「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。
【12品目】おいしい味噌汁の条件
高橋留美子『めぞん一刻』(1980年~87年)といえば、ご存じ昭和のラブコメマンガの金字塔だ。クセの強い住人ぞろいのアパート「一刻館」を舞台に、浪人生・五代裕作と管理人・音無響子のもどかしい恋模様を描く。それはもう「もどかしい」なんて一言ではとても片づけられないくらい山あり谷ありの展開に、身悶えした読者は数知れず。紆余曲折ありまくった末に、優柔不断な五代が物語終盤にようやく絞り出したプロポーズの言葉は「お、おれ…響子さんの…響子さんの作ったミソ汁…飲みたい…」だった。
やや間があって「…はい……」と答えた響子さん。が、彼女は普通に味噌汁を出し、「ごはんもありますけど…」と言い添える。そう、早とちりなわりに鈍いところもある“魔性の天然ボケ”の響子さんに、遠回しな言い方は通用しないのだ。五代も五代で、本当は「ぼくのためにミソ汁を作ってください」と言うつもりだったのに、緊張して“ただ味噌汁飲みたいだけの人”みたいになってしまった。
このプロポーズの言葉を考えるシーンで、五代はいくつかの候補の中から「よしっ、ミソ汁でいこう。オーソドックスだけど…」と心に決めた。
しかし、今どきはそうはいかない。2010年に開催された「第4回 恋人の聖地 プロポーズの言葉コンテスト」(NPO法人地域活性化支援センター主催)の最優秀賞は「ボクに毎朝、お味噌汁をつくらせてください。」だった。昭和の定番フレーズを男女逆転させた点が評価されたのだろう。現実にはいまだに女性が料理を担う家庭は多いと思うが、少なくとも公式の場において「味噌汁は女性が作るもの」というステレオタイプなジェンダー観は、もはやネタにしかならないのだ。
その点、ウチの母親は時代を先取りしていた。【1品目】で書いたとおり、基本的に料理はしない。結婚する前は地元の銀行に勤めていて、特技はそろばん。それでも、学校のある日の朝食は作ってくれていて、簡単なおかず(みりん干しをトースターで焼いただけとか)に生卵と味付けのりと味噌汁というのが通例だった。こっちは朝からそんなに食欲もないので十分すぎるほどであったが、問題はその味噌汁である。
作ってもらっておいて文句を言うのもなんだが、正直、非常にマズかった。しょっぱいだけで旨味というものがない。
その後、大学進学で東京に来て一人暮らしを始めた。外食が多かったが、節約のため自炊をすることもあった。といっても、炊飯器でごはんを炊いて、おかずは「レトルトを温める」とか「とりあえず塩コショウとしょうゆで炒める」といった料理とも呼べぬものばかりで、手の込んだことはできない。味噌汁も、もっぱらカップ味噌汁だった。
ご承知のとおり、カップ味噌汁は味噌と具をカップに入れてお湯を注げばできあがりだ(最近はフリーズドライのものもあるが、当時はあまり見なかった)。インスタントとは思えないぐらい、普通においしい。ウチの母親の味噌汁も作り方は同じなのに、なぜこんなに味が違うんだろう……? と、ずーっと不思議に思っていた。
はい、賢明な読者諸氏はすでにお気づきだろう。ウチの母は、ダシ入りでも何でもないただの味噌をそのままお湯で溶いていたのだ。正確には、①味噌をお椀に入れる、②味の素を振りかける、③お湯を注いで混ぜる、④とろろ昆布を入れる、というのがウチの母の味噌汁レシピ。
ちょっと調べたら、マルコメが業界の先陣を切って「だし入り料亭の味」を発売したのが1982年。私が大学に入学する前年である。マルコメの公式サイトによると、開発のきっかけは「お客様からの『おたくの味噌でつくったみそ汁は、ぜんぜんおいしくない』というクレームの電話だった」とか。しかも、「よくよく聞いてみると、その方はだしを取っておらず、味噌をお湯で溶いただけだったことが判明した」って、ウチの母と同じやーん!
もちろん店で出していたのは、ちゃんとダシを取った味噌汁(赤だし)だったが、フロア担当で調理に関わらない母にはダシの概念がなかったのだろうか。まあ、私も母が味噌汁を作るのを見て、その手順に疑問を抱かず味噌のせいと思っていたのだから似たようなレベルだが、10年ほど前の正月に帰省したとき、『ダシの取り方』みたいな本が置いてあったのには驚いた。70代も半ばを過ぎて今さらダシの取り方覚えてどうすんだ。もうダシ入り味噌でいいんじゃないの?
ちなみに、妻のお母さんも料理が好きではないらしい。共働きで忙しいなか、やむなく作っていたものの、全体的にあまりおいしくはなかったという。味噌汁は顆粒のダシの素を使っていてそれなりの味だったらしいが、話を聞いて感銘を受けたのは、お吸い物の作り方だ。①お椀にとろろ昆布を入れる、②お湯をかける、③しょうゆを垂らす。……それはおいしくないだろう。
そんな家で育った妻ではあるが、意外と料理好きである。もともと外食率の高かった我が家もコロナ禍で家飲みが増えた。前述のような料理しかしたことのなかった私も最近は結構いろいろ作る。もっとも、基本は酒のつまみなので味噌汁には縁がない。一方、妻はときどき自分の昼メシ用に味噌汁を作って食べたりしている。たまに私もご相伴にあずかるが、ちゃんとダシを取ったおいしい味噌汁だ。
何しろ母の味噌汁がそんなんだったので、味噌汁に対する思い入れは特にない。が、お店で出てくる味噌汁がイマイチだと、やっぱりちょっとガッカリする。わりとよく行く近所の定食屋は、味も雰囲気も好きなのだが、味噌汁だけはイマイチなのだ。煮立てすぎなのか何なのか、風味やコクが飛んでしまっている感じ。
お店自体は繁盛しているので、そう感じるのは私だけかと思ったら、近所のインド料理屋のシェフ(日本人)が「あそこは味噌汁がねー」と言うではないか。
文:新保信長