9・11同時多発テロ、3・11東日本大震災、異常気象による度重なる大災害、新型コロナのパンデミック、グローバリズムの弊害、ロシアのウクライナ侵攻、核戦争の恐怖・・・この20年くらいの間に起こっている世界史的な出来事の数々。いつ何が起きても不思議ではないと思える時代を、私たちは今生きているのかもしれません。
第7回 単なる移動による幻想
【スキャナとプリンタを買った】
この種の機器はとうに時代遅れで不要になるはず、と20年以上まえに考えて、ずっと買い替えずにいた。しかし、日本の役所を相手にする場合などには、そうもいっていられない。今でも紙の書類でやり取りをしているのだ。フロッピィ程度で驚いてはいけない。ファックスもばりばりの現役だ。「ファックスって何? 下品なこといわないで」と若者には眉をひそめられることだろう。
プリンタもスキャナも紙詰まりが酷くなり、限界だったので、同時に廃棄して買い替えた。スキャナ&プリンタの複合機で1台になった。コピィもできるから、疲れ気味のコピィ機も買替え不要となった。
新しいプリンタは、中古品でもないのに1万円ちょっとという安さだった。日本では近頃、食品が値上がりしているが、電化製品も、趣味の模型関係の部品や工具も、著しく値下がりしていて、20年まえの1/10に近い値段になっている。天国といっても良い。僕は、食べる量が少ないしグルメでもないから、食費は微々たるものだ。趣味と工作関係の支出減で、「金のやり場がない」状況である。
衣料品だって安くなっている。僕が成人した頃に比べると、めちゃくちゃ安い。スーツが2万円で買えてしまう。2年ほどまえに、生まれて初めて自分の靴下を買ったのだが、500円ほどで4足も買えた。
人に会わないし、人に見られる機会もないので、ファッションには意味がない。鏡もないから確かめもしない。靴と帽子は必要だけれど、鞄はいらない。
【部屋の整理をする理由】
さて、先々週くらいから書斎の整理を始めた。床に本が積まれて、足の踏み場がなくなりそうになったためだ。足の踏み場がないとデスクまで辿り着けなくなる。そうなってからでは整理作業もできないから、しかたなく片づけることにした。これは、「あと片づけ」ではなく、「さき片づけ」だろう。未来を心配して整理するのだから。
床に積まれた本は、僕が買ったり読んだりしたものではない。1日1冊は本や雑誌を買うけれど、すべて電子書籍だから物体は増えない。書斎の床に溜まるのは、自分が書いたものの見本だ。発行されると10冊、重版になるごとに2冊が送られてくる。
さらに、ゲラが溜まる。本を1作書くと、ゲラが3回届く。赤を入れて出版社へ送り返すが、きちんと訂正されたかを確認するため、新しいゲラと同時にまえのゲラも戻してもらう。これらのゲラがどんどん積み上がるから、やはり段ボールに入れて、地下倉庫へ送る必要がある。捨てるか燃やすかすれば良いのだけれど、紙の束というのは意外に燃えにくいものだ。濡れた落葉くらい燃えにくいし、煙が出る。
書籍以外の物品も多いし、どんどん増える。ほぼ工作関連のものである。詳細は説明が難しい。見本やゲラほどの量はないものの、なにか買えば、空き箱が増える。半分は箱を捨ててしまうけれど、箱に入れて保管したいものもある。だから、容量的にそこそこ場所を取る。
幸い、地下倉庫はまだまだ余裕がある。ただ、本を入れた箱は重くて運ぶ作業が大変だ。怪我をしないように注意をしつつ、一人で少しずつ実施する。この作業にだいたい1カ月半くらいかかる。根を詰めるようなことができない人間なので、10分くらい作業をしたら飽きてしまう。
【整理をしても価値の増減はない】
家の中に入ってくるばかりで、出ていくものがない。買うばかりで、売ることがない。入力するだけで出力しない。だから、ものが溜まる。まあ、しかたがない道理ではある。今のところ、どんどん家や倉庫が大きくなっているので、持ち堪えているけれど、日本の財政みたいな感じで、いずれ破綻するのではないか、との不安もつき纏う。
価値があると認めたから買っている。価値がないと判明したら捨てる。だから、溜まっているものは、ある程度価値を有する品々だ。したがって「ゴミ」ではない。売ろうと思えば売れるだろう。
また、整理整頓をしても、置き場所が変わるだけで、価値の増減はない。価値のなさそうなものに見切りをつける切捨て誤差と、忘れていた価値を再発見した場合の切上げ誤差の変動がある程度。ちなみに、たとえ不用品を廃棄したとしても、地球上のどこかに移動するだけだ。リサイクルしても同様。
僕のようにものを捨てない整理は、エネルギィをかけて作業をしても所有物の価値には無関係である。だったら無駄な作業なのかというと、そうでもない。微妙なところだ。広い空間が身近に生じる、という見かけの価値が一時的に錯覚できる。
世の中には、断捨離をして喜んでいる人たちがいるようだけれど、僕には、明らかな幻想か勘違いに見える。ただし、人の趣味に文句をいうつもりはないので、あくまでも僕の感想にすぎない。僅かな精神的なメリットは、催眠術にかかったか、それとも「思い込み」の類である。だが、人生の価値の大部分は思い込みなので、否定する理屈もない。
無秩序に存在するものも、綺麗に収納されて片づいたものも、トータルの価値は同じである。問題は、移動にエネルギィが消費されること。排気ガスを出すエンジン車が、すべて電気自動車になっても、発電所が出す排気ガスが増える。場所が移動するだけだ。集中すると高効率になるけれど、送電によって失われるエネルギィも大きい。一時的に気持ち良くなるだけだ。
わざわざ毎日通勤して会社という箱に収納される人間の場合も、移動によって多大なエネルギィを消費する。情報をわざわざ紙に印刷して送るのに似ている。無駄の最たるものだろう。今回買ったプリンタが、人生最後のプリンタになることを願っている。
文:森博嗣