エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家の渡辺由佳里さんが新著『アメリカはいつも夢見ている』を刊行。本書の重要なテーマのひとつに「ジェンダー問題」がある。
■「社会を変える」ために必要なこととは?
渡辺:価値観が変わるのには時間がかかりますから、だから根気よく繰り返し、一歩ずつ前に進んで行くしかないんです。
これはよく話す例ですが、いまアメリカでは同性結婚ができますよね。アメリカで最初に動きが起こったのは2000年、ハワード・ディーンがバーモント州の知事だった時でした。彼は同性結婚ではなく、「シビルユニオン」という、結婚と同じ法的な権利が得られる制度を推して可決させたんです。
その時に、ディーン州知事は左からも右からも叩かれました。宗教右派からは「殺してやる」みたいな脅しを言われて、左の人からは「同性結婚まではいかない生ぬるい制度をやって、お前みたいなやつはだめだ」みたいに叩かれたんですが、でもやり抜いたわけです。
シビルユニオンは完璧ではないけれども、一歩進んだわけで、それがあったからこそ数年度にマサチューセッツ州がアメリカではじめて同性結婚を制度として可決させることができたんです。
でも私が知る限り、振り返ってハワード・ディーンに「ごめんなさい、私が間違ってました」って言った左の人はいないんです。
もうひとつ、私が嫌悪感を持っていることがあります。
でもその女性たちにしても、もっと上のジェネレーションの女性が一生懸命やってきたからこそ、今の権利を持ってるんです。
最初の頃のフェミニズムは白人女性の高等教育を受けた人たちが主導していました。それをもって「あんなフェミニズムはだめだ」と非難する若い世代の女性がかなりいます。でも初めの世代の人たちが一生懸命頑張ったからこそ自分たちも参政権も得ることができたんです。いまの感覚ではそれで十分ではないかもしれないけれど、当時のその一歩はすごく大きな一歩だった。それを、いまの若い人たちにも考えてほしいです。「自分が命をかけて、牢獄に放り込まれるようなことをしてでも次世代の人たちのためにやった活動が、次世代の人たちから叩かれる覚悟があなたにはあるんですか?」と憤りを感じます。
治部:前の世代の人たちが戦って、法や制度を変えてきたからこそ、現在の当たり前があるんですよね。
渡辺:そうですね。
法律が変わっていくことによって、当たり前の意識になっていく。実際、法律によって職場でも男女を同等に扱わなければいけない形になってきているわけですから。それが当たり前になってくると、「なんで昔はこうじゃなかったんだろう?」みたいに意識が変わってくるわけですよね。
アメリカでは、かつては異なる人種の人同士が結婚するのが違法だったわけです。でも、いまではそんなこと考えられませんよね。例えばイギリスでは、男性同士のセックスは長年処罰の対象でした。それがいまの時代は、イギリス人男性作家が書いた男性同士のロマンス小説が一般読者向けのベストセラーになったりしています。
このように社会を変えていくことについて「法を変えていく」ことはとても重要です。だから、そこにエネルギーを費やしている人が少々気に入らない発言をしたからといって叩くのは、法律を変えようと努力してきた人たちが長年やってきていることを潰すことになるので、本当にやめて欲しいと心からお願いしたいです。
治部:人生は限られていますから、文句だけを言ってるよりは変えられる現実を変えておきたいということは完全に納得です。
■アメリカでジェンダー意識が大きく変わったきっかけとは
渡辺:ジェンダー平等についてアメリカで大きく変わったきっかけは、「タイトル・ナイン」(※)だと思います。
「タイトル・ナイン」がその後大きなジェンダー平等の動きに発展した理由はいくつもあるんですけれども、その一つが「お父さん」だと思うんです。すごく出来のいい娘が生まれた場合に、そのお父さんたちは突然フェミニストになるんですよね。スポーツでも「うちの娘のほうがここにいる男の子よりもできるのに、なんで平等に扱われないんだ?」みたいな感じになるんです。
治部:ああ。それは確かになりますね。
渡辺:アメリカの小学校の算数オリンピックのボランティアに誘われて入ったことがあるんです。発起人のお父さんはマサチューセッツ工科大学(MIT)で数学を選考した人で、他のボランティア2人も「インドのMIT」と呼ばれる大学卒業のお父さん。私以外のボランティアはこれらの「お父さん」でしたが、私たちボランティアの子どもは全員が「娘」でした。算数ができる娘を持ったお父さんたちが娘を応援するフェミニストになって、「クラブを作ろう」みたいな感じだったかもしれません。私の周りにもそういう人がいっぱいいたので、全米レベルでも多かったんじゃないかと思います。
「お前は女の子だから算数はできない。料理だけやってればいいんだ」みたいに考えられていると、本当にそうなってしまう子が多いでしょう。でも、あの「算数オリンピック」のお父さんたちのような人たちが「いや、そんなことないよ」みたいに家庭で応援すると、女の子たちも「あ、べつに何をやってもいいんだ。学者になってもいいし、アスリートになってもいい」みたいに育ってくるんですね。
こういった意識の変化もあり、「タイトル・ナイン」の以前と以後では本当にいろいろな場面で女性が進出するように変わってきています。だから法律ってすごく大切なんだなと感じました。
治部:会社で女性活躍を一生懸命やり始めた経営者の方に理由を聞くと、自分の会社が、「優秀な娘」に活躍できるような環境ではないことに気がついて、いきなりやる気になるんですね。
渡辺:「自分事」というのはかなりパワフルです。それと、ジェンダー平等って、男性にとってもお得なんですよね。「お父さんが大黒柱として経済的な責任を負わないといけない」って、男性にとってもすごく大変だと思います。ジェンダーの格差を埋めるのは女性のためだけではなくて、男性のためでもあるんですよね。
我が家もそうですが、両方が働いていると「外で働くつらさ」も分かるし、「働きながら家事をするつらさ」も分かります。
私は「日本で男の子として生まれなくて良かったな」と思うのですが、それは「きっとすごい重圧だっただろう」と想像するからです。いい大学に行って、いい仕事を見つけて、結婚するならある程度収入も良くないといけない。そういうプレッシャーが大きいと、誰でもやっぱり嫌になるんじゃないかなという気はするんです。
そういったものが「フェミニズム」とか「フェミニスト」という言葉への嫌悪感みたいなものにも繋がっていると思います。「女のほうが楽していて恵まれているのに、これ以上俺たちからパワーを奪うわけ?」みたいな気持ちになるところはあるでしょうね。
それを取り去るためには、両方が働いて、両方が家事をして、両方が育児を頑張る、お互いに助け合う、という方法しかない。ですから、よく言われることですがジェンダーギャップを埋めるのは全てのジェンダーのためなんですよね。
■日本が「女性が活躍する」社会になるために必要なこと
治部:アメリカで、調査した全200都市のうち20都市ぐらいで若い女性のほうが若い男性よりも稼ぎが多かったという調査結果があります。女性のほうがパワーを持ってきたことで、男性が「本来、自分たちが得られるはずのものを女が持っていった」みたいな剥奪感を持つような現象は、アメリカにもあるんでしょうか。
渡辺:そうですね、アメリカにもあると思います。
ラストベルトの辺りでは、女性には病院で看護師をするとか、事務職をするといった仕事があるんですけれど、男性の場合は、「男性独自」と言われた工場で働くような仕事がなくなってきています。
それが「プライドが奪われた」という感情になり、ミソジニーや人種差別に繋がったりしているわけですよね。アメリカでよくアジア人女性が襲われるのも、「自分が持つべきものを奪われた」みたいな感情と複雑に絡んでいるのだと思います。
そういうこともあって、私は、これからの日本の経済が心配です。私はバブル時代の東京に住んでいたんですけれど、当時はわりとみんな明るくて、寛容性もあり、他人に嫉妬している人は今みたいに多くはなかったように感じます。
お金がなくなってくると、怒りとか恨みといった気持ちも生まれやすくなります。ですから、日本の経済が悪化すると、いろいろ悪いことが起きてくるのではないかという恐れを感じています。
そして経済を盛り上がらせるためには、女性活用が必須です。女性を活用しないと(女性が同等に働いている国と比べて)国際的な競争力がなくなって当然なのです。
一方、「採用しようとしているのに、トップクラスの管理職に行けるような女性がいない」という声も聞こえます。
それは現時点の日本では仕方がないことでしょう。生まれた時から「女は発言してはいけない」とか、「女らしくしなければいけない」「可愛くいなければいけない」と教育され、それが骨まで染み付いているわけです。それなのに、突然「発言しろ」とか「リーダーシップを取れ」と求められても、いきなり変身はできません。「そうするな」と言われて何十年も生きてきたのですから。
だから根こそぎ、生まれたときからの教育方法から変えないといけないですし、「現時点でこの人はリーダーシップがないみたいだから」と言わずにやらせてしまう。人間って立場を作ってしまうとできるようになってくるものです。だから、まずやってしまうんです。採用するほうも、されるほうも、ミスをしながら学んで成長していけばいいのではないかと。大変だけれども、登用することと育てることの両方を、いろいろな場面で始めないといけないと思っています。
ジェンダーギャップを埋めるのは「日本のため」であって、「女性のため」だと思わないで欲しいです。それをやらないと日本は競争力を回復させられなくて、本当に生き残れなくなりますから。
文:甲斐荘秀生