BEST TIMES人気連載だった森博嗣先生の「道なき未知 Uncharted Unknown」。不可解な時代を生き抜く智恵や考え方を教えていただきました。
第3回 もう充分に生きただろう
【今はロスタイムだと認識している】
子供の頃から躰が弱く、病院に通う日が多かった。すぐに具合が悪くなり、お腹が痛い、頭が痛い、気持ちが悪い、といった症状に悩まされた。僕には兄がいたのだが、僕が生まれるまえに亡くなっている。だから、両親は心配して、なにかあるとすぐに僕を医者へ連れていった。そんなふうだったから、自分は長くは生きられないと感じていた。
父も躰の弱い人で、入院が多かった。心臓の発作で倒れ、僕が薬を口に入れたこともあった。父からは、自分は長生きしないから、早く独り立ちしなさい、といわれて育った。大人になったら、自分の力で生きていくしかない。どうやって生活しようか、と考える子供だった。
しかし、そんな父は、84歳まで生きた。72歳で亡くなった母の方が早かった。僕自身は、自分の人生は60年だろうと想像していたから、47歳で退職したし、小説の仕事も早めに切り上げ、55歳くらいでほぼ引退の身となることができた。
今年の12月で65歳になる。既にロスタイムに突入していて、「余命」といっても良い。5年まえだったか、ドライブ中に気分が悪くなり、救急車で運ばれた。いよいよ死ぬときが来たな、と思ったのだけれど、MRIなどの検査をしたところ、どこも悪くない。
このとき、ここで『道なき未知』の連載中で、病室から編集者に「少し待って下さい」とメールを送ったのを覚えている。隔週連載は遅れることなく順調に続いた。
この件については、三年後に違う医師に診てもらい、良性発作性頭位目眩症ではないか、といわれた。目眩はしょっちゅうなのでなんともいえないが、そうだったら良いなとは思っている。
【欲しいものはもうほとんどない】
前回、どんな趣味で毎日遊んでいるかをざっくり書いたけれど、欲しいものは躊躇なく手に入れているので、若いときから憧れだったアイテムは、もう自分のものになってしまった。すると、欲しいものが新たに出現しないかぎり買うことができないから、今はお金を減らすことに不自由している。無理に減らすこともないし、買ったままで、あまりいじっていない温存品も数多く、悩む暇もないといえば、そのとおりである。
かつては、世界中の模型屋を訪ね、欲しいものを探していたのに、今はたちまちコンタクトが取れるし、むこうから「こんな品が入りましたけれど、いかがですか?」と連絡をいただくようになり、若い頃のドキドキ感がやや減衰している寂しさはある。でも、寂しいことが好きなので、嫌だとは思っていない。
【ガラクタに囲まれて暮らしている】
「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現があるが、僕の家が、そのおもちゃ箱そのもので、中身は散らかり放題だ。地震が来てもほぼ同じ状況だと断言できる。僕のおもちゃは、段ボール箱に詰めて引っ越しをすると、およそ700箱くらいになる。実際に引っ越したときに数えた。箱に入れられない大きなものは除外して、の数字である。
多くのものは、ガラクタ、あるいはジャンクだ。壊れているものが大半。機能を維持しているものもあるにはあるが、埃まみれ、油まみれになっている。ガレージが幾つもあって、設計時には5台の車が入るはずだったが、現在、車はすべて屋外に駐車されている。
どうしてこんな事態に陥ったのか、という分析はしていない。自分の性格からして、容易に予測できたことであり、もし家の中に収まらなくなったら引っ越そう、という対策しか考えていなかった。ものを捨てることはしないし、また売ったりしたことも一度もない。人にあげたこともない。これ以上に欲しいものがないから、お金も減らなくなった。物もお金もこのまま微増し続けるのか、と諦めている。
楽しいことは楽しい。ガラクタの中でなにかを探していると、忘れていたものが出てきたりして、本当に得した気分になれる。また、将来を見越して買っておいたまま忘れていた新品も出てきて、過去の自分に感謝の黙祷を捧げたくなる。
模型店かおもちゃ屋が開業できるほど品数がある。こんな森の中でお店を開いても誰も来ないだろうけれど。
【犬が家族】
一人で一日中遊んでいるから、家族となにかを一緒にするということがない。家族もそれぞれ一人で遊んでいる。犬も家族のメンバだが、人に遊んでほしがるので、しかたなくつき合ってやるしかない。僕が世話をしている犬を、僕の奥様(あえて敬称)は「ぷう」と呼んでいる。しかし、そんな名前ではない。奥様と意思の疎通が取れていない証拠だ。
こんなに自由で、ひっそり静かに生きられるようになったのは、何のおかげだろうか?
それは、結局、周囲のあらゆる「柵(しがらみ)」を断ち切ることができたからだろう。本当にそれだけのこと。同時に、「絆(きずな)」もない。柵も絆も、せいぜい犬の世話をするくらいしか今はない。
他者のことを気にしない、というだけで、孤独になれる。孤独になりたい、とまず望むことで、この静かな自由が楽しめる。
文:森博嗣