◆『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』で私が書かなかったこと
10月20日過ぎにKKベストセラーズから出版された拙著『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』が店頭に並ぶ。嬉しい。
拙著の目的は、その「まえがき」の冒頭で書かれているように、「大きく時代が変わる前の過渡期であり、今までの生き方が通用しないことが予測できる危機の時代において、馬鹿ブス貧乏な普通の女性たちが、無駄に恐怖や不安や焦燥を感じて萎縮することなく自分なりの人生を創るためのヒントを、愛や性の観点から提示すること」だ。
私がよくよく考えた末に拙著の中で書かなかったことはいくつかある。そのひとつが、日本における「馬鹿ではなくブスではなく貧乏でもない」人々の愛と性の様相だ。つまり、ほんとうのエリート層の愛と性だ。
たとえば、三島由紀夫が1957年に発表した小説『美徳のよろめき』は、大蔵省(今の財務省)の東大出の高級官僚の妻で、財閥系大企業の幹部である父を持つ28歳のヒロインが、美男子であるだけの男と不倫して、不覚にも振り回されてしまい妊娠し中絶し、やっと恋とか愛なんてものは中産階級以下の女の必需品であって、私のような階層の女がこだわるものではないと理解するに至る1年間を描いた話だ(と思う)。
とはいえ、小説家という職業は、三島由紀夫のように超上層中産階級出身であろうとも、中産階級に属する人間が従事する。だから、上流階級の真実を描いた小説は存在しない。知らないことは、いかに優れた作家といえども描くことはできない。皇族の方々が、愛と性を含んだ皇族の実態を描いた小説を書いて発表するはずがない。もし発表されたら超巨大ベストセラーになるだろう。もちろん私も買って読む。日本最高の上流階級の人々の生活と意見は人跡未踏の地なのだから。
現代欧米事情ならば、大人ばかりの健全な(?)乱交パーティもあれば、事業家で投資家のジェフリー・エドワード・エプスタイン(Jeffrey Edward Epstein,1953-2019)がカリブ海のヴァージン・アイランドの大邸宅で開催したような未成年の少女や子どもを相手にした乱交パーティもある。実際は、「エプスタイン」ではなく、「エプスティーン」と発音するらしいが。
エプスティーンは、児童買春で有罪判決を受けた後に収監所で謎の自殺(?)を遂げた。そのために、その乱交パーティの実態が隠蔽されてしまった。英国王室のメンバーまで参加していたらしいので、真実が暴露されれば面白かったのであるが。Netflixで、『ジェフリー・エプスタイン---権力と背徳の億万長者』(Jeffrey Epstein: Filthy Rich,2020)というドキュメンタリーが4回完結の連続ドラマ仕立てで配信されているので、視聴してみてください。欧米の超富裕層に属するある種の人々の脳の腐り具合がおぞましくも面白い。
少女売春者や小児売春者たちではなく、まともな類のエリート層の愛と性は、いったいどうなっているのかなあと考えていた頃に私は、Quora(http://jp.quora.com)で、日本の「馬鹿ではなくブスではなく貧乏でもない」人々の愛と性の様相の一断面を垣間見ることができるような面白い文章を発見した。
Quoraは、「お互い質問や回答をし合うことで、世界中の知識を共有し、それを広げ深める場」だ。SNSには違いないが、匿名で誹謗中傷を短文で書き連ねる類のSNSではない。ほとんどの人は本名で質問し、それらの質問に対して、ほとんどの場合、誰かが本名で回答をするという形式だ。どんなに長い文章で返答してもいい。
その中で、「(21) 風俗には行きたくないのですが、とにかく複数の女性と定期的に関係を持ちたいです。それは身体の関係という意味合いですが、恋愛的な駆け引きも楽しみたいのです。どうすればその状態に持っていけると思いますか? - Quora」という質問に対するある回答が実に面白かった。回答者は女性であった。美貌と教養を持ち、富裕層の男性たちと交際してきた女性だった。その回答の内容を以下に紹介する。

◆頭脳明晰で美貌で富裕層の人々は性的にも自由
回答者は、10代前半で強姦された経験があり、男性は性欲で動くものであり、信用するに値しないという男性観の持ち主だった。しかし性欲はあるので、留学時代に、性交友だち(セフレ)を作っていたが、その相手に対して軽蔑心があった。
ところが留学先で、日本人が海外で現地人からされがちな「なめた態度」が許せなくて、回答者はボディビルのジムに通い始めた。
身体を作って美しくなるほど、「財力もあり人間的にもハイレベルな男性が面白いほどひっかかって」きた。そうした「ハイレベルで、かつリベラルな男性」から、乱交パーティに誘われて行ってみたら、そこはほんとうの意味での紳士淑女の集まる場だった。「セックス抜きでも、知的レベルが高いので、純粋に面白い」ので、彼らや彼女らとともにキャンプに行ったり、旅行したり。旅行先では、メンバーたちと性交相手を交換して楽しんだ。
そういう機会に、下着の選び方を教えてもらった。会話術も教えてもらった。「誰それはコミュニケーションのああいうところが下賤だ」とか教えてもらった。エリートたちの価値観や美意識について学んだ。
回答者の経験の範囲で言えば、「セックスにタブーが少ない人というのは知的好奇心が高い」。「倫理観と好奇心の間で板挟みになる人」もいるが、知的好奇心に勝てずに乱交パーティに参加するのであって、彼らや彼女たちは決してセックス狂とか性交依存症ではない。言うまでもなく性犯罪者などいない。
回答者は日本に帰国してから、高級なハプニングバー(性的にいろいろな嗜好を持つ男女が集まり客同士で突発的行為を楽しむ、バーの体裁をとった日本の風俗。ハプバーなどと略される。Wikipediaより)や、入会の厳しい乱交パーティに通った。「そういうことにお金をつぎ込める層というのはガツガツもしていないし、セックスをある種、哲学的に考えている人」もいて、そこから交友関係が広がった。
現在の回答者は、そういう試みはしてない。なぜならば、セックスや人間にあまり興味がわかなくなったからだ。怪我をして以来ジムで身体を鍛えることができなくなり、体形の維持が難しくなったからだ。自分の美貌を保つ=自分の価値を一定に保つことは、プレッシャーが大きいので、今の状態は気楽でいいと思っている。
◆複数の女性と性的関係を持ち維持するために男性が実践すべき6点
上記の興味深い体験談に加え、回答者は、「風俗には行きたくないのですが、とにかく複数の女性と定期的に関係を持ちたいです。それは身体の関係という意味合いですが、恋愛的な駆け引きも楽しみたいのです。どうすればその状態に持っていけると思いますか?」と尋ねる質問者に対して、その願望を実現させるために実践すべきことを主として6点挙げた。
1点目。性交したい場合に、選ぶのは相手の女性であって、自分ではないのだから、女性が性交する気になるような自分を創り維持する。まず身だしなみに気をつける。口臭は最低。口腔内衛生に留意する。歯周病は治す。脱毛をして、体脂肪15%ぐらいを保つ。自分は太り散らかして、女性に美貌を求めるような姿勢ではだめ。
2点目。
3点目。複数の女性と性関係を継続したいのならば、平等に接すること。女性ひとりひとり個性が違うのだから比較しない。その女性たちがつき合っている自分以外の男性のことを訊ねるなどという下品なことはしない。
4点目。デートに備えて常に「ストーリー」を作る。「今日はどういう展開でいこうかな、とか相手も自分も飽きない装置は絶対的に必要」である。「楽しくて刺激的で成長できるセックスなり関係なり」を意識すること。
5点目。やはり最後は人間性が大事。「絶世のイケメンだろうと、驚くほどのお金持ちだろうとやはり人間として面白みのない人や、お馬鹿さんや、面倒くさい人とは長続きしません」。関与するすべてのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つこと(ポリアモリー polyamory)は、自分が何をやりたいかではなく、相手が何を求めているかを考えなければならない。それができない人は、いい相手と遭遇できても、相手からつき合う価値がないと低く評価されるので、関係を継続させることができない。またポリアモリーは恋愛ではなく、疑似恋愛なので、自分をコントロールすることが必要。嫉妬や独占欲や支配欲は禁物。
6点目。避妊やSTD(Sexually Transmitted Diseases/性行為により感染する病気のこと)について勉強して、よく知っておくこと。定期的に性病検査をすること。想定外のことは起きるので、緊急避妊ピルやトリコモナス膣炎やカンジダ症候群の対処薬は一定数を入手しておくこと。そんなことは女が用意しておくものだなどという自分勝手な態度は、女性から軽蔑される。相手の女性のレベルが高いほど、そんな男は相手にされない。
さて、この助言を読んで、質問者はどう感じたろうか。上記の6点が実践できるような知力とセンスと体力の持ち主ならば、あのような質問を他人にするようなお気楽で安易な依存性はないと思うのだが。
◆馬鹿でブスで貧乏でも、とりあえずやれることから試みよう
回答者は、かなり難しい職場で働いていたのだが、私生活ではポリアモリーを楽しんでいたので、仕事で心が乱れることは稀だったそうだ。パワハラしてくる男性同僚がいても「ふーん…この人、多分セックスが下手なんだろうな~」と思い腹も立たなかったそうである。女性からお守りされてやっと立っている程度の安っぽい男に対しては、確かに腹も立たない。高度の知力と文明を持つ宇宙人が、地球の野蛮な人類に何を言われても、「類人猿が何をわめいてるんだか…」と思うようなものだ。
私は、Quoraの前述の質問と、それに対する非常に面白い回答を読んで感嘆した。やはり高度な情報を持てるだけの人的社会的環境に身を置くことができるだけの財力を持ち、知的水準の高い人々と交際して刺激を受けるような機会を手にするには、女性の場合は、それらの人々と楽しい会話ができるだけの教養や知力を持ち、かつ何よりも健康な美貌を持ち、それを維持できる自己鍛錬を継続しないといけないのだ。
私のように、ブスでありスタイルが悪いことに開き直って、気ままに甘いものや炭水化物を食い散らかして、運動不足のままに太るにまかせているのでは、世間が狭いに決まっていた。未知の楽しい世界があることも知らずに、世の中にはもっと面白い気持ちのいい人々が存在するということも知らずに、あくせくとしていた。いやあ、この回答者の文章を10代の頃に読みたかったと、私は思った。そうしたら、もっと本気で頑張ったかもね。
同じ時代の同じ国に住んでいても、このようなポリアモリーを実現させ、それを継続するための努力を惜しまないことを楽しめる人々もいる。一方では、自分の人生を自分で引き受ける責任と孤独を直視できずに、身近な他人に固執し、その他人の幸福について考える能力も余裕もなく、愛と性を地獄にしてしまうような人々もいる。
現代は価値観が多様化していて、ほとんど無規範状態に近い。法に抵触しなければ何をしてもいいと思い込んでいる類の人間も多い。特に愛や性の問題については、同じ時代の同じ国に生きていても、個人によって、考え方や感じ方も様々だ。同じ時代に生きていても、思考においては、どう見ても原始人のような人もいる。搾取集金宗教組織に洗脳され切った中世人みたいな人もいる。18世紀の(今ではかなり無理ゲーだと判明している)西洋近代合理主義を信仰し、揺るがない自己を求める「遅れてきた近代人」もいる。愛と性のより自由で互恵的なありようを模索する21世紀人もいる。人類離れして、愛と性を超越した23世紀人みたいな人もいるかもしれない。
しかし、まあ、馬鹿でブスで貧乏で平凡だけれども、いい人生を創りたい女性は、とりあえずは、この世界がまともな女性に与えがちな対人恐怖症から解放される契機となるような出逢いを諦めずに求めることが大切だ。そのような他人と良い関係を維持できるような自分創りが必要だ。ポリアモニーの前に、まずは「ひとり」確保だ。西川きよし師匠じゃないけれども、小さなことからコツコツと、だ。
だから、Quoraで見つけたような「頭脳明晰で美貌で富裕なる人々の愛と性の魅惑のポリアモニーの自由と自律」については、拙著では書かなくていいと私は判断した。しかし、今となっては、参考までに書くべきだったかなとも思う。
いろいろ考えて省きすぎて、濃縮ジュースみたいになってしまった『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』だが、みなさま、できれば読んでやってください。
文:藤森かよこ