私は今回のフランス大統領選をある特別な視点で見つめる人間です。候補者の一人である国民連合のマリーヌ・ルペン(1968~)の父親であるジャン=マリー・ルペン(1928~)の自伝『メモワール』(仮題。

年内にKKベストセラーズから出版予定)を翻訳したのもあり、彼女には親近感がある。かの親子にかけられた誤解を解いておかねば、今回の大統領選を「真っ直ぐに見る」ことは出来ようがありません。何故なら、左は東京新聞から、右は産経まで、未だに「極右政治家マリーヌ」の見出しが並ぶのだから、笑ってしまいました。マリーヌ・ルペンの正しい位置は「経済は左寄りの右派」でしょう。彼女は「自分は右でも左でもない。フランス人の政党だ」と言っています、このギャップはどういう意味でしょうか?  





   今回の選挙戦は混戦です。去年の地方選挙で国民連合(F R)の惨敗や、年明けの20%を割るマリーヌ・ルペンの支持率を見るにつけ、今春の大統領選も第二回投票に行けるのかも怪しく思えました。しかし、現状はマリーヌ23.1%の支持率をたたき出し「惜敗」もしくは「辛勝」の公算が高いのは既報通りです。メランションら左派票の切り崩しに成功すれば、本格的にマリーヌが勝利する見込みがあります。さて、何故「極右がフランスの大統領になるかもしれない」のでしょうか? そして、日本人が彼女を「過激派」と見做さなければならないのでしょうか?  



   皆さんの頭の中にあるトリコロール、セーヌ川、カフェ、芸術・・・「優雅なおフランス」像はそろそろ消してください。今のフランスを取り巻く情報は「インフレによって消費行動が低下している」「年金が少なく、貧困層が拡大している」「イスラム系の移民の一部がテロリストになって暴れている」などのニュースが絶えません。少し前の「イエローベスト運動」(ガソリン代高騰に異議を申し立てる民衆が、ドライバーが携行している黄色いベストを着て暴動に発展した騒ぎ。

2018年)を思い出しても、おフランスの香りはほぼないでしょう。  



 何故、おフランスがここまで殺伐とし始めたのか。マリーヌの父であるのジャン=マリー・ルペンが活躍した歴史を振り返って確かめるとしましょう。  



【平坂純一】修羅道を行く フランス保守政治家 ジャン=マリー・ルペン伝  





 上記の文章に認めた通り、ジャン=マリーは田舎町の船乗りの一人息子、ナチスの機雷で父親を亡くしています。戦時中、フランスはナチスに占領されていたため、英米向けに仕掛けた機雷だったのでしょう。父親を殺されたにもかかわらず、戦中のナチスの軍人は「紳士的だった」と自伝には書かれています。むしろ、青年ジャン=マリーは英国からラジオ放送で徹底抗戦を唱えていた、自由フランス代表ド・ゴールに対する敵愾心を燃やし始めます。ド・ゴールのけして体を張ることのないエリーティズムに対する怒りは、ジャン=マリーにとって政治活動の原動力でした。  



 かの国が「ナチスに協力しながら戦勝国」で「核武装した国連常任理事国」であるのと、その「おフランス」のイメージは両立しませんね。今でもフランス人に言えば嫌な顔をされます。英米を外交的に懐柔して「再占領」したド・ゴールのお陰だと言われます。しかし国内的にはそう簡単ではありません。

例えば、ジャン=マリーは自伝の中で「ナチスの軍人と会話したカフェの店員さんさえ、街中で辱めを受けた」と綴っており、義憤を感じたそうです。これには戦後すぐに「フランス共産党とド・ゴール派」の結託があったと云います。  



 社会・共産党と手打ちをして、他国の支援の下、自国を再占領した国。そう、日本とそう変わらないんですね。鳩山路線を断ち切って、アメリカ宥和政策の「吉田ドクトリン」一辺倒に突き進んだ戦後日本の過激版がフランスです。仮にそれが卑怯な仕打ちだとしても、彼らは自らの手で「戦前を悪」と断罪してみせました。外交が上手な社交の国なので、核武装や国連も丸め込んで「勝ち組」の座を手に入れます。「おフランス」な文化イメージすらも獲得し得たのです。  







 さて、ジャン=マリーさんは1950年代のパリで大学生になり、在学中はオランダ大洪水(1953年)のボランティアやインドシナ独立戦争(1954年)で軍人を志願します。反ド・ゴール主義的でかつ植民地戦争の夢を追い続ける青年の名は全フランスに轟いて、彼を史上最年少の国会議員に仕立て上げます。「卑怯な再占領者一派」や「モスクワに操られる共産主義者」よりも、「地方出身のフランスのエリートで軍人の有望な青年」に人々は投票したのです。もっとも、声の大きさと数の力により敗北しますが、ジャン=マリーの存在は戦後フランスの影の声だったのです。

  



   話は少し飛躍しますが、よく「コアビタシオン」大統領と首相に左右の人物を据える戦後フランスの方式がもてはやされます。しかし、日本の55年体制の代替物だと思えば偉くもありません(自民党一党独裁の方が変ですが)。この呉越同舟の制度には、ジャン=マリーも呆れており、70年代には一時は政界を引退しています。しかし、80年代になって政界復帰します。ミッテラン大統領による過剰な移民政策により、フランス国内の景色が変わってきたからです。私もパリを少し離れた街を歩いたところで、マグレブ系の移民がジーンズで歩いているのしか見ませんでした。   



 ここからが難しいのですが、フランス人はサバケているので、お金持ちや地方の有力者の声だけを聞く「共和党」と、都会のブルーカラーやリベラル派の代弁者「社会党」には早くから見切りをつけます。フランス経済が停滞し、移民問題やアメリカの外圧があれば、すぐに国民を統合させるヒーローを欲します。1985年、「官僚主義的規制」を排除し、国家の企業を民営化する「真の自由主義革命」が必要だとして現れたのがジャン=マリー・ルペンその人です。中曽根首相と仲良しだったのも肯けますね。そこで彼は国民戦線(F N)を立ち上げ、10%ほどの支持率を得る政党に押し上げたのです。この新自由主義的アジェンダは、日本同様に不景気だった90年代に撤回して、「大きな政府」を打ち立てる選挙運動に転換します。

  



 世の中を少しでも良くする「結果」を出さない既成政党や政治家どもに対する疑いは、日本の場合、20年遅れで小泉首相が政局化させました。しかし、「自民党をぶっ壊す!」と何故か自民党内で叫ぶあの狂った男の新自由主義的政策が、不況の日本国で有効な理由がありません。ですが、日本では小泉流は猛威を振るい、今でも「財政健全化」は金科玉条のようです。マクロンも既成政党とは別の少数政党から現れた大統領で、金持ちの機嫌をとるフランス共和党と変わりがなく、むしろユーロで形骸化した国内産業を埋める施策は生み出せずにいます。若さを活かしたパフォーマンスに終始しており、マリーヌよりも真の意味でポピュリストでしょう。「大阪の維新」が政権を取ったら、この劣化版の現象が起こるのでしょう。  





 ところで、ルペン一派は社会党ジョスパンを下して、決選投票でド・ゴール主義者のジャック・シラクと戦った2002年以降をピークに、娘のマリーヌが衣鉢を継ぎますが(ここでのイザコザは自伝に譲ります)、マリーヌはEUで溶解した今こそ「強い国家」と「保護主義」を打ち立てて、マクロン大統領の新自由主義的な政策(実は日本よりマシですが)を掲げています。これにはコロナとロシア問題が大きく関わります。  



 まず、コロナでは度々の内政での失策に加えて、「ワクチンの義務化」を進めるマクロンの施策はフランスの国是に反します。また、グローバリズム(この語はフランスではEUを意味します)による人的流動性が、客観的に否定されたのがコロナ問題でした。問題は「右と左」ではなく「上と下」です。つまり、「蓄えがあって、そのお金を世界中で転がして暮らせる人」vs「その日の生活と身の回りのことで精一杯の人」がハッキリ別れた社会の是正をしようとしているのがマリーヌ一派であり、よって、彼女がポピュリストだと揶揄される理由もないでしょう。

むしろ、ロスチャイルドの銀行員を経たグローバリズム推進者のマクロンは「若さを活かしたポピュリスト」そのものでした  



  ※【平坂純一】マリーヌ・ルペン考 「フランス・ポピュリズム」から日本を思う  



  



 「ロシアのウクライナ侵攻」は彼女にとって追い風だと云えます。英米を相対化する外交の策の一つとしてロシアとのパイプは有用です。彼女とロシアと関係が深いのを「悪魔と友達」と囃し立てる日本のマスコミは「女学生の論理」だと思って、見捨てて良いでしょう。否、日本のごとき、アメリカに盲従する奇特な国はマリーヌの爪の垢でも煎じて飲むべきです。マクロンはEUの枠組みで解決したいようですが、アメリカの手先の小僧の話をプーチンが真に受ける筈もありません。停戦後のウクライナの中立化を有利に進めるには、マリーヌを介した方が、ロシアには都合が良いのです。これでもまだマリーヌを極右だと思うのなら、きっと貴方はアメリカから余程の恩恵をもらっている日本語話者なのでしょうね(笑)。  



 彼女はウクライナ問題の仲裁者には適任に思えます。 



 マクロンの焦りや厭戦気分を逆用して、マリーヌは減税や購買力など生活者目線の政策で大鉈を振ったようです。政策は「年金1000ユーロ」を保証し、無駄な戦争を避けるNATO離脱、そして大きな政府による「経済的保護主義」を提示しています。マリーヌの一体どこが右翼なのでしょうか。同性結婚の廃止も至って常識的です。

経済は左派的な福祉主義ですし、そもそもヨーロッパにおける「右派」は必ずしも「ナショナリスト」を意味しません。フランス革命を振り返れば、ルイ16世の「暴政」とマリー・アントワネットの「浪費」に対して国民国家を建設せんと企んだのがナショナリズムの源流でした。この民衆の蜂起に「外国の王侯の連帯」を唱えて再占領を試みたのがブルボン王朝の王政復古でしたが、今の時代は何処ででも生きていける大金持ちのエリートが世界中で連帯する「王侯貴族」で、まさにマクロンは古の「右翼」そのものなのです。 マスコミのような都会のブルジョワ様には彼女の台頭は不利益なのでしょう。 



 民衆が生活するお金や、関わりたくもない愚かな戦争にお金を使わされるのを止めようとするマリーヌのような政治家が「極右」とレッテルを張られるのを見て、けらけらと笑っていられるうちが平和なのでしょう。貧困化を目の前にして「大きな政府」を訴える柔軟な政治家も、軍事基地を置くアメリカとの距離をとる綱渡りの外交を目指す「愛国政党」も持たない日本国の、哀れな米帝の奴隷国民の末路は、フランスのプライドを取り戻す動きにも冷ややかなのは道理なのです。Jap.com(by西部邁)は念仏でも唱えているしかありません。  



 マリーヌを政治家に押し上げたジャン=マリー・ルペンの自伝については、またご紹介いたします。  



 



文:平坂純一(ひらさか・じゅんいち)



1983年福岡県出身。中央大学法学部卒業後、司法試験よりも保守思想家・西部邁の私塾に執心する。脱サラしてアウトローの生活を送った後、フランスの保守主義に関心を持ち、早稲田大学文学部フランス語フランス文学コースに再入学。在学中に西部邁の推薦で雑誌『表現者』にて「ジョゼフ・ド・メーストルと保守主義」でデビューする。現在は後継雑誌『表現者クライテリオン』にて、「保守のためのポストモダン講座」を連載中。KKベストセラーズより「ジャン=マリー・ルペン自伝(仮)」を出版予定。

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