BEST TIMES人気連載だった森博嗣先生の「道なき未知 Uncharted Unknown」。不可解な時代を生き抜く智恵や考え方を教えていただきました。

同タイトルで書籍化され、多くの読者の心を掴みました。あれからもうすぐ5年。新型コロナ感染の流行、ロシアのウクライナ侵攻、経済格差の広がりやポリコレ騒ぎの数々・・・時代はさらに不確実で不安定で物騒になってきた、といわれています。そんな時だからこそ、森先生のお話を静かに聴いてみたい。そして世の中を落ち着いて観察してみたい。浮き足立つ時代にほんとうに大事な生きる構えとは何かを知るために・・・。新連載エッセィの第3回を公開。





第3回 もう充分に生きただろう



【今はロスタイムだと認識している】



 子供の頃から躰が弱く、病院に通う日が多かった。すぐに具合が悪くなり、お腹が痛い、頭が痛い、気持ちが悪い、といった症状に悩まされた。僕には兄がいたのだが、僕が生まれるまえに亡くなっている。だから、両親は心配して、なにかあるとすぐに僕を医者へ連れていった。そんなふうだったから、自分は長くは生きられないと感じていた。



 父も躰の弱い人で、入院が多かった。心臓の発作で倒れ、僕が薬を口に入れたこともあった。父からは、自分は長生きしないから、早く独り立ちしなさい、といわれて育った。大人になったら、自分の力で生きていくしかない。どうやって生活しようか、と考える子供だった。



 しかし、そんな父は、84歳まで生きた。72歳で亡くなった母の方が早かった。僕自身は、自分の人生は60年だろうと想像していたから、47歳で退職したし、小説の仕事も早めに切り上げ、55歳くらいでほぼ引退の身となることができた。



 今年の12月で65歳になる。既にロスタイムに突入していて、「余命」といっても良い。5年まえだったか、ドライブ中に気分が悪くなり、救急車で運ばれた。いよいよ死ぬときが来たな、と思ったのだけれど、MRIなどの検査をしたところ、どこも悪くない。

脳外科の先生たちが集中治療室でモニタを見ながら首を傾げていた。スタッフも数人集まっていたのに緊急手術は中止。一週間後には体調が戻り、退院となった。



 このとき、ここで『道なき未知』の連載中で、病室から編集者に「少し待って下さい」とメールを送ったのを覚えている。隔週連載は遅れることなく順調に続いた。



 この件については、三年後に違う医師に診てもらい、良性発作性頭位目眩症ではないか、といわれた。目眩はしょっちゅうなのでなんともいえないが、そうだったら良いなとは思っている。





【欲しいものはもうほとんどない】



 前回、どんな趣味で毎日遊んでいるかをざっくり書いたけれど、欲しいものは躊躇なく手に入れているので、若いときから憧れだったアイテムは、もう自分のものになってしまった。すると、欲しいものが新たに出現しないかぎり買うことができないから、今はお金を減らすことに不自由している。無理に減らすこともないし、買ったままで、あまりいじっていない温存品も数多く、悩む暇もないといえば、そのとおりである。



 かつては、世界中の模型屋を訪ね、欲しいものを探していたのに、今はたちまちコンタクトが取れるし、むこうから「こんな品が入りましたけれど、いかがですか?」と連絡をいただくようになり、若い頃のドキドキ感がやや減衰している寂しさはある。でも、寂しいことが好きなので、嫌だとは思っていない。

僕は、暗いところ、寂しいところが大好きで、自宅も照明を控えめにしている。書斎でさえ、手元のスタンドを点灯させないと夜は本が読めない。話がずれてしまった。





【ガラクタに囲まれて暮らしている】



 「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現があるが、僕の家が、そのおもちゃ箱そのもので、中身は散らかり放題だ。地震が来てもほぼ同じ状況だと断言できる。僕のおもちゃは、段ボール箱に詰めて引っ越しをすると、およそ700箱くらいになる。実際に引っ越したときに数えた。箱に入れられない大きなものは除外して、の数字である。



 多くのものは、ガラクタ、あるいはジャンクだ。壊れているものが大半。機能を維持しているものもあるにはあるが、埃まみれ、油まみれになっている。ガレージが幾つもあって、設計時には5台の車が入るはずだったが、現在、車はすべて屋外に駐車されている。

つまり、ガラクタが場所を占領してしまったのだ。



 どうしてこんな事態に陥ったのか、という分析はしていない。自分の性格からして、容易に予測できたことであり、もし家の中に収まらなくなったら引っ越そう、という対策しか考えていなかった。ものを捨てることはしないし、また売ったりしたことも一度もない。人にあげたこともない。これ以上に欲しいものがないから、お金も減らなくなった。物もお金もこのまま微増し続けるのか、と諦めている。



 楽しいことは楽しい。ガラクタの中でなにかを探していると、忘れていたものが出てきたりして、本当に得した気分になれる。また、将来を見越して買っておいたまま忘れていた新品も出てきて、過去の自分に感謝の黙祷を捧げたくなる。



 模型店かおもちゃ屋が開業できるほど品数がある。こんな森の中でお店を開いても誰も来ないだろうけれど。





【犬が家族】



 一人で一日中遊んでいるから、家族となにかを一緒にするということがない。家族もそれぞれ一人で遊んでいる。犬も家族のメンバだが、人に遊んでほしがるので、しかたなくつき合ってやるしかない。僕が世話をしている犬を、僕の奥様(あえて敬称)は「ぷう」と呼んでいる。しかし、そんな名前ではない。奥様と意思の疎通が取れていない証拠だ。



 こんなに自由で、ひっそり静かに生きられるようになったのは、何のおかげだろうか?



 それは、結局、周囲のあらゆる「柵(しがらみ)」を断ち切ることができたからだろう。本当にそれだけのこと。同時に、「絆(きずな)」もない。柵も絆も、せいぜい犬の世話をするくらいしか今はない。



 他者のことを気にしない、というだけで、孤独になれる。孤独になりたい、とまず望むことで、この静かな自由が楽しめる。

念のために断っておくけれど、けっしておすすめしているのではない。どうぞご自由に・・・。







文:森博嗣

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