健康の一部」と考えるとき、経済被害もまた「健康への被害」。



 両者の違いはなくなるのです。



  



◆コロナ対策が失敗するメカニズム



 今までの話をまとめると、以下のようになります。





(1)コロナによる「健康への被害」は、感染拡大によっても生じるが、行動制限によっても生じる。



(2)感染拡大によって生じる「健康への被害」が、感染被害である。



(3)行動制限によって生じる「健康への被害」の代表格こそ、経済被害である。





 感染拡大を抑制しようとして行動制限を取ると、経済被害という「健康への被害」が生じるのですから、感染被害と経済被害の間には、たしかにトレードオフの関係がある。



 となれば行動制限を取ったところで、「健康への被害」を抑え込むことはできない。



 良くて無益、悪くすると有害という話になります。





 と・こ・ろ・が。





 『感染の令和』に収録した「予言された疫病の記録」で詳細に論じたように、感染被害と経済被害の間に成立する関係はトレードオフだけではない。



 感染が拡大すると、社会経済活動に参加できない者が増えてしまう。



 軽症であっても、高熱や全身の倦怠感をはじめ、嘔吐、下痢、血栓まで生じうる以上、重症化率が低ければ大丈夫と構えることはできません。



 



 社会経済活動に参加できない者が増えるとき、経済がちゃんと回るはずがない!



 「オミクロンのもとで社会の基盤が揺らぐ構造」で述べたとおり、社会活動全体が止まるリスクすらあります。



 感染拡大を阻止しないかぎり、感染被害はもとより、経済被害も抑え込むことはできません。



 二つの「健康への被害」が、ともに増大するのです。



 



 のみならず。



 感染被害と経済被害の間に「トレードオフの関係がある」ことと、「トレードオフの関係しか存在しない」ことを混同すると、感染拡大対策を緩めさえすれば、社会経済活動が維持できるような錯覚に陥る。



 「最強のコロナ対策は、対策を緩めることだ!」という次第ですが、この発想を真に受けて実践すると、いかなる顛末が待っているかは、同記事でお話ししたとおり。



 



 そして感染被害と経済被害の間にトレードオフの関係しかないと思い込んだまま、感染拡大阻止と社会経済活動の維持を同時に追求すると、どうなるか?



 ハイ、そうです。



 



 「人流抑制ではなく人数制限がキーワードだが、感染状況によっては人流抑制や、さらに強い対策が必要になる」



 「感染は止める。社会は止めない。ただし不要不急の外出や、都道府県をまたぐ移動は自粛してほしい」



 「場合によっては、いや、あの、恐らく間違いなく、(重症化率が)インフルエンザよりも低いかも知れない」



 



 こういった言動をすることになるのです。



 では、いかなる対応を取るのが正しいか。



  



◆豊かさと健康は切り離せない



 答えは単純明快。



 行動制限によって生じる「健康への被害」にたいする抵抗力を強めるのです。



 ワクチンのブースター接種と同じこと。



 



 これは簡単にできます。



 財政出動によって、経済被害を補償すればよろしい。



 社会活動に制約が生じていても、社会活動が充実している状態と同じ、ないしそれに近い金銭が得られれば、「たんに病気にかかっていない状態」から「健康な状態」へと昇格してゆけるではありませんか。



 



 経済被害の補償は、健康の補填としての役割を持つのです!



 ところが政府は、ブースター接種の前倒し実施には熱心な一方、経済被害にたいする補償を拡充させることには消極的な模様。



 経済被害も「健康への被害」ですから、これではコロナ対策を十分に行っているとは言えません。



 



 ついでにパンデミックが終息、つまり完全に収まるまでは、行動制限がかかっていなくとも、収入や売上げの減少が生じやすい。



 言い換えれば「ブースター補償」も、まん延防止等重点措置、さらには緊急事態宣言の適用とは無関係に行うべきもの。



 



 「豊かさ」を意味する英語「wealth」が、「健康」を意味する「health」と語源的に深く関連しているのは、決して偶然ではありません。



 同時に「health」は、「全体」を意味する「whole」とも深くつながった言葉。



 豊かさと健康は切り離すことができず、かつ社会全体において成立させることが重要なのです。



 



 国家、とりわけ共和国を指す英語に「commonwealth」(コモンウェルス)があるのは、関連して意味深長。



 「Common」は「共通の」「公共の」「一般の」といった語義の言葉ですが、豊かさが共有されてこそ、社会はうまく機能するのです。



 そしてこれは、健康も共有されることにひとしい。



 



 わが国でコロナの抑え込みに最も成功してきた県の一つは岩手県ですが、同県の達増拓也知事が、かつて「岩手コモンウェルス構想」を提唱したのも、やはり偶然ではないでしょう。



 重点措置を実施していないせいか、最近は感染者が増えぎみなものの、直近1週間の人口10万人あたり感染者数を見ると、島根県・鳥取県とともに今なお最少クラス。



 そしてコロナ対策をめぐる達増知事の考え方は、『感染の令和』で論じたことと多分に重なるのです。



 



 感染被害と経済被害の間にトレードオフの関係しか存在しないと思い込むことの問題も、ずばり「health」と「wealth」を切り離してしまう点にあります。



 「Health」のために「wealth」を犠牲にするか(=行動制限をかけて、経済被害の拡大に耐える)、「wealth」のために「health」を犠牲にするか(=行動制限をかけず、感染被害の拡大に耐える)、どちらかだという話になる。



 ところが豊かさと健康は、そもそも切り離せない!



 



 これでコモンウェルスが維持されるはずはありません。



 発想を切り替えないかぎり、われわれは社会全体として、豊かさと健康をともに失うことになるのです。





文:佐藤健志